ブログ

  • トランプ相互関税の狙いと新G3₊のパワーゲームの行方

    1 トランプ相互関税の狙いと誤算


     「米国は無意味な(ウクライナ)戦争を終結させるための仲介に真剣に取り組んでいる」。
    米国務省が4月28日に発表した声明で、前日にルビオ国務長官がロシアのラブロフ外相と電話会談し、ウクライナ戦争を「今すぐ終結する必要がある」と伝達していた。バイデン前政権時代は断絶していた米露直接対話が実現しているからこそ発表できた声明であるが、3年以上も全世界を二分、三分し、核戦争の恐怖さえ覚えさせたウクライナ戦争を「無意味」と言い切っていることにパラダイムシフトと言うべき変化が反映されている。
     その約1カ月前、米国を頼もしい同盟国と信じ、「侵略戦争」とロシア非難の大合唱でウクライナ支援の陣営に加わっていたG7、NATO諸国には青天の霹靂であった。トランプ大統領が就任早々、ウクライナのゼレンスキー政権の頭越しにロシアのプーチン大統領との電撃的な電話会談(3月18日)でウクライナ戦争を停戦・和平へと導くリーダーシップを発揮したのである。ある程度は予想していたとしても、現実になると衝撃が伴う。
     しかし、トランプ当人にとっては、「MAGA(アメリカを再び偉大に)」という本題に進むための環境整備の一環でしかなかった。それから2週間後の4月2日、ホワイトハウスで衝撃的な相互関税を発表した。180余の国・地域を対象に基本税率(相互関税)を設定するというものである。それとは別途に一律で10%を課し、5日に発動すると付け加えた。基本税率を課す一覧票を掲げたが、同盟国への政治的な配慮は一切ない。米国の忠実な同盟国と自認する日本に対しても「米国輸入品への関税は非関税障壁を含めると46%に達する」との独自算定に基づいて日本からの輸入品全てに24%の関税を課すとした。一律関税を含めると34%にもなる。別枠で鉄鋼製品、アルミ、輸入車への25%の追加関税が3日から開始され、5日からほぼすべての輸入品に一律10%の関税が課される。
     相互関税は米国が抱える巨額の貿易赤字解消を目的とする一方的なものであるが、その予兆はあった。トランプ大統領は2月1日に不法移民とフェンタニルの流入を理由にメキシコとカナダに対する追加関税の適用を4日から開始する大統領令を発表し、三国で結ばれていた北米自由貿易協定による自由貿易を享受してきた隣国を驚愕させた。さらに、同協定に定める非課税基準額ルールの適用停止を留保する大統領令を3月2日に発表し、両国との交渉に臨んだ。メキシコからは大幅な譲歩を勝ち取り、カナダとは駆け引きが続く。全世界が固唾を吞んで見守ったが、今度はその世界を相手に「米国ファースト」と貿易・関税戦争を仕掛けたのである。相互関税は自傷行為になりかねない劇薬であるが、トランプはカナダ、メキシコとの前哨戦でそれなりの手応えを掴み、米国に正面切って楯突く国はないと高をくくっていた。「平和の構築者となる」(就任演説)とウクライナ和平イニシアチブを発揮し、「バイデンの戦争」に辟易していた米国民を熱狂させた興奮冷めやらず、気が大きくなっていたとみられる。
     相互関税は、第二次世界大戦後に世界が積み上げてきた自由貿易に基づく関税秩序を天の一声で一変させるトランプ節全開であった。「米製造業の黄金時代の到来」とテレビカメラに向かって外連味なく吠える顔は高揚感に満ちていた。トランプ2.0の絶頂期であった。だが、満月がその瞬間から欠け始めるように絶頂は没落開始と同義であり、波乱の船出となる。

     トランプ2.0の外交、経済政策は第二次世界大戦後に米国が先導して積み上げてきた自由貿易秩序を根底から揺るがす非常識極まるものであったが、トランプ自身が「“常識”の革命」と目的意識的に肯定していた。官僚組織やシンクタンク、大学研究機関を渡り歩く「ワシントンのエリート」に対する嫌悪を隠そうとせず、自分と同じ不動産業や投資ファンドで成功した友人、知人を政権の中枢に抜擢した。懲りたのか、一期目で重用したポンぺオ国務長官やボルトン補佐官らは再登用せず、不動産投資で億万長者になった40年来の同業者のウィトコフを外交担当の特使に抜擢した。グラス新駐日大使もその一人で、トランプへの大口献金者として知られるが、着任記者会見(4月18日)でトランプ2.0で共有される問題意識を率直に明かしている。「米国は巨額の債務を抱えている。債務が10兆ドル(1420兆円)に達したら米国経済は終わると思っていたが、いまや債務は40兆ドルに迫っている。経済再建に取り組んでいる」と、並々ならぬ危機意識を隠さなかった。

     一枚めくれば、そうした状況を放置し既得権益に胡坐をかいてきた官僚、裁判官、メディアのエリート層への抜きがたい不信感が見える。下手な理屈をこねず、分かりやすいといえば分かりやすいが、「政府をビジネスのように運営する」と檄を飛ばすトランプをいわば最高経営責任者(CEO)と担ぐ彼らは不動産業の現場の修羅場をくぐった実業家らしい現実主義的な財政再建派であり、赤字国債の無制限発行を求める新経済理論(MMT)派は夢想的な詐術を弄する投機集団扱いしてまともに相手にしない。カラー革命支援など米国の対外援助の中核を担っていたUSAID(米国国際開発庁)解体など政府機関の解体縮小や職員の大量解雇による経費削減と財政再建策を遮二無二押し進め、「キーワードは同盟より、貿易赤字」と軍事費も外交交渉のテーブルに載せる。
     彼らの究極の目標は何か?関税収益を米国に残された最大の収益源と見定め、「グローバル化で富を奪われてきた」と他に責任転嫁し、「収支のバランスを取り戻したい」、「製造業の回帰」とその極大化に総力を挙げる。「大卒以外の給料は1970年代と変わらない」と没落した中産階級に寄り添うが、超富裕層の彼らを労働者階級の利益の代弁者とみなすのは論理の飛躍であろう。畢竟、米経済がデフォルトや大恐慌に遭えば一蓮托生との思いがあるのであろう。既成の常識をあざ笑い、「MAGA」と口幅ったいことを得意気に口にする当代随一の英雄主義的なロマンチストである。機智とユーモア、冒険に富んだ華麗なハリウッド映画に全世界が魅了された米国史上唯一無二の黄金時代(1950年~1960年台)に青春時代を送ったベビーブーマー(1946年~1964年)ならではの、人生の消えない残照かもしれない。
     大統領選挙運動中に狙撃されて危うく一命をとりとめて以来、「全能の神のご加護」を口にすることから、世界最終戦争と終末論を説くキリスト教右派の福音派の影響を指摘する声もあるが、選挙運動以上の意味はないだろう。聖書には「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」との一節があるが、トランプが敬虔なキリスト教徒がそうするように浄財を寄付した話はトンと聞こえてこない。カネが力と信じて疑わない徹底した金銭信奉者が実像に近い。映画俳優から高齢になって大統領に転じ、「強いアメリカ」を演じ続けたレーガンへの親近感を隠さない。カネにならないイデオロギーを冷笑し、現生の利益実現にすべてを注ぐ分かりやすい超現実主義者を人生の最終章で演じ切ろうとするだろう。人生は舞台であり、いかなる役割を演じるか、それが問題なのだ。

     はたして破天荒なロマンチストの前に強敵が立ちはだかった。相互関税発表2日後(4月4日)、中国は米国からの全輸入品に34%の追加関税を10日から課すと発表し、全面的に対抗する姿勢を露にしたのだ。世界二大経済大国間に相互の輸入品への関税の掛け合いが始まり、米145%。中国125%と睨み合う。現場の関税はサプライチェーンが入り混じって複雑多岐にわたり、IMF試算によると米国の対中実効関税率は115%と中国の対米実効税率146%より低くなっている。
     米中貿易戦争勃発にニューヨーク株式市場が激しく反応した。株価、債券、ドルのトリプル安に見舞われ、米10年国債利回りが 4.2%(2日)→3.89%(4日)→4.51%(9日)とごく短期に山から谷へと変動したのだ。米国債利回りがわずか一週間で0.6%上昇して4・51%となったのは同時多発テロ(2001年)以来、最大である。相互関税発表直後、安全資産とされていた米国債に逃避資金が集まるのを知らされてトランプはほくそ笑んだが、ほどなく価格下落と利回り急上昇に転じたことを知らされ、顔色を失う。米国債やドルの信認度に黄信号が点灯していると進言され、さしものワンマン大統領も戦略の手直しに応じるしかなかった。
     そして、米国債利回りが急上昇した同9日、事態は一転する。トランプは自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」に「相互関税に報復措置を行わなかった国々を対象に引き上げ措置の一部を90日間停止し、10%の相互関税の適用だけを認める」と書き込んだ。極めて変則的ではあるが、これもトランプ流の大統領令である。停止の理由は明かさなかったが、ベンセント財務長官が記者団に「75カ国以上から(ディールの)連絡があった」と補足説明したことから推して、当面、中国に的を絞り、なんとかしてディールに引き込もうとする新手の作戦に切り替えた、切り替えざるを得なかったとみられる。
     朝令暮改に国内から澎湃と非難の声が湧き上がった。民主党のシューマー上院院内総務が「トランプは動揺し、後退している。混乱による統治だ」と歯に衣着せず批判したが、党派的感情を差し引いても真実の一面を鋭く突いたことは間違いない。朝令暮改がすべて悪ではなく、臨機応変と評価される場合もある。とはいえ、過信から自ら陥穽に落ち込んでいることは否定できない。
     トランプ政権内でも動揺が広がる。トランプに巨額の政治献金をし、トランプ2.0の目玉とされた新設の政府効率化相に抜擢され、USAIDはじめ政府機関の解体・縮小や職員首切りに大鉈を振るっていたイーロン・マスクが、イタリアでのオンライン会議(5日)で「米欧間の関税ゼロと自由貿易を望む」と豹変した。分かりやすいといえばその通りで、米中欧を股にかけた典型的な多国籍企業である持ち株会社のテスラ株暴落に衝撃を受けたのである。公衆面前でチークダンスを披瀝していたトランプとの蜜月は終わり、解任説が飛び交い、不正選挙疑惑まで持ち上がっている。

     ワンマン大統領の脳内で何が起きていたのか?
     トランプ式の相互関税は闇雲というわけではなく、プラザ合意2.0を思い描いていた。ドル安誘導、米国債の超長期化、安全保障と経済政策の紐づけ、関税の戦略的活用といった基本経済方針は、いずれもそこに紐づけられている。トランプが「ドル安こそ輸出に有利」と譲らないのは、プラザ合意(1985年)が脳裏に焼き付いているからである。G5(米、英、仏、西独、日)がドル高(1ドル=242円)の是正のためにドル売り協調介入したのがプラザ合意だが、1988年初には1ドル=128円と大きくドル安・円高へと誘導し、米国に対日貿易赤字是正の実益をもたらした。ドル安でもドルの信認度が傷つくことはなく、世界的な金融危機の度にドル建て米国債が「世界一の安全資産」とみなされて資金の逃避先として買われ、「米国の例外主義」と称えられた。並ぶもののない世界最強の経済力が強力な復元力として作用したのである。
     例外が範となるのは奇妙な現象だが、私が俯瞰したところでは、「米国の例外主義」は一種のアクロバットであり、ドル紙幣と金との兌換停止を発表したニクソン・ショック(1971年8月15日)と連動している。上回るものがあった。金為替本位制度に基づくブレトン・ウッズ体制を崩壊させ、「ドル・ショック」とも呼ばれるニクソン・ショック時の為替相場は1ドルが360円→320円へと急落したニクソン・ショックには1次、2次があり、第1次は第2次の1カ月前にニクソン大統領が訪中を宣言したことを指す。それは中ソ対立の亀裂をさらに拡大して社会主義陣営を真っ二つに割り、ソ連崩壊のプロローグとなった。つまり、「米国の例外主義」はライバルを消し去ったニクソン・ショックの副産物である。さらに付け加えれば、バイデンのウクライナ関与政策にはその再現でプーチン政権と習近平政権を同時に葬り去る果てしなき野望が秘められていたが、見事に失敗し、中露を旧同盟関係復活へと限りなく近づけてしまったのである。
     トランプの極端な相互関税は平たく言えば、「米国の例外主義」に賭け、危機的な状況の米国家累積債務を削減する切り札と関税の財源化をもくろんだ大博打であった。通貨政策を所管するベッセント財務長官も「他国が通過を安くしようとしていることは容認できない」と片棒を担いだ。本来は「強いドル」志向の堅実な投資ファンド出身だが、巨大な貿易赤字解消のためには“一時的なドル安”もやむを得ないと腹をくくった。
     しかし、米資本主義の最後の砦が怪しくなってきた。米株式市場の株価は史上3位の暴落を記録し、猛烈なインフレの脅威が庶民生活を覆った。全輸入品に一律10%の基本関税を課す措置が発効した5日、全米50州で60万人(主催者発表)がトランプ退陣を求める抗議デモに参加し、「独裁者ノー」のシュプレヒコールを上げ、社会保障など公共サービスの削減反対を要求した。支持率が急低下し、不支持率と逆転したとの世論調査も出てきた。米国債の価格と利回りがジェットコースター状況の最中、ニューヨーク金融街で衝撃的な情報が飛び交った。「米国債が大量に売りに出された」というものであり、中国の報復が疑われた。
     米債券市場にこれほどの影響力を有するのはダントツの米国債保有国である日本、中国以外にありえないが、「関税交渉のモデルケース」を目指すと繰り返す石破首相にその選択肢はない。日本の歴代首相にはあるトラウマが受け継がれている。為替を巡る日米交渉(1997年6月)で難渋した橋本首相がコロンビア大の講演会での質疑で「米国債売却の可能性」について冗談めいて言及したところ、すぐさま米側から「宣戦布告とみなす」と警告され、縮みあがった。爾来、自民党政府にそれは鬼門となった。

     ドルの国際基軸通貨としての信認度に直結する米国債の命綱を握られた中国には、トランプも慎重になるしかない。行政命令署名式(4月17日)で「中国との関税交渉は3~4週間内に妥結すると思う」と一転、融和的な観測球を上げた。習近平と直接対話したことがあるかと記者に突っ込まれると、「我々と中国との対話は継続中だ」と前向きな姿勢を強調した。他方で、公定歩合の利下げで景気を刺激しようとパウエルFRB議長に解任を示唆して迫ったが、受け入れられず、それが株価混乱に拍車をかけていると見て取ると、「解任するつもりはない」と豹変した。
     中国との本格的なディールを念頭に環境整備に力を入れ始めたが、皮肉なことに、頼りになるのはいまだに“バイデン構文”通りに日米同盟を忠実に奉じる日本くらいしかいない。中国への交渉を呼び掛けた行政命令署名式前日、石破首相の特使格で訪米した赤沢経済再生担当相との一対一の飛び入り会談に臨んだ。事前に「軍事支援のコストについても話し合う」とSNSに事前に投稿し、在日米軍の駐留経費の大幅増額を求める意向を示していたが、異例の会談の内容は伏されたままで、背後で見守っていたベッセント財務長官が「非常に満足に行く方向で進んでいる」と煙幕を張った。中国に内輪もめを見られたくないのは同じである。同日、イタリア首相とも会談し、ベッセント財務長官は「Big15の経済国との協商を優先している」と苦しい胸の内を明かしたことから推して、中国とのディールに備え味方を増やしておく作戦に重点を置き始めたと考えられる。

     トランプに中国と正面切って貿易戦争をする余裕は、ない。一時はどこまで上げるかと世界がハラハラドキドキしながら注視した中国への追加関税について「大幅に下がるだろう。強硬な交渉はしない」(4月22日)とトーンダウンした。「特別交渉で今後2~3週間以内に関税率を決める。習近平主席と私は仲が良い」(23日)と、拳をいつの間にか握手に変え、「中国への追加関税を50~65%程度にまで引き下げることを検討している」(ウオールストリート・ジャーナル23日)とディールの秋波を送る。
     なりふり構わぬ相互関税90日間停止発表は、一言でいえば、中国の実力を痛感させられ、無視できなくなったためであった。ドル信認度低下に反比例して人民元の信認度が高まるようなことがあれば、ドルは基軸通貨としての地位を脅かされ、世界をリードしてきた米国の時代は終焉する。成長の限界に達して矛盾を露呈した米資本主義は、インフレと景気の減速が同時進行するスタグフレーション、いわば資本主義経済の癌に侵され、いよいよ寿命が尽きかねない。
     米中の逆転などあってはならないと考える人にも、数字は厳しく語る。購買力平価換算の2024年GDPは中国38兆1542億ドル、米国29兆1849億ドルである。為替レートは2国間の物価上昇率の比で決定するという観点から算出するのが購買力平価で、各国の物価水準の差を修正してより実質的な比較ができるとされている。名目GDPでは米国29兆1678億万ドル、中国18兆2734億ドル、ドイツ4兆7100億ドル、日本4兆0701億ドルの順となるが、ドル安の影響がもろに出てくるのは名目の方である。いずれもIMF統計に基づくが、同「世界経済見通し」(4月22日発表)は昨年の各国の実質経済成長率と今年の予測(IMF統計)を中国4・8%→4・0%、ロシア3・6%→1・5%、米国2・8%→1・8%、日本0・3%→0・6%と弾き出した。

     米相互関税の煽りで世界の今年の実質成長率は前年の3・8%から2・8%に低下し、米、日、英(1・1)、ドイツ(0・0%)、フランス(0・6%)、(EU0・8%)と米欧日側にダメージが大きい。中国の上昇、米国の後退の背景には識字率など歴史の長短からくる文明力の差があり、「中国から出される科学論文数は米国を凌駕し、材料科学分野では中国はすでに世界のリーダーになっている」(ソープ・米科学誌サイエンス編集長)と米国でも率直に評価する声が高まっている。
     カウンターパートナーの習近平総書記は黙して語らないが、単純に喧嘩腰というわけではない。トランプ大統領のウクライナ和平イニシアチブを高く評価していることに変わりはない。また、トランプが昨年12月の大統領選挙勝利後の初会見で「中国と米国は全世界のすべての問題を共に解決できる。非常に重要だ。彼(習近平)は私の親友だった」と述べたことは中国でも大きく報じられた。突飛で予測しがたいが、計測可能な実利重視なので交渉の余地がある。民主主義がどうの権威主義がどうのと、手前味噌の二分法的なイデオロギーに固執して安保問題に偏り、対話すら難しかったバイデン前大統領よりは、はるかに与しやすいー習近平主席はそう考え、片眼で日本の動向を窺いながらジックリと構える。

    2 「代理戦争」から新G3₊へのパラダイムシフト


     プーチン大統領が「特別軍事作戦」(2022年2月24日~)を発令して始まったウクライナ戦争は「侵略」、「国際法違反」と単純に括れるものではなく、その本質はウクライナのNATO加盟如何で角逐する米露の「代理戦争」である。プーチンとバイデンの狡知の産物であり、人類にとってせめてもの救いであったのはサンドバッグのようにゼレンスキーを挟むことで二大核超大国の正面衝突が避けられたことである。

     ロシア非難一色となった報道の裏に隠されてしまったウクライナ戦争の真実であるが、憶測やプロパガンダまがいの情報、いわゆる陰謀論まで飛び交う中、事実と価値判断を峻別しながら一次情報を抽出、検証してそれを明らかにしたのが拙書『ウクライナ戦争と日本有事 “ビッグ”3のパワーゲームの中で』(2023年9月刊)である。ウクライナ戦争勃発の翌年に著したが、その原因を探り、バイデン大統領、プーチン大統領に習近平主席が絡んだパワーゲームを解き明かした。様々なベクトルが世界の人々を一喜一憂させたが、勝利の女神はいつの世も奢った方に背を向ける。バイデン大統領が決め手と考えた対露経済制裁がブーメランとなって西側を直撃し、大勢は決したと指摘した。
     バイデンの最大の失敗は、時代錯誤の反共イデオロギー偏重にあった。習近平が中国トップに収まるや打ち出した「社会主義現代強国」路線に驚愕し、「民主主義」、「法の支配」といった自前の価値観でNATO諸国やG7など同盟国を糾合する“バイデン構文”で反中包囲網形成へと動いた。その弾みでゼレンスキー大統領を誘ってウクライナのNATO加盟工作を露骨に進め、プーチン・ロシア大統領の反発を買った。プーチンは米露首脳会談を求めたが、バイデンは応じるとしながら、土壇場でキャンセルした。痺れを切らしたプーチンが「特別軍事作戦」に踏み切ると、もっけの幸いとばかりに対露経済制裁を主導した。「ロシア経済は一カ月も持たない」と読んでいたのだが、資源大国は底力を発揮する。さらに、ロシアを背後から支援する中国の動きがバイデンを追い詰めていく。ドイツなど西欧にLNGや原油を供給してきたロシアへの経済制裁は米欧日に超インフレ→高金利→不況の負のパラレルを招き、社会不安を醸した。
     中東のパレスチナ・ガザでも、ウクライナと酷似した領土紛争の火の手が上がる。ウクライナをはるかに上回る民間人殺害を重ねるイスラエルのネタニヤフ政権をバイデンが露骨に支援したことでダブルスタンダードと非難する内外世論が沸騰し、“バイデン構文”は完全に神通力を失い、大統領再選は幻と消えた。バイデンとともにゼレンスキー政権を支援してきたジョンソン英、岸田、ショルツ独、トルード加らG7首脳がいずれもドミノ辞任に追い込まれ、事実上、ウクライナ戦争はプーチンの粘り勝ちとなった。
     バイデンがトランプ2.0と入れ替わって新“ビッグ3”の新たなパワーゲームが開始されたが、脱米一極主義⇒新国際秩序形成へと向かう流れはもはや止められない。様々な偶然的な要素を貫く歴史の必然と言っても過言ではない。米経済をしのごうとする中国経済の勃興で米一極主義的な国際秩序は経済的土台から崩れ、変革を求められている。新G3協調による安定した変化か、無秩序な多極化・ブロック化か、それが厳しく問われていくだろう。

     トランプ大統領は専断的に大統領令を乱発しているが、盲打ちとの批判は当たらない。独善的なイデオロギーでウクライナ、中東で無用な戦乱と混乱を招いたバイデン大統領にノーを突き付け、収拾への道を開いたことは世界平和の観点から高く評価できる。ロシアのウクライナ侵攻を「国際法違反」、「侵略」と非難の大合唱を繰り返す人々は、結果だけに囚われている。我々の目に映るすべての事象は結果であり、見えにくい原因がある。プーチン大統領は当初からバイデンによるNATO拡大工作がウクライナ侵攻の「根本原因」と批判していたが、NATOと一体化した同盟国のG7は鼻から耳を傾けようとしなかった。しかし、トランプ⒉0は「バイデンの代理戦争」と躊躇することなく声を上げた。すでに一期目でNATO解体論を唱えていたトランプにはウクライナ戦争の構図、その因果関係が手に取るように見えていたのである。同盟の欺瞞性にも気付き、顧みることがなくなった。
     そもそも同盟国の定義づけが、バイデン前大統領とトランプ大統領では全く異なる。前者にとって同盟国とは名分上は価値観を共有する安保集団だが、その実、米国の国益追求の補助組織である。ソ連崩壊に歓喜の声を上げたバイデンは東西冷戦終了を西側の完全勝利で仕上げるため、民主化を名分にカラー革命を支援してロシアを含む旧ソ連圏、中東での米国の影響力を拡大し、最終的には東側の最後の遺物とみなす中国を清算したいとの野望に燃えた。それが“バイデン構文”の本質である。
     他方、トランプはそれをバイデン個人の無謀な欲望、税金の無駄遣いと全否定する。米国ファーストの孤立主義こそ実利に適った現実主義的な外交と認識したのである。その目に、バイデンが糾合した同盟国、同志国はせいぜい米中心のトラストかカルテルとしか映らない。容赦なく、米軍駐留費を含むこれまでの投下資金回収のディールの対象とするのである。
     トランプ2.0の政策がすべて正しいという気は毛頭ないが、少なくとも、バイデンの暴走を止めた劇薬的な効果は認められる。それを選挙で評価したのが、ほかでもないアメリカ国民である。“バイデン構文”の偽善性を訴え、バイデンを「米国史上最悪の大統領」と舌鋒鋭くこき下ろした共和党候補を米国民は選択したのである。
    傍から見れば場外乱闘のようなシナリオなき政権交代劇であるが、現代米資本主義の矛盾が誘った必然的な結果と言えよう。民主党大統領候補の座をクリントン元国務長官と争って惜敗したサンダース上院議員が指摘する「1%VS99%」の極端な格差拡大で四分五裂した国内状況の反映である。移民でも誰でも努力さえすれば報われるアメリカンドリームが夢幻と霧散し、緩衝階層の中間層の没落で1%の資本家と99%の労働者の階級闘争が激化し、革命的変革を求められているとの指摘は的外れではなさそうである。
     その先頭に立っているのがトランプ大統領であるが、不動産業で財を成した当人にその自覚はあまりなさそうである。「米国から製造業を奪った」とグローバル資本主義を真っ向から否定するが、自己撞着の謗りを免れない。というのも、製造業云々は元来、英国に代わって世界的覇権国家に台頭したアメリカが第二次世界大戦後に推し進めた結果である。低廉な労働力と資源を求めて製造業を中国など海外に移転し、莫大な利益を米国にもたらしたが、米国をはるかにしのぐ文明史を誇る中国はいつまでも低廉な労働力供給地、被搾取の地位に甘んじていない。移転した海外企業の技術やノウハウを吸収し、それ以上のものを作り上げていくのである。中国は米国をしのぐ製造業大国にのし上がったが、それを主導した鄧小平の改革開放政策の先行事例が日本であり、とりわけ、韓国の朴正煕政権の開発独裁を大いに参考にした(『韓国を強国に変えた男 朴正煕』、『二人のプリンスと中国共産党』参照)。

     他方、米国には金融と通販主体のIT企業しか残らず、テスラのEV自動車やアップルのiPnoneの主力製造工場はいずれも中国にある。それは1000億ドルの資産を有する世界一の富豪となったテスラ創業者のイーロン・マスクをはじめとする富裕層を生み出したが、米国内は惨憺たる状況となった。かつてはアメリカの繫栄の象徴とされたアパラチア山脈に沿った工業地帯は鉄鋼や自動車産業衰退で「ラストベルト(赤錆地帯)」に転落しているが、トランプは「製造業を取り戻し、MAGA(偉大なアメリカ復活)」と公約して民主党の票田を労働組合もろとも奪った。とは言っても、トランプを労働者の意思と利益の代弁者とするのは早計である。トランプの最大の支持基盤は160年前の南北戦争で南部連合を形成したミシシッピー、フロリダ、テキサスなど深南部11州であり、伝統的に北部のワシントンの政治家やエリートへの反感が強い。
     大統領復権を目指したトランプは「長く不当に扱われ、裏切られた人々の正義を私が実現し、報復する」と深南部の歴史的感情をわしづかみし、同調圧力で丸ごと支持岩盤とした。不動産業で財を築いた青年期からの体験がベースになっていると見られが、顧客のニーズを巧みに吸い上げ、相手の弱点を突きながら交渉の主導権を握るのがトランプ流ディールの基本パターンとなっている。
     外交もその延長線上にあり、相互関税をディールの最重要手段と位置付ける。ラストベルトの労働者の要求にこたえて製造業を米国に戻し、深南部の農民の求めるままに農産物を売り込もうとする。だが、トランプが思った以上に相手は手強い。昨年の米国の主要輸出相手国はカナダ(18・3%)、メキシコ(15・7%)、中国(8・4%)、日本(4・4%)の順で、主要輸入国は中国(21・6%)、メキシコ(13・4%)、カナダ(12・8%)、日本(5・8%)となる。輸出を増やし、輸入を減らして貿易赤字を解消するのがトランプの基本戦略であり、最大の輸入相手国である中国に的を絞ることになる。
     しかし、米国の抱える最大の矛盾はほかにある。仮にディールがトランプの思い通りに進んだとしても、MAGAを額面通りに実現するのは難しい。中産階級を生んだアメリカンドリーム復活は内なる壁、「1%VS99%」の極端な格差の壁を除去しない限り、真夏の夜の夢でしかない。政府効率化省の統括責任者に抜擢したマスクは1000億ドルの個人資産を有する世界一の富豪と言われる。他の側近たちも富豪ぞろいであり、トランプ自身が長者番付の何位かに名を連ねる。米経済の成長が限界に来ている中、限られた富裕層に富みが偏在すればするほど、大多数が弾き出されて貧困に沈む。

     当たり前のことだが、トランプは減税を口にしても、累進所得税は口が裂けても言わない。富の公正な再分配なくして中産階級復活のMAGAなど夢のまた夢である。対する習近平は容赦ない腐敗撲滅と貧困撲滅の両輪で「平等に貧しい社会」から「平等に豊かな社会」への脱皮を目指す。勝利の女神はどちらに微笑むであろうか。

     習近平主席は米国の状況を熟知している。トランプ大統領は一期目の2017年11月に訪中した程度であるが、習近平は副主席時代から米国各地を見て回り、米国の強さも弱さも熟知している。敵を知り己を知れば百戦危うからず、と教えた孫氏の兵法の手練れた実践者であり、トランプ相互関税に硬軟両様で「とことん戦う」と一歩も怯まない。
     訪中したスペインのサンチェス首相との会談(4月11日)で「米国は世界と敵対すれば孤立する」と述べ、EUとの共同戦線構築の布石を打った。さらに、米中貿易戦争の主戦場の一つとなるベトナム、マレーシア、カンボジア歴訪(4月14日~18日)へと発った。中国の最大の貿易相手国は国別では米国だが、東南アジア諸国連合(ASEAN)よりも少なく、昨年の輸出額(3兆5772億ドル)はASEAN16・4%、米国14・7%、EU14・4%、日本4・2%となる。それを踏まえてトランプ相互関税の標的になった180以上の国・地域にウイングを広げ、米国の気まぐれ関税政策に左右されない自由市場構築へと驀進するだろう。
     習近平は危機をチャンスに変えようとしている。トランプ1.0で高関税の標的にされた中国はASEAN経由による対米輸出で交わした。中国企業に続いて、日本、韓国の企業もベトナム、タイなどASEANへと一部生産拠点を移した。トランプ2.0はASEANにも高関税を課してその道を閉ざそうとしているが、中国は逆手に乗る。米国の比重低下を見据えたサプライチェーン再編、米国以外の輸出市場拡大へと舵を切っているのだ。
     インドネシアと共にASEANで存在感を増しているベトナムの根本志向が、ベトナム社会主義共和国の正式国名通りに中国と同じであることを見逃してはならない。ベトナム経済再建をもたらしたドイモイ政策は、本質的には鄧小平の改革開放政策と同じ社会主義経済再建・復活にある。習近平総書記はベトナム共産党のトー・ラム書記長とのトップ会談で「ベトナムとの関係発展に私は自信に満ちている。運命共同体の構築を引き続き進める」と述べ、トー・ラム書記長も上機嫌で応じたが、両国首脳が「運命共同体」と認める国はそうはいない。
     いわゆる西側でもEUに報復関税の動きが顕在化し、カナダ総選挙(4月28日)でカナダ併合論や関税圧力を掲げるトランプ大統領への強硬姿勢を訴える中道左派の与党自由党が第1党となっている。世界経済のパラダイムシフトが確実に起きており、習近平はチャンス到来と満を持す。
     とはいえ、習近平にトランプと全面衝突する気はサラサラなく、基本姿勢はあくまでも対話である。中国商務省報道官は声明(5月2日)で、「米国が最近、関係機関を通じて中国にメッセージを送り、中国との貿易協議を希望している。中国は現在、これについて検討している」と表明した。「関税・貿易戦争は米国が一方的に開始したものであり、もし交渉を望むのであれば、不正行為の是正や一方的な関税引き上げの中止など真摯な姿勢を示さなければならない」と注文を付けることも忘れなかった。ルビオ国務長官が前日、米FOXニュースのインタビューで「ベッセント財務長官が深く関わっており、協議は間もなく行われる」と述べており、いよいよ噛み合ってきた。
     習近平主席がトランプ大統領の和平イニシアチブを、ウクライナ戦争の根本原因解消を見据えていると高く評価していることに変わりはない。自身がいち早く総論的なウクライナ和平案を提示しており、もろ手を挙げてトランプ・イニシアチブを歓迎こそすれ、反対する理由はない。経済分野は利害関係がもろに衝突するので調整に困難が伴うが、内政不干渉を大原則とし、相互の体制の違いを認め合ったうえでの平和的な体制競争で解決策を探るーそれが習近平の目標である。

     トランプ2.0は関税戦争では苦戦中だが、ウクライナ和平イニシアチブで存在感を高めていることは依然として否定できない事実である。
     振り返れば、ホワイトハウスに復帰したトランプの最初の大仕事が、バイデン失脚の要因となったウクライナ紛争の処理であった。早々にプーチン大統領との電話会談で停戦、和平協議推進で合意した。他方、バイデンが「自由と民主主義の守護神」と持ち上げたゼレンスキー・ウクライナ大統領をホワイトハウスに呼び出し、バイデン前政権が与えたウクライナへの経済、軍事支援を有償とみなして鉱物資源採掘権獲得による強制回収を通告し、「大統領選挙を経ない無能な独裁者」と面罵して事実上の代理人罷免を申し渡した。元コメディアンはテレビカメラの前でまんまとピエロを演じさせられたのである。
     トランプ大統領がディールで譲歩する(せざるを得ない)相手は限られている。その一人がプーチン大統領であり、旧ソ連の元KGBエリート中佐はしたたかである。ウクライナのNATO加盟阻止、中立化、非軍事化を譲らず、「ウクライナ和平協議は急ぐ必要はない」と占領地拡大に力を入れる。早期和平で成果を誇示したいトランプが「腹が立った」と追加制裁を示唆すると、側近のドミトリエフ・ロシア直接投資基金総裁をワシントンに送り込み、ウィトコフ中東担当特使と会談した(3月2日)。ウクライナ戦争後にロシア高官をワシントンが受け入れるのは初めてであり、バイデン前政権で断絶した米露対話が軌道に乗り、ウクライナ和平は米露直接協議でゴールを目指す基本的な枠組みが確立したということである。

     世界が注視する和平案の輪郭が次第に明らかになる。バイデン失脚後もウクライナ支援にこだわる英仏などNATO諸国との会議(4月17日)にバンス副大統領が参加し、恒久的停戦の構想案を伝えた。その構想案について、米ニュースサイト・アクシオス(4月22日)がトランプ大統領の「最終提案」としてウクライナや欧州主要国に示されたとする1ページの原案をすっぱ抜いたが、大方、ロシア側の要求を受け入れている。ウクライナのNATO非加盟、米欧各国の対露制裁解除、ウクライナ東・南部4州のロシア占領認容、ロシアによるクリミア半島領有承認、現在の戦線での凍結、ウクライナのEU加盟容認となっている。ウクライナ側が求める「強固な安全の保証」については、欧州有志国で構成する平和維持部隊のウクライナ駐留を認めるが、米軍は参加しない。南部のザポリージャ原子力発電所と周辺地域は米国が管理。同日にウクライナの資源協定締結の覚書が米ウ間で交わされ、ウクライナの希少鉱物資源開発で得られる利益を共同管理の「復興投資基金」に拠出し、米国がこれまでの支援金を回収すると記された。
     不信感を募らせた英仏独とウクライナの代表団が同月23日に米代表を交えてロンドンで会談したが、米国のルビオ国務長官、ウイトコフ特使が欠席し、事実上、聞き捨て置くとなった。トランプ政権で外交交渉を一手に担うウイトコフ特使は2日後にモスクワを訪れ、プーチン大統領と4度目の会談を行った。3時間にもわたる会談では米特使が「ロシアは停戦に興味がないようだ」と痺れを切らしているトランプ大統領の不満を率直に伝え、腹を割ったやり取りが交わされた。その詳細は不明だが、ぺスコフ大統領府報道官が「ロシアは前提条件なしにウクライナと交渉する用意がある」とのプーチン大統領の意向を記者会見で明かし、ウクライナ和平は今後とも変わらず米露主導で進めることを再確認した。また、「(ロシア軍が占領したウクライナ東南部)4州は住民投票でロシアの行政区域になった」と付け加え、米露間で秘密合意があったことを示唆した。
     バチカンでローマ教皇の葬儀が執り行われた4月26日、トランプは葬儀直前に15分間だけゼレンスキーと会談し、「以前より冷静になった」と上機嫌で評した。自分が示した構想案を受け入れたと理解したのである。同月30日、アメリカとウクライナは「ウクライナ国内の鉱物資源を共同開発する」と合意した。ゼレンスキー大統領は翌日、SNSに「対等な協定でウクライナに多額の投資の機会を創り出し、産業の近代化をもたらす」と書き込んだが、押し切られたということである。他国に軍事支援を頼んだ国の宿命であるが、トランプはバイデン前政権によるウクライナ支援金を3500億ドルと評価して有償とし、全額回収を目指して鉱物資源を担保とすることを目指してきたし、今後も変わらないだろう。

     プーチンの本音は停戦前に極力、占領地を拡大することにある。そこで存在感を高めているのが朝鮮である。長期化したウクライナ戦争は双方ともに弾薬等が枯渇し、戦線が膠着状態になった。それが動き出したのは、ロシアとの「戦略的パートナーシップ協定」を締結した朝鮮が弾薬・ミサイル・自走砲を支援してからである。ジリジリ押されたゼレンスキー大統領は起死回生の秘策とばかりに昨年9月、ロシア領のクルスク州奇襲攻撃を敢行する。だが、今度は強力な朝鮮特殊軍団参戦を招き、弱り目に祟り目となる。
     東アジア情勢にも少なからぬ影響を及ぼすことであるが、ゲラシモフ・ロシア軍参謀総長はクルスク州奪還をプーチン大統領に報告(4月26日)し、「朝鮮軍はウクライナ軍戦闘集団を壊滅させる戦闘で大きな支援をした」と朝鮮兵参戦を初めて公式に認めた。それを受けて朝鮮労働党中央軍事委員会が声明(27日)を出し、「金正恩総書記が包括的戦略パートナーシップ協定第4条に当たると判断して参戦を決定した。解放作戦が勝利のうちに終結し、同盟関係の戦略的な高さを誇示した」と称えた。金正恩はピョンヤンにおける戦闘偉勲碑建立を表明し、朝鮮中央通信、労働新聞が内外に大々的に伝えた。ロシア国防省系メディアなどが28日に報じた映像で、北朝鮮兵がクルスク州で集落を奪還し、ロシア兵と抱き合う様子を流した。それを受けてプーチン大統領は「朝鮮兵の英雄的行為に敬意を表する」との声明(28日)を出し、ペスコフ大統領報道官はロシア側も有事に朝鮮に軍事支援すると同協約第4条の相互自動介入条項を強調した。朝鮮が米主導の一連の制裁で孤立しているとの西側の風評を一掃したのである。朝中友好協力相互援助条約は存続しており、ソ連崩壊で揺らいだ朝中露の軍事同盟は復活軌道に乗ったとみて間違いない。
     朝鮮軍派兵を「違法な侵略加担」と一方的に非難するのは、衡平性を欠いている。G7から早速非難の声が出たが、“バイデン構文”に従いゼレンスキー政権への軍事・経済支援で代理戦争の一方の当事者となっており、客観性、中立性の観点から問題がある。少なくとも朝露側はそう判断するし、国際世論も釣り合いが取れていないと訝るだろう。

    いまだに賛否両論割れるトランプ・イニシアチブだが、ウクライナ和平の道を開いたと後世の歴史家は評価するだろう。その決定的契機は、トランプ大統領自ら他方の当事者であるロシアとの直接対話で「代理戦争」の幕を下ろしたことにある。
     歴史発展の弁証法であるが、トランプ2.0誕生はバイデンのオウンゴールに大いに助けられた。バイデン前大統領は就任直後にアフガンから一方的に米軍を撤退させ、カブールの味方を見捨て、敵であるタリバン政権樹立に手を貸した。米一極主義に挑戦する「唯一最大の競争者」と指弾した中国に的を絞って戦略資源を集中するとの身勝手な弁明は、この時点ではまだ一定数の理解を得ていた。勢いを駆って、「価値観外交」と称するイデオロギー外交でG7をはじめとする同盟国、同志国、その他を糾合し、NATOをウクライナに拡大して中国寄りのプーチンを圧迫、排除し、中国包囲網を完成しようとした。同時進行的にUSAIDなどが人道援助の裏で“バイデン構文”を世界中に拡散し、米国の正義で洗脳しようとした。しかし、世界地図に気が向くままに線を書き入れる途方もない野望は、はたして頓挫した。策士、策に溺れ、彼我の力関係を見誤り、米国民からもノーを突き付けられたのである。
     “バイデン構文”を全否定する先頭に立ち、誕生したのがトランプ2.0にほかならない。ルビオ新国務長官は「(バイデン政権下の)国務省は過激な政治イデオロギーに縛られている」と一刀両断に切り捨て、民主主義や人権推進などの部署の統廃合による国務省再編計画を発表(4月22日)した。民主党のシャヒーン筆頭理事は「中国やロシアがその空白を埋める」と反対したが、馬脚を現したとはこのことである。
     トランプ・イニシアチブを機に、代理戦争による米中露のパワーゲームがパワー・オブ・バランス(勢力均衡)へと昇華し、 G3₊による新秩序形成の動きが始まったことも否定できない。第二次世界大戦後の国際秩序がウクライナ戦争で揺らぎ、再編の大きな一歩を踏み出したのである。
     それを世界に可視化したのが、国連安全保障理事会で採択された「ロシアとウクライナの紛争の迅速な終結」を求める決議(2月24日)である。トランプ2.0が国連安保理に同決議案を提出し、米露中はじめ10カ国が賛成して採択された。韓国は賛成票を投じ、常任理事国の英仏は棄権した。日本のメディアは趣旨を訝ってあまり報じなかったが、「侵略」、「国際法違反」といった従前のロシア批判が一切消えた画期的なものであり、国連総会決議と異なり、安保理決議は拘束力を有する。それを期に国際法上、無条件に「ウクライナ紛争終結」を求める決議がウクライナ問題に関する最高国際規範となったのである。

     さらに刮目すべきは、トランプ大統領がロシアに核軍縮交渉を呼び掛け、新たに中国を交えた3大核超大国=G3主導の核軍縮の枠組み構築の動きを見せていることである。トランプ大統領は再任直後に世界の政財界のトップが集まるダボス会議(1月23)日にオンラインで参加し、ロシアや中国との核兵器削減交渉に意欲を示した。「非核化を進めることができるか見てみたい。十分に可能だと思っている」と述べ、プーチン大統領とかつて「非核化」について話したことがあると明かし、「プーチン大統領は核兵器削減という考えを気に入っていた。中国も気に入っていた」と、米露中の核軍縮交渉に前向きな姿勢をアピールした。トランプ1.0でロシアと新戦略兵器削減条約(新START)延長を話し合い、中国も交えた核軍縮の新枠組作りを進めていたことを想起した発言であった。

     トランプ大統領はその翌月にも「我々の軍事費を半減しようと言いたい」と呼び掛けた。再選ならず中途半端に終わったことを2.0で仕上げたいとの思いが強い。というのも、ウクライナ問題でバイデン大統領と対立したプーチン大統領は一昨年、新STARTの履行停止を一方的に停止し、このままでは同条約は来年2月に失効する。
     トランプ・核削減イニシアチブは一時の気まぐれではなく、“バイデン構文”への強力なアンチテーゼにほかならない。バイデン大統領(当時)が「核共有」「拡大抑止力」と称して同盟国を「核の傘」に誘い、核抑止力への幻想を世界に拡散させ、ロシアとの緊張が高まった。ウクライナ戦争が剣が峰に差し掛かった昨年11月、プーチン大統領は核兵器使用に関するドクトリンを改定し、自国または同盟国ベラルーシに対する通常攻撃が両国の主権や領土保全に重大な脅威をもたらした場合、「核兵器による反撃を検討する可能性がある」と明言した。米英仏の核を共有するNATO軍による攻撃を牽制したものであった。
     それにストップを掛けたのが、一連のトランプ発言にほかならない。ロシア側も心得たもので、プーチン最側近のショイグ安全保障会議書記(前国防相)が国営タス通信のインタビュー(4月24日)で、英仏がNATOに「核の傘」を提供するかのように振る舞い、ウクライナへの「安全の保証」と称して「平和維持軍」派遣を検討していることに「根本原因」を蒸し返すなと警告を発した。英仏に的を絞ったのであるが、米国との対話復活があったからこそ可能なことであった。核軍縮へのトランプとの暗黙の符丁を意識したかのように、プーチン大統領は「ウクライナで核兵器を使用する必要はなかった。今後も必要ないことを願っている」と述べた。ロシア国営テレビがプーチンの大統領就任25年を記念するドキュメンタリー映画「ロシア、クレムリン、プーチン 25年」(5月4日放映)で述べたことであるが、プーチンは「欧米諸国がウクライナへの兵器供与を通じてロシアを挑発し、ロシアに核使用という失敗」を犯させようとしてきた」と改めてバイデン前大統領を批判した。バイデンへの敵意をいまだに隠さないトランプにエールを送ったのであり、新STARTは来年2月を待たずに延長で合意されよう。
     バイデン前政権下で世界に拡散した核の負の連鎖を断ち切ろうとするのがトランプ2.0の核軍縮イニシアチブであり、毒を以て毒を制する劇薬的な効果が期待できよう。というより、ほかに選択肢がないのが偽らざる現実である。ストックホルム国際平和研究所推計(2024年1月時点)によると、世界の核弾頭の推計総数は12,121発で、ロシア5,580発、アメリカ5,044発、中国500発と三国が頭抜けている。米露は新STARTにより何とか歯止めがかかっているが、それに加盟していない中国は核戦力を急速に強化させ、米国防総省は2030年までに1000発を超えると見ている。G3主導の核軍縮の枠組みに取り込めるか、来るトランプ・習近平会談に期待が集まる。

     箍が緩んだNPT(核拡散防止条約)体制を刷新する効果も期待できる。NPTは既存の核保有国に核保有を限定し、それ以外の国の核保有を禁止する枠組みであるが、核保有国の特権に胡坐をかく米露中英仏に反発するようにインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核開発に走り、事実上、野放しにされている。綻びを繕う再検討会議は過去二回とも決裂している。来年の第三回のための準備委員会がニューヨークで進行中であり、米国務省は「米国は核兵器拡散と核戦争への脅威への対処を主導することに尽力している」と声明を発表した。トランプ大統領の意向を代弁したものであることは言うまでもない。
     それと関連して注目されるのが、トランプ大統領が就任早々の記者会見で「金正恩氏とは親しい。彼は核保有国」と公言して核軍縮交渉を示唆したことである。無原則的との批判もあるが、ウクライナ戦争で存在感を高めている核保有国を無視できないとの現実優先の判断と考えられる。一期目で鋭く対立した因縁のイランとの交渉を再開したが、「ウラン濃縮はともかく、核保有だけは認めない」と朝鮮と明確に差別化した。既成と未完を峻別したディールが行われており、すべての核保有国、核開発疑惑が掛かっている国を網羅した実効性ある核軍縮交渉への第一歩と評価できる。
     ロシアと並ぶ超核保有国が核軍縮の音頭を取り始めたことは画期的であり、核兵器全廃を目指す核兵器禁止条約への追い風となるだろう。日本政府は同条約を批准せず、オブザーバー参加すら拒否し、広島、長崎の被爆者たちから非難されているが、「核共有」「拡大抑止力」の親元が核軍縮へと方向転換している以上、時代錯誤と批判されても返す言葉がなかろう。朝日新聞の最近の世論調査(4月27日)によると、「核兵器禁止条約に日本が加盟する方がいい」との世論が73%に達している。主権者の声に謙虚に耳を傾けるのが被爆国日本の在るべき民主主義の姿である。独断外交は日本の安全保障を害することあっても、利することは微塵たりともない。『ロリンズ農務長官が5日、関税交渉のため訪日すると発表した。農産品の輸出拡大のために』

     ウクライナ戦争をパワーバランスの観点から分析してG3₊形成へと向かうと指摘したのは私だが、先行事例が第二次世界大戦後の世界秩序の見取り図を決めた米ソ英首脳による「ヤルタ協定」である。核軍縮を主導する新ヤルタ協定が姿を現しつつあるが、その先鞭をつけたトランプ大統領は当人が切望するノーベル平和賞候補の資格十分である。毀誉褒貶の激しい人物で、その言動はしばしば物議を醸すが、その非核化イニシアチブは同賞を受賞したオバマ大統領の「核なき世界」よりも真正性、実効性がある。プーチン大統領、習近平主席との同時受賞がなれば、米ソが核で睨み合ったキューバ危機以来の核戦争の恐怖に怯える人類は核なき世界へと大きな一歩を踏み出すだろう。
     被爆者たちは「戦争に悪も正義もない。それは絶対悪である」と訴えるが、無差別空爆で犠牲になり、ガリガリに瘦せ細ったガザの子供たちの写真が毎日、同じことを訴えている。ガザもウクライナもその他の戦争も加害者はいつも為政者であり、被害者はいつも一般国民なのである。先に亡くなったフランシスコ・ローマ教皇はロシア軍のウクライナ侵攻を一方的に非難せず、ウクライナに無用な抵抗は国民に犠牲を強いると諭した。一時、「白旗を上げた」と批判する声が日本の新聞各紙にも踊ったが、遺言の末尾で「私の生涯の最後にあった苦しみを、世界の平和と諸国民の友愛のために、主に捧げる」と言い残し、葬儀に駆け付けたトランプ大統領ら各国首脳の魂を揺さぶった。「正義の戦争」を声高に叫ぶ“バイデン構文”にひどく影響され、「抑止力」と防衛力増強を正当化する人々も、それを憲法9条違反の軍拡と反対する人々も、同じ船で未知の荒海を行く運命共同体の一員として謙虚に、衡平に耳を傾ける必要があろう。我々がなすべきこと、出来ることは、安易に正義面して興奮せず、冷静に戦争の原因を突き詰め、除去し、同じ愚を繰り返さないことに尽きる。
     その意味で朗報と言うべきだろう。前掲の朝日新聞世論調査で憲法9条ついて「変えないほうがよい」56%となった。前々年55%、前年61%と多少のブレはあるが、憲法9条の護憲派が依然として多数意見であることが改めて明らかになった。なし崩しの9条形骸化が進む現状を考えると驚きであり、頼もしくもある。しかし、戦後昭和時代には「極右の戯言」と忌み嫌われた9条改憲派が増え、無謀な軍拡防衛族が跋扈しているのもまた無視できない現実である。一寸先が闇の不条理極まりない世界で、我々は戦争か平和かと毎日、毎時間厳しく問われていると言っても決して過言ではない。

     実は、我々は偶発戦争の脅威に日々直面している。平和な日常からは見えない深い闇の中であってはならない「日本有事」がヒタヒタと迫っているのである。
     ごく最近、尖閣諸島(釣魚島)上空で自衛隊機と中国海警局が睨み合い、軍事衝突寸前までヒートアップした事件が勃発したのである。何故か日本では新聞各紙の片隅で断片的にしか報じられなかったが、防衛省が「(5月)3日昼頃、尖閣沖の領海に中国海警局の舟が4隻進入し、うち1隻から搭載ヘリが飛び立ち、約15分にわたり領空侵犯した。航空自衛隊の戦闘機が緊急発進した」と発表した。中国機による領空侵犯は昨年8月以来4回目で、うち尖閣周辺では3回目とされる。これまではドローンであったが、ヘリの進入は今回が初めてという。中国海警局報道官が「日本の民間機が約5分間、領空に不法侵入し、艦載ヘリで退去するように警告した。法に基づく必要な措置であった」と発表したと、日本の新聞、テレビが報じた。しかし、結果ばかりで、原因と思われる肝心の「日本の民間機」が何者なのか一向に分からない。
     SNSの利便性を痛感するのは情報に飢えた時である。日中からともに距離を置く韓国メディアを検索すると、全貌が見えてきた。聯合ニュースの北京特派員によると、中国外交部は5月4日、「日本の右翼分子が民間航空機を使って我が釣魚島領空に侵入したことにアジア局長が日本大使館の横地首席公使に厳重抗議し、再発防止を求めた。中国は領土、主権、海洋権益を厳守する」と発表した。日本側が反論すると、すかさず同日、中国国防部スポークスマンがSNSに立場文を発表し、「我が海警が不法侵入機を警告、退去させたのは完全に正しく、合法的だ」と一歩も引かない。
     双方が自制を働かせてようやく収まったが、事件の発端は「日本の右翼分子が関わる民間航空機」にあったのだ。ウクライナ戦争直前にも同様の火付け役が蠢動し、欧州のネオナチが多数志願兵の形で参加したアゾフ軍団がウクライナ東南部のドンパス地方でロシア系住民の虐殺行為を働いたことが当時の西側の複数のメディアが報じていた。尖閣でも似たような現象が起きつつあるということである。
     「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と岸田首相(当時)がボヤいたのは、的外れとは言えなくなってきた。「台湾有事は日本有事」と台湾を盾に押し立て、後方で高みの見物と決め込むボヤキもあるが、こちらは怪しい。中国にとって、独立派の頼清徳政権が議会で少数与党に転落した台湾への軍事侵攻は良策とは言えない。トランプ2.0が北京との対話優先に切り替えているだけに猶更である。北京は日米が喉から手が出るほど欲しがる経済インフラをむざむざ破壊するような愚はしない。孫氏の兵法ではないが、独立派への圧力を強め、柿が熟して落ちてくるのを待つだろう。
     問題視するのは、台湾独立派をそそのかし、梃入れする背後の日本である。台湾有事にかこつけて尖閣諸島(釣魚島)の領有権を正当化しようとしていると警戒しているのである。ちっぽけな島だが、領海、排他的経済水域(EEZ)まで含めると中国の外洋への喉元を締め付ける東シナ海の重要な戦略的拠点となる。

     そこに目を付けたのが、バイデン大統領(当時)にほかならない。日本側から求められるままに「尖閣は米日安保条約第5条の対象」と明言して日本の軍拡防衛族を勢いづかせ、防衛費増額へと巧みに誘導した。岸田政権は「東シナ海の安全保障」を南シナ海、台湾と結びつけ、米韓比豪とのアジア版NATO創設まで視野に入れ始めた。もっとも、バイデンは尖閣が日本領とは一言も言わず、中国を過度に刺激することは避けながら体よく日本と両天秤にかけた。
    尖閣諸島の一部が抉られたような平坦地になっているが、長く在沖米軍の射爆場として使われていたからである。その時はさすがに中国も領有権を主張することはなかったが、米中国交正常化後の射爆場閉鎖にともない領有権を主張し始めた。歴史的には琉球王国の一部であり、日中共に歴史的な領有権を主張するのは無理があるが、海底油田の存在が明らかになって地政学上の戦略価値を帯びたために双方とも一歩も譲らない。
     アジア版NATO創設の動きまで出ていることは、クライナ戦争前夜を彷彿させる。親露的なコメディアンであったゼレンスキーを強硬反露派に転向させたクリミア半島の領有権問題、ウクライナ東部ドンパス地方の分離独立運動、ネオナチ問題などが複合的に作用して緊張が高まっていたが、決定的な導火線となったのが、露骨化してきたウクライナNATO加盟の動きである。プーチンも「特別軍事作戦」の「根本原因」と名指し批判している。最近も、BRICSらグローバル・サウス首脳が参加を表明しているモスクワでの戦勝記念日式典を前に国営テレビで演説(5月4日)し、「特別軍事作戦の背景には、ソ連崩壊後に米欧が『1インチの約束』を破ってNATOをウクライナに拡大し、ロシアまで破壊しようとしたことがある」と改めて言及した。

     前掲書で詳細に紹介したが、「1インチの約束」は1989年12月に「冷戦の終結」を宣言する際、NATO東方不拡大をブッシュ大統領(父)がゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に約束したことを指す。バイデンはとぼけ、プーチンの怒りに油を注いだが、このエピソードと「ソ連復活を望むのは脳がないが、ソ連を貶めるのは心がない」とのプーチンとの言葉を併せ考えると、彼の心の底が見えてくる。レーニンやスターリンの銅像や名称を復活させ、同年配の習近平主席と「もっとも親密な同志」と固く握手を交わすのは、一つのストーリーで繋がっているのである。

     トランプ2.0はどうだろうか?石破政権は何とか「尖閣は米日安保条約第5条の対象」との言質を得ようとしたが、取り付く島がない。対中強硬派のウォルツ大統領補佐官(国家安全保障担当)に一縷の望みをかけたが、突然更迭され、国連大使に左遷されてしまった(5月1日発表)。情報漏洩問題が原因と報じられたが、それほど単純ではない。
     ウォルツ更迭翌日、総額7兆ドルの2026年度政府予算「予算教書」が発表されたが、USAID解体など対外支援関連予算大幅削減だけでなく、軍縮志向がクッキリ姿を現した。国防費(約1兆ドル)は13・4%増となったものの国境管理関連や防衛システム構築・強化が主眼となり、予算編成を行う上下院多数派の共和党議員からも「国防費が足りない」とブーイングが出ている。さらにヘグセス国防長官は5日、大将クラスの幹部職2割削減など米軍をスリムにする組織再編案を発表した。米欧州軍とアフリカ軍の司令部統合が検討課題となり、在日米軍も例外ではないとされる。自衛隊統合作戦司令部が今年3月に発足したが、それに対応した在日米軍の統合軍司令部発足は極めて難しくなった。日本側は自衛隊と在日米軍を統合的に指揮する同司令官に大将を求めていたが、事実上、反故にされたからである。
     トランプ⒉0が民主党のオバマ政権の対中国関与政策から米建国以来の国是である孤立主義(モンロー主義)へと回帰していることが今や誰の目にも明らかになりつつある。米国寄りの旗印を鮮明にし、その軍事力を頼んで中国に対抗しようとした日本の防衛族への打撃は計り知れない。バイデン前政権に求められるがままに南西諸島(沖縄)に自衛隊基地を増設し、対中の前線基地構築へとシフトしているが、二階に登らされて梯子を外されたに等しい。
    石破首相は「最大の対米投資国で同盟国でもある日本をほかの国々と同じ扱いにしていいわけがない」と国会答弁で繰り返すが、いつまでも過去形にこだわっても詮無きことである。そもそも日本の防衛族には当初から大いなる勘違いがあった。基地を提供する代わりに在日米軍が日本を外敵から守るとするのが日本人一般が慣らされてきた常識的考え方だが、米国側には当初から別の狙いがあった。それを端的に表したのが、スタックポール在日米海兵隊ヘンリー司令官の「瓶の蓋」発言である。「もし米軍が撤退したら、日本は軍事力をさらに強化するだろう。誰も日本の再軍備を望んでいない。我々(在日米軍)は(日本軍国主義化を防ぐ)瓶の蓋なのだ」(1990年3月27日付ワシントンポスト)と述べたのだが、旧敵国への警戒心が日本降伏から45年経っても消えていない。永久に消えない太平洋戦争の歴史なのである。実はバイデンも副大統領(当時)も安倍首相が靖国神社を参拝したことに激怒し、警告文を送りつけて震え上がらせた。日本の再軍備・軍拡は反中包囲網構築と対ロ制裁など、あくまでも米国に従う限りにおいて許してきたのである。
     軍事から経済にシフトしているトランプ大統領なら、想像しても余りある。「日米安保条約が片務的」と強調し、在日米軍駐留費の大幅増(おそらく全額)を求めるのはそういう意味である。とはいえ、双務的化して米国を守ってくれなどとは爪の先ほども考えていない。陸軍幼年学校に通い、「リメンバー パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」と聞きながら育ったトランプの頭の中には、米国が旧敵国の日本を一方的に守ってきたのだから、これまでの負担もすべて有償化して見返りを求める打算が渦巻いているだろう。バイデン前政権によるウクライナ支援を全額有償化し、回収を図っている発想と根は同じである。「日本は米軍に基地を提供し、多額の在日米軍駐留費を負担する。米国の世界戦略やアジア太平洋地域の平和と安定を図るうえで、米国の利益をなっているはずだ。トランプ氏の偏った認識をただすことが先だ」(4月16日付朝日新聞社説「日米関税交渉 迎合を排し再考求めよ」)との声は、馬耳東風でしかない。

     日米同盟の旗印が褪せるほど日本の軍拡色が露になり、「日本軍国主義復活」批判にもろにさらされる構図になっている。おりしも今年、第二次世界大戦で日本に勝利した連合国は「対日戦勝記念日」80周年を迎える。中国は「抗日戦争勝利記念日(9月3日)」を、ロシアも「軍国主義日本に対する勝利と第二次世界大戦終結の日」をともに祝い、日本への風当たりが強まることは必至である。米国でも「勝利の日(Victory Day)」として記念行事が行われてきたが、ウクライナ戦争で冷めていた。偉大な米国を記念する「Victory Day」に敏感なトランプ復活で今年は旧連合国と過去の栄光への記憶と縒りを戻し、パールハーバー国立記念館のあるハワイを中心に戦勝記念気運が盛り上がるだろう。
     広く世界に目を転じれば、第二次世界大戦終結80周年は国際的にも関心が高まり、4月末に開催されたBRICS外相会議においても重要議題の一つとして取り上げられた。中印はパキスタンも絡んだカシミール国境紛争で対立したが、習近平主席とモディー首相が昨年10月にロシア西部カザンで会談するなど同じBRICS(ロシア、中国、ブラジル、インド、南アフリカ)の誼みで関係修復へと動いている。
     ウクライナ戦争で完全に主導権を握ったプーチン大統領はウクライナとの三日間停戦を一方的に発表し、5月8日からモスクワ「赤の広場」で「大祖国戦争勝利(ナチス・ドイツ戦勝利)80周年記念式典」を盛大に催す。ブラジル紙「ブラジル日報」(5月5日)などによると、ルーラ大統領夫妻が参加する。習近平主席らがすでに参加を明らかにしており、ロシア、中国、ベトナム、キューバ、ブラジル、ベネズエラ、エジプト、スロバキアなど29カ国・地域の首脳が一堂に会することになる。ルーラ大統領はモスクワ訪問後に北京を訪れ、中国とラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)との第4回首脳会議に出席する。BRICS+グローバルサウスを源流とする新潮流がポスト米国へと怒涛の如く流れ始めているのである。

     ポスト米国の世界はどんな世界か、世界の主たる関心はそこに向かい始めている。
     グローバリゼーションを主導し、世界を席巻した米資本主義は矛盾と限界を露出している。低賃金を求めて世界中に製造業が進出し、大量の製品を逆輸入して豊かな社会を築いたが、国内の労働者階級は仕事を失って没落し、巨額の貿易赤字や経常収支の赤字は国家財政を圧迫した。財源確保のために国債への依存度が急速に高まり、2024年の米国の政府総債務残高対GDP比は121%に達した。因みに、日本は237%、中国88%、ドイツ64%、韓国52%となる(いずれもIMF統計)。
     バイデン政権は富裕層への増税で対応しようとしたが、「リバタリアン(自由至上主義者)」の富裕層や、アマゾン、アップル、メガなどグローバルなテクノロジーで巨万の富を築いたテックリバタリアンが反発した。貪欲な利己主義集団であり、カリブ海のバハマに節税、脱税のためのタックスヘブンを作っている。大統領選では減税を公約にしたトランプにこぞって巨額の政治献金をした。米国では政治献金の上限が撤廃され、カネ次第の金権選挙が横行している。政治献金額でバイデン=ハリスを圧倒し、念願の大統領の地位に復帰したトランプは、富裕層の利益の代弁者になるしかない。減税は自分を応援してくれた富裕層への対価なのである。
     「MAGA」に陶酔し、“アメリカンドリームよもう一度”と熱狂してトランプの大票田となった一般労働者や中小農家に報いるには累進課税復活による財源確保と富の再分配が不可欠であるが、自身も大富豪であるトランプにその発想はない。財源を外に求めて相互関税を吹っ掛ける禁じ手に手を出した。戦後のアメリカ経済躍進を支えた自由貿易主義の旗を自ら降ろし、国際経済の中心から脱落しているのである。
     国内では「1%VS99%」の対立、階級対立が激化し、内戦か選挙か、いずれにしても主要矛盾が臨界点に達した時点で社会革命へと移行していくだろう。世界初の資本主義国である英国でも二大政党制が崩壊し混乱を深め、資本主義システムが経年劣化で寿命を迎えていることを示唆している。カール・マルクスは「共産党宣言」で「ヨーロッパを共産主義の亡霊が徘徊している」と予言したが、最も発展した二大資本主義国で同時進行的に社会主義革命が起きるのか、世界が固唾を呑んで見守っている。

     米市場を閉ざされた世界中の製品が新たな市場を目指して流れ、市場の奪い合いが新たな貿易戦争、関税戦争に発展しかねない。その調整役がいるとしたらGDP世界トップをうかがう中国だろう。実質GDPはトップになったが、一人当名目GDP(IMF2024年統計)では13,313ドル(実質27,092ドル)の中所得国レベルの 世界74位でしかなく、米国85,812ドル、韓国36,128ドル、日本32,498ドルより低い。そのギャップを埋めるべく、「中国製造2025」で重点10分野を定め、急速に世界シェアを拡大している。電気自動車、造船、太陽光パネルは6~8割を占め、半導体、AIロボットなどが続き、「ほとんどの分野で技術の最先端に達しつつある」(ルビオ国務長官)と米国も一目置かざるを得ない。
     トランプ政権は習政権相手に1ヶ月以上も100%以上の関税を掛け合って世界をハラハラさせたが、「望んでいるのは公正な貿易だ」(ベッセント財務長官)とトーンダウンして対話を呼びかけ、何立峰副首相とスイスでの会談(5月10,11日)に漕ぎつけた。中国商務省は「米国側が対話を望んでいるが、内政不干渉の原則的な立場を曲げてまで合意を求めることはしない」と強気を崩さない。米国債売却という切り札があるからにほかならないが、中国も相当な返り血を浴びることは覚悟しなければならない。
     中国の最大の強みは、「平等に豊かに」と貧困撲滅を最大の国家目標に定め、米国と逆に社会分裂、階級対立の芽を摘んでいることにある。「平等に貧しかった」毛沢東時代の混乱から脱するために経済成長に力点を置き、資本主義の競争原理を取り入れた改革開放政策を押し進めた。「富むものから先に富む」先富論でパイの拡大を優先したため一般国民の社会保障や年金制度が疎かになり、格差が拡大したが、習近平政権発足と共に修正段階に入った。最近も共産党中央政治局会議(4月25日)で「中低所得者の収入を引き上げることで消費を高め、経済成長を刺激する」との方針を改めて確認した。

     不動産バブル崩壊で1990年以降の日本と同じ長期停滞の時代に入ったとの観測が日本ではしきりに流されているが、本質を見逃している。中国では土地はすべて国有地で、私有権は賃借権に制限されているので傷口は限定され、修復は十分に可能である。中間層没落で国内が四分五裂し、ニューヨークなど大都市にホームレスが溢れる米国を横目に見ながら、「平等に豊かな」社会主義を目指す自己の体制に日々、手応えを感じている。米国との体制競争に自信を深めているのである。

     習近平政権を米国の脅威と認識したのが、バイデン大統領であった。旧知の間柄であるだけに、社会主義回帰志向が読み取れたのである。「唯一のライバル」とみなし、高度成長路線をひた走る勢いを削ぐために一方で「全体主義」、「専制主義」批判を強めてイデオロギー的に孤立させ、他方で国営企業優先や補助金制度を批判し、あえて自由貿易主義に反して中国へのグローバル供給網のデカップリング(切り離し)を同盟国をはじめ各国に広く求めた。応じない国には制裁までちらつかせた。また、国内では各種補助金、支援金で自国企業への梃入れを強め、内需拡大の財政出動を重視した。皮肉なことに、いずれも国家主導の計画経済を旨とする社会主義・中国が行っていることである。
     ミイラ取りがミイラになるという言葉があるが、バイデン政権に限らず歴代米政権は程度の差こそあれ社会主義的な計画経済を取り入れてきた。「大きな政府」であるが、その系譜を遡ると、ルーズベルト米大統領の「ニューディール政策(1930年台)」に辿り着く。需給のアンバランスが引き起こした大恐慌を克服するために「小さな政府」と決別し、社会主義計画経済に倣って財政・金融政策を連邦政府の経済政策の柱に据え、有効需要を喚起したのである。それを理論化したのがケインズ経済学であるが、累積債務増加というアキレス腱を抱える。バイデン政権になってその限界が露になり、トランプ2.0が「小さな政府」への回帰を図っているが、前途多難である。
     計画経済のノウハウと実践面、理論面で一日の長があるのが社会主義現代強国に照準を絞った中国である。必要とあれば何の躊躇なく富裕層にも累進課税を課せられるのが資本主義国・米国にない強みであり、その存在感と影響力は強まることはあっても、もはや逆はないとみるべきであろう。最も望ましいのは軍事増強ではなく、経済政策中心の平和的な体制競争であるが、全人類にとって幸いなことに、G3形成の労を取っているトランプ⒉0はその意味では合格点に達している。

     そうした世界の新流を踏まえて日本政治の現状を俯瞰すると、「中国を念頭に」と軍拡に走る時代錯誤の蒙昧性が浮き上がる。国連憲章が定める「旧敵国条項」の罠に自ら陥り、「日本有事」時計を早めているようにすら映る。
     国連憲章第53条と第107条が定める「旧敵国条項」は旧敗戦国(旧枢軸)の日本とドイツに軍国主義やナチズム復活の動きがみられた場合、国連加盟国に軍事的な先制的予防措置を講じる権利を認めている。旧敵国条項はすでに無効になったと軍拡論者は言い張るが、ためにするフェイクニュースでしかない。それは今も厳存し、有効である。同条項については1995年の国連総会で削除が決議されたが、肝心の安全保障理事会の同意を得られなかった。常任理事国の中国、ロシアなどの賛同を得られる見込みがなかったため討議にも伏されず、削除決議は立ち消えとなった。日本の防衛費倍増計画で露骨に「敵基地攻撃能力(反撃能力)」保有の標的にされた中国やロシアがいつまでも座視することはありえず、共同の対日軍事行動に踏み切る可能性が日々高まっている。「旧敵国条項」発動に国連総会や安保理事会の承認は不要で、事前もしくは事後通知で済むとされる。
     自衛隊が戦力保持を禁じた憲法9条違反であることは、子供の目にも明らかである。ストックホルム国際平和研究所の統計によると、2024年の日本の軍事費は前年比21%増の553億ドルで世界10位であった。米国5・7%増9970億ドル、中国7%増3140億ドル、ロシア38%増1490億ドルの後を猛髄し、いつのまにか世界有数の軍事大国である。防衛費と言い換え、日米同盟の旗で何とか隠してきたが、憲法9条とともに旧敵国条項違反はもはや隠せない。たとえ日本国会で自衛隊容認の憲法改悪がなされても、国際法上は国際社会が認めたことにはならず、むしろ軋轢は強まるだろう。

     日米安保条約との関連性が浮かび上がるが、国際法上は国連憲章が定める「旧敵国条項」が上位規範である。中露とのG3路線に舵を切ったトランプ2.0がデメリットばかり目につく日本支援に動くとは考えにくい。自衛隊の統合司令部急設により在日米軍司令部の支持を得ようとしても、バイデン前政権時代の話だと言われればそれまでである。動いたとしても、せいぜいウクライナ戦争に倣った「代理戦争」の範囲内、間接支援にとどまるであろう。
     米国に見捨てられれば、中国軍相手に自衛隊の勝算はゼロに近い。日本周辺で中国軍との海空合同訓練を頻発に行っているロシア軍まで加われば最前線は沖縄から北海道まで日本列島全体に広がり、絶望的である。敵の中枢部を叩くのが古今東西、戦略戦術の基本である。あってはならないことだが、日本有事が勃発すれば東京都心の市ヶ谷の防衛省など日本全国の自衛隊基地・関連施設が2千発超といわれる中国の中距離弾道ミサイルの主要標的となるだろう。

     迫り来る危機的な状況は日本国民の意識にも影を落とし始めた。前掲朝日世論調査では「日本を巻き込んだ大きな戦争」の可能性について「ある」が62%と大多数が不安を感じ始めている。その原因と関連して「中国は脅威」を感じるが3割に上るが、「日本は日米安保体制の下で平和を享受してきた。侵略、植民地支配への謝罪はもう不要」と主張する一部言論が影響しているのであろう。そのまま突っ走れば戦前回帰であるが、幸いにして、9条改正反対が「56%」と歯止めがかかっている。国際的にも「9条を中心とした戦後の憲法が平和と繁栄に大きな役割を果たした」(グラック米コロンビア大教授 朝日新聞耕論4月22日)と9条を評価する声が根強くあり、激しく揺れる国際社会の未来を照らし、新たな希望をもたらす普遍的な規範へと高める頼もしい動きも出てきている。
     日本有事を避ける最大最良の道は、平和憲法の原点に戻って周辺諸国との友好を回復することである。日本国憲法は一国平和主義ではなく、前文で国際協調主義を定めている。憲法9条が旧敵国条項と連動しながら日本軍国主義復活への歯止めになった事実にも、改めて思いをはせるべきであろう。

     問題は、懲りない為政者たちである。9条形骸化をなし崩し的に進め、最高裁も傍観、追認する重大な法制度的欠陥を露呈してきた。同じ旧敵国条項対象のドイツではありえないことで、基本法には排外的な右翼過激主義を取り締まる原則が規定されて連邦憲法擁護庁が監視の目を光らせる。最近もウクライナ戦争の影響で混乱する世論を言葉巧みに引き付け支持率を伸ばしている「ドイツのための選択肢(AfD)」を民族主義的な価値観の「右翼過激派」に指定し、監視対象とした。日本では、自衛隊幹部がGHQから解体の対象にされながら生き残った軍国主義の象徴・靖国神社に宮司として天下りし、幹部たちが集団参拝しているが、国会も司法も言論も見て見ぬふりである。

     他方のドイツでは現在も「アウシュビッツ」大虐殺に関わった戦犯追及が続く。外交にも自制が働き、英仏がウクライナへの平和維持軍派遣を検討してもドイツは否定的で、旧敵国条項が定める一線は越えない。
     2019年6月、ドイツ統一、ソ連崩壊後30余年のベルリンを再訪した。市内は依然と同じ伝統的な建物が多い落ち着いた佇まいで、東京のようなコンクリート高層建物は見当たらなかった。ベルリン中心部のブランデンブルク門近くで新たに作られたホロコースト記念碑を見つけ、灰色の棺に似せた無数のオブジェの記念碑に頭を垂れた記憶が昨日のように蘇る(日刊ゲンダイ連載「アホでも分かる日韓衝突の虚構」https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258327参照)。
     翻って、ドイツと同じ旧戦犯国の日本では、靖国神社はあっても中国、朝鮮などへの侵略責任を記念する碑が一つでもあるだろうか。日本政府は戦後50年の村山首相談話(1995年)で「植民地支配と侵略」を謝罪し、戦後60年の小泉談話(2005年)では村山談話を踏襲しながら「我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年」と新たな決意を示した。ところが、戦後70年の安倍談話(2015年)では「植民地支配」や「侵略」に言葉を濁し、「謝罪外交」に区切りがついたとして事実上、戦争責任への反省と謝罪を否定した。オバマ大統領が習近平主席と「米中新型大国関係」構築で一度は合意しながら反故にし、米中対立が表面化した間隙を巧妙に突いたのである。平和憲法の下で繁栄を享受した日本の戦後は、そこから戦前回帰もどきの軍拡に走り、坂を転げ落ち始めた。
     今年は戦後80年、新しい世界秩序形成に日本も否応なく加わる。いよいよ石破首相の出番だ。自民党内には談話発表に否定的な意見が強いと伝えられるが、時局を見据えた大局的な判断が求められる。いつか来た道ではないが、大本営(旧日本軍最高統帥機関)の独り善がりな侵略戦争に動員され、地獄に落ちた戦前の愚を繰り返してはならない。広がる一方の旧被害諸国と日本との歴史認識のギャップを埋め、無謀な軍拡路線にブレーキを掛けられるか、待ったなしである。そこに日本の運命が掛かっていると言っても過言ではない。

    3 石破首相の選択 “バイデン構文”の呪縛から脱し、自主的な日朝国交正常化交渉に踏み出せるか

     私は特別顧問を務める東北亜未来構想研究所(INAF)の政策セミナー(3月21日)で「北朝鮮に情報戦で決定的に負けている日本の選択を問う 無条件国交正常化が正解」とのテーマで諸賢との討論に参加し、アドリブで語った。本論考の趣旨に合致すると思われるので、それを以下に要約、再現する。

     『米露首脳の電話会談で動き出したウクライナ和平は第2次世界大戦後の国際秩序を根底から変えつつあり、その影響は東アジアに確実に及んでいる。トランプ2.0が就任演説直後の記者会見で「金正恩氏とは親しい。彼はニュークリア・パワーだ」と公言したのは第4次首脳会談を見据えたメッセージであり、年内に行われても何ら不思議ではない。
     歴代日本政府が日朝国交正常化交渉の最優先課題に掲げた拉致問題について言えば、小泉首相の電撃訪朝から20余年、安倍首相以降の歴代首相は「早期に解決」といい続けてきたが、仮に明日実現したとしても遅すぎる。そうした情緒的な日本的構文は朝鮮側には理解し難いし、国際社会もそうであろう。その意味で、石破首相が「無条件対話」と呼びかけ、東京、ピョンヤンに連絡事務所設置を提唱したことは時宜にかなっている。
     私がこの場を借りて強調したいのは、日本側の朝鮮への決定的な認識不足である。先ほど美根・元日朝国交正常化交渉日本政府代表が「北朝鮮に変化の兆しが見える」と指摘し、和田・東大名誉教授が「日本政府の早期対応」を促した通り、朝鮮は変化しており、新たなアプローチが求められている。
    朝鮮側は国際ニュースやSNS情報などを通じて日本の状況に精通しているが、残念なことに日本側は朝鮮の現状に関してほとんど分からない。一次情報を欠いた憶測、邪推ばかり飛び交い、情報戦ですでに負けているのである。
     日本では朝鮮経済は崩壊状態との“常識”がまかり通っているが、実態はどうか。戦後日本経済が朝鮮戦争特需で高度成長時代への入り口に立ったように、また韓国がベトナム戦争特需で上昇のきっかけを作ったように、朝鮮経済はウクライナ戦争特需で急上昇中である。ロシア軍、ウクライナ軍双方が弾薬枯渇に苦しみ、前線が膠着する中、朝鮮はロシアに大量の弾薬・ミサイルを供給し、ウクライナ軍が越境奇襲攻撃したロシア西部クルスク州への1万余の精鋭部隊派遣で多大な貢献をしたとロシア側から評価されている。それらは軍事的には朝ロ同盟復活強化となっているが、すべて有償である。膨大な原油、小麦粉、外貨を朝鮮にもたらし、金正恩政権が満を持して始めた「経済5カ年計画」(2021年〜)に弾みをつけている。
     朝鮮の国際的存在感は否応なく高まっている。バイデン前政権は朝鮮のロシア支援を繰り返し非難したが、言葉を変えれば、無視出来なくなったということである。「バイデンの戦争」と非難していたトランプ大統領が「金正恩総書記とは親しい」と強調するのは、バイデンへの単なる当てつけではない。ロシア、中国、韓国、さらに日本とのディールで用いる有力な隠しカードと考えているのである。

     来る朝米第4次首脳会談はトランプ大統領が「彼はニュークリア(核保有国)」と認定している以上、核軍縮会談となるしかない。トランプは箍が緩んだ従来のNPT体制の枠を超え、三大核超大国である米露中の核軍縮を呼び掛けている。新G3主導の実質的な非核化を進めるということであり、金正恩との軍縮会談はその試金石となろう。
     それは朝米国交正常化へと進むしかないが、驚くには値しないし、唐突な話でもない。30余年前の朝鮮南北と米日、中ソによるクロス承認の積み残しが、遅ればせながらようやく精算されるということである。
     トランプ外交に対して日本では感情的、衝動的との見方が支配的だが、一面的である。トランプは政界入りする前にキッシンジャー元国務長官の私邸を訪れ、リアルポリテックスを私淑した現実主義者でもある。それが「価値観外交」なる非現実的なイデオロギー偏重で自滅したバイデン前大統領との決定的違いと言えよう。キッシンジャー大統領補佐官(当時)が1972年に北京を電撃訪問し、長く敵対していた米中国交正常化の道を開き、ノーベル平和賞を受賞しているが、トランプがノーベル平和賞を口にするのはその朝鮮版を思い描いているからと考えられる。第3次会談では板門点の38度線を金正恩と共に越えたが、ピョンヤン電撃訪問も十分にありうる。
     朝米国交正常化がなれば、日本中が蜂の巣をつついたような混乱に陥るだろう。石破首相はむざむざ後塵を拝するのではなく、日本外交の自主性を発揮する先見の明を持つべきではないか。トランプの向こうを張った電撃訪朝など斬新なアプローチを試みる必要があろう。歴史に名を残すチャンスは、今しかない!』

     日朝国交正常化を前面に掲げる政策セミナーは昨今、珍しくなってしまったが、以上の討論はそれなりの手応えを感じた。いよいよと次の手を準備し始めた矢先、にわかに雲行きが怪しくなった。石破首相がトランプ大統領の相互関税対策に忙殺され、訪朝の動きは音沙汰なしとなってしまったのである。

     石破首相は、同盟よりも貿易赤字と実利を優先するトランプスタイルに「日米同盟を基軸とする防衛政策の根底が揺らぎかねない」と危機感を募らせる。「安保と経済は別物」と予防線を張り、米側の真意を探るために腹心の赤沢経済再生担当相を特使格でワシントンに送り込んだ。
     だが、トランプ2.0の覚悟を見誤っていた。ベッセント財務長官らとの会談がセットされていた当日(4月16日米現地時間)、トランプは機先を制するように飛び入り参加し、日米財務相会談直前に赤沢との通訳だけの一対一の面談に臨んだ。事前に自身の交流サイト(SNS)に対日交渉でテーマになるのは「軍事支援の費用」と投稿し、釘を刺していた。トランプ1.0で従来の3倍超の年間80億ドルの在日米軍駐留経費負担を要求していただけに、赤沢はどこまで吊り上げてくるかと戦々恐々とした。日本側は面談の詳細を伏せるが、口に戸は立てられない。トランプは赤沢に面と向かって「在日米軍経費の日本側の負担が不足している」と指摘し、非関税障壁撤廃を強く求めたことが明らかになっている。卒のない元官僚の赤沢はMAGA帽を被ってひたすら恭順の姿勢を示し、会談決裂という最悪の事態だけは免れた。トランプは一週間後(24日)、安全保障問題は「ディールの対象にしない」と石破の顔を立てたが、対日貿易赤字ゼロの満額回答を諦めたわけではなく、対案が求められる。
     手練手管のディールの達人は変顔をかまし、アドリブで意表を突き、ここぞとカードを切る。「米国産の自動車、農産物が日本で売れていない。貿易赤字をゼロにしたい」と非関税障壁をターゲットに厳しい注文を付けた。手っ取り早いと目を付けたのは農産物自由化、とりわけコメである。石破政権内では主食用米の輸入の上限拡大論が出ているが、たかだか数万トンでは到底満足しない。米国は工業部門では製造業を失ったが、依然として世界有数の農業生産国であり、トランプ再選の有力な票田となった中小農家は輸出先を強く求めている。日本でコメ価格が従前の倍で高止まりしていることに目を付け、不透明な流通システムと食料品高騰に苦しむ日本の消費者を味方にして、廉価な米国米を大量に売り込む高等戦術を仕掛けてくる可能性が十分にある。
     国内政治からみで一歩も引けない事情は石破も同じで、コメ自由化は経団連と並ぶ自民党最大の支持基盤である農協(JA)=農家を失いかねない鬼門である。コメの自給体制を壊すようなことがあったら、たちどころに自民党は政権の座から転げ落ちる。とはいえ、中露との緊張関係が日増しに高まる中、最大の味方と信じてやまない米国との対立はあってはならない。「世界のモデルになりうる。可能な限り早期に合意し、首脳間で発表する」(参院予算委4月21日)と覚悟のほどを披瀝したが、戦後積み上げてきた「強固な日米同盟」を揺るがす現実の壁は想像以上に厚く、高い。

     伏兵の出番となる。4月24日にワシントンでG20財務相・中央銀行総裁会議が開かれ、その合間に加藤財務相はベッセント米財務長官と個別会談した。為替問題が米側の要求で日米関税交渉の一部に組み込まれていたが、前日にベッセントは「通貨目標はない」とドル高円安是正の要求はしないと注文を付けていたが、会談後、険悪な表情を隠さなかった。一体、何があったのか。加藤は帰国後、日本が保有する米国債について「(交渉の)カードとしてはあると思う」(テレビ東京5月2日)と述べた。米国債売却という「米国の例外主義」を脅かす天下の宝刀をちらつかせ、ベッセントに関税問題で譲歩を迫ったのである。
     G20財務相・中央銀行総裁会議も米国との個別交渉を優先する各国の思惑で足並みが乱れ、共同声明をまとめられなかった。どさくさに紛れて、というわけでもないが、強気に出た加藤が脳裏に浮かべたのは円高ドル安に誘導したプラザ合意とみられる。円高ドル安は輸出を増やしたいトランプが望むことでもあると、深謀を巡らせたのである。しかし、当時の日本はGDPが世界の15%、貿易黒字は10兆円規模と絶頂期であった。現在は4%前後と縮小し、貿易赤字が3年以上続き、米国を脅かす世界二位の経済大国の地位を中国に取って代わられて久しい。日銀のマイナス金利もしくはゼロ金利が外資の円買い→円高をもたらしていた最中の米国債売却は円高ドル安どころか内外市場を混乱させ、米国債とドルの信認度に致命傷を負わしかねない。無論、日本経済も巻き添えになる。
     そうして迎えた2度目の日米交渉(5月1日)に、関税の対象から日本製品の除外を求めるミッションを帯びた赤沢経済再生担当相が満を持して臨んだが、出迎えたベッセント財務長官の表情は厳しい。会談に入ると、「日本だけ特別扱いしない。(7月上旬まで90日間一時停止中の)相互関税の上乗せ分14%以外は交渉の対象外である」と通告した。一律の10%関税、鉄鋼・アルミニウム製品・自動車への25%の追加関税はそのまま適用される。「見返り」を示さなければ何も進まないと、関税、非関税障壁、政府の補助金、通貨問題と例外なくすべてが俎上に載せられ、さらなる譲歩を迫られた。
     すごすご帰国した赤沢は、「ゆっくり急ぐ」と憔悴した表情で記者団に語った。石破もその名言(迷言)を共有するしかなかった。意訳すれば、二進も三進も行かなくなったとなる。はたして、アジア開発銀行(ADB)年次総会などに出席するためミラノを訪れていた加藤財務相は記者会見(4日)で、「日本政府が保有する米国債の売却を対米関税交渉の手段とはしない」と前言を撤回した。

     石破首相は「安保と経済は別物」との持論を封印するしかなくなった。実は、米国は過去の貿易摩擦でも相互関税を多用している。貿易障壁を置く国家への制裁措置として位置付けているのである。その意味で、日本が自国だけの除外を期待して譲歩を申し出ても通じないことは自明であった。報復関税で正面切って応酬しているのは米国の同盟国ではカナダくらいだが、「51番目の州」と属国扱いされたカナダ国民の間で反米感情が急速に高まり、カーニー新首相も無視できなくなっている。日本でも嫌米感情が静かに高まっており、石破首相も安閑としてはいられない。
     党首討論(4月23日)で野田・立憲党首から突っ込まれた石破首相は、日米安保条約見直しについて「議論を深める必要がある」と一転、安保と経済を連動させる意向を示した。改憲についても「独立主権国家とは何か、憲法の議論をしていかなければならない」と前のめりになった。トランプ大統領が日米安保条約の片務性解消を求めたと理解し、集団的自衛権と自衛隊を憲法に明記する腹積もりのようだが、藪蛇となりかねない。軍縮志向のトランプの真意が片務性解消と双務性導入にあるとは言えないからである。

     石破政権をさんざん翻弄したトランプ大統領は政権発足100日記念集会(4月29日)で、「歴代で最も素晴らしい100日」と自画自賛し、聴衆を熱狂させた。今やハリウッドスター顔負けのスーパー・エンターテイナー、「口髭の独裁者」を巧みに演じた喜劇王・チャップリン顔負けである。不法移民や合成麻薬流入を防ぐ国境対策を成果と誇り、「関税で製造業を復活する」と吠えると聴衆は熱狂した。50%を切った支持率を反転させるには、関税しかない。17カ国に的を絞り、とりあえず日本、英国などから大幅な譲歩を勝ち取り、年末に予定される減税の財源に充当する魂胆である。
     しかし、その前途は厳しい。米商務省速報値(4月30日)によると、今年1~3月期の実質GDPは年率換算で前期比0・3%減、3年ぶりのマイナス成長であった。駆け込み輸入が増えたことが主因だが、自由貿易を基盤とする国際貿易構造が激しく軋んでいることをうかがわせる。関税が産業空洞化や雇用の不安定化に苦しむ米国産業へのカンフル剤となるか、神のみぞ知る。

     欧州は報復を示唆しながら、安保と貿易問題を切り離そうとしている。石破首相はそれを参考にしたいが、安保で米国への依存度が高い日本には難しい。成すべきか成さざるべきか、と揺れる石破の足を引っ張る事件が起きた。
     中谷防衛相の「シアター(戦域)」発言である。朝日新聞(4月15日)によると、自衛隊を一元的に指揮する統合作戦司令部が発足した直後に訪日したヘグセス国防長官との会談(3月30日)で「日本はワン・シアター(一つの戦域)の考え方を持っている。日米豪、フィリッピン、韓国などを一つのシアターととらえ、連携を深めていきたい」と伝えた。「シアター」は戦時に一つの作戦を決行する地域を指す軍事用語とされる。中谷は「ワンシアター」を東シナ海、南シナ海、朝鮮半島を結合させる地域との認識を示し、「中国を念頭」に「トランプ政権下ではインド太平洋地域を日本がより一層引っ張っていく役割を担わないといけないと考えている」と大見えを切った。その意味するところは、尖閣諸島(釣魚島)領有権で対立を深める中国に対抗するため米豪韓台の力を借りようということだろう。同紙によると、「自衛隊・防衛省幹部が考案」したというから、制服組に吹き込まれた危うさが伴う。自衛隊へのシビリアンコントロールの箍が外れているとの批判はむべなるかなである。いつか来た道ではないか、元自衛官の防衛相は旧日本軍の青年将校のような跳ね上がり組みに操られているのではないか、との疑念が湧き上がる。
     ヘグセスは中谷に「日本は最前線に立つことになる」と激励するようなことを口にしたと同紙は報じるが、額面通りに受け取ることはできない。ブルームバーグ(3月31日)の配信記事「ヘグセス国防長官は2度の外遊を通じ、米国の同盟国に大きく異なるメッセージを発した」によると、口先が達者な元FOXキャスターは二枚舌を弄するのを厭わないようだ。2月の訪欧時には欧州各国の国防相にNATOの欧州勢は米国の軍事力を頼りにロシアを牽制していると容赦なくこき下ろし、「もはや容認できない」と、ボスの持論であるNATO不要論を彷彿させる一言を発した。ウクライナ軍が奇襲越境攻撃したクルスク州隣接のウクライナ領スムィをロシア軍が空爆した際、G7が弾劾の共同声明を準備したが、反対して霧散させている。
     一転、アジア歴訪では中国の圧力に抵抗していると日本、フィリピンを持ち上げた。中谷には「緊密に協力していきたい」とエールを送り、自衛隊新設の統合作戦司令と「緊密に連携する」と力を込めた。中谷は「トランプ⒉0はアジアにシフト」と喜び、そのノリで「ワンシアター」発言が飛び出したと読める。しかし、それほど単純な話ではない。ヘグセスの腹の底は、安保と関税を結び付けることに拒絶反応を示す石破を揺さぶり、日本側から最大限搾り取ることにある。
     トランプ2.0初の「予算教書」では国防予算を削り、高級幹部対象の人員削減まで進めており、在日米軍の統合司令部創設どころか、縮小・再編もありえる。それが見えない中谷防衛相は記者会見(4月15日)で2025年度当初予算の防衛費と関連経費の合計が2022年度のGDP比で1・8%になったと明かし、「安保関連3文書に基づく取り組みが着実に進展している」と胸を張った。世界の空気が全く読めない自衛隊出身の防衛相、大丈夫かと心配になる。

     中谷防衛相の「ワンシアター」発言を聞いて、韓国では「ミチン ソリ(クレージー)」と一掃する声が圧倒的に多い。そもそもバイデン前政権下で進められた在日米軍と自衛隊の統合司令部創設による指揮の一元化は、韓国の常識に反する。韓国軍の平時作戦統制権は2015年に韓米連合司令部から韓国軍に移管され、戦時作戦統制権についても韓米連合司令部の司令官を韓国将官が占め、米側が副司令官に下がる形で返還する協議が仕上げ段階に入っている。日本では逆のことが行われているわけで、中国を主敵にした指揮系統に韓国まで巻き込むのではないかと危惧する声が少なくない。ユン前大統領が自衛隊との協力関係についても独断専行の批判が強く、ユン弾劾罷免後は「中国との無駄な対立を扇動する」(ハンギョレ社説4月18日)と解消を求める声が圧倒的である。在日米軍と自衛隊の指揮権統合はかつての旧韓米連合司令部がモデルになっていると見られるが、時代を逆行するようなものである。
     それはある種の洗脳の結果である。東西冷戦終了と共に西ではNATO解体、東では在日、在韓米軍縮小・撤退が浮上してきたが、クリントン政権時のナイ国務次官補は「中国を念頭」に日米安保の再定義を提唱し、東アジアにおける米軍10万人体制維持を強調する「東アジア戦略報告(ナイ・リポート)」(1995年)で「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」へと主導した。軍事力や経済力のハードパワーに加え、中国などを民主化へと誘導するソフトパワーを提唱し、広くカラー革命の設計者となった。さらに、国連安全保障理事会の決議なしにブッシュ(子)政権がイラクのサダム政権を攻撃したイラク侵攻作戦(2003年)ではアーミテージ国務副長官が日本に「旗を見せろ」と同調を迫り、日本憲法9条が集団的自衛権を禁止していることを「同盟協力の妨げ」とあからさまに否定した。ナイとの超党派的な共作「アーミテージ・ナイ・リポート2024」は集団的自衛権の制約を解くよう正式に促し、安倍政権による安全保障関連法(2015年)となった。日米安保が軍事を軸にした同盟関係へと変質し、日本人の多くが慣らされてきたのだが、それを「洗脳」とショック療法を施しているのがトランプの関税外交と解釈できないことはない。イラク侵攻作戦はロシアのウクライナ侵攻作戦と酷似しており、トランプも驚いているだろう。

     いいように弄ばれてきた中国はというと、いよいよ堪忍袋の糸が切れかかっている。バイデン政権時の昨年2月に米軍と共に模擬演習「キーンエッジ」を極秘に行っていたが、自衛隊機から中国艦艇にミサイルを発射するシミュレーションまで行っていたことが最近、発覚した。中国は「我々の強大な能力を見くびってはならない。身の程知らずに軍事挑発するなら、代償を払うのは必至だ」(中国国防部報道官4月16日)と、2カ月以上前の事件に異例の重大警告を発している。日本側は「台湾有事」を想定した訓練と釈明するが、相手は「台湾有事」は嘘も方便で、直で中国を挑発したと一歩も譲らない。「代償」とは旧敵国条項に基づく先制的軍事行動と理解すべきであろう。
     中谷防衛相の一線を越えた「戦域」発言と「日本の右翼の民間機」に対する中国海警局ヘリ出動、それに今回の重大警告と中国側の対応は明らかに一貫した目的性を帯びている。「日本有事」が単なる机上のシミュレーションではなくなってきているのである。防衛省によると昨年度の自衛隊機のスクランブルは704回で、中国機66%、ロシア機34%と急増し、文字通りに中露と一触即発の状況である。昨今、「戦中」という言葉が日本でも飛び交っているが、日中両軍が衝突した盧溝橋事件(1937年)、日ソ両軍が衝突したノモンハン事件(1939年)がいつなんどき歴史の彼方から飛び出してくるかもしれない。
     おりしも対独戦勝80周年記念式典に沸くモスクワでは5月8日、プーチン大統領と習近平主席が会談し、「中露関係」と「戦勝80年」の二つの共同声明を発表した。「戦勝80年」は日本名指しで「非人道的な歴史から学び、軍国主義と完全に決別すべきだ」と警告している。プーチンは会談で「中国と共に現代のネオナチズムと軍国主義に対抗する」とし、習近平は「中国はロシアと共に世界の大国としての特別な責任を負う」と応じた。記念軍事パレードには中国人民解放軍も参加しており、中露関係は中ソ論争で対立した旧中ソ関係をしのぐ強固な同盟関係へと昇華したと考えて間違いない。
     トランプ大統領も5月8日を「第2次世界大戦戦勝記念日」と宣言する布告を出し、記者団に「我々のおかげで連合国は勝った」と記者団に述べた。G3が戦後80年の原点を確認しあったことに今日的な意義があろう。

     モスクワの軍事パレードを極東から祝賀するように、朝鮮が2カ月ぶりに弾道ミサイルを発射し、日本の排他的経済水域の外に落下した。韓国軍によると、8日朝、元山付近から東海(日本海)に向けて複数の種類の短距離弾道ミサイルが発射された。短距離弾道ミサイル「KN23」と超大型放射砲「KN25」と分析され、ロシアへの輸出を念頭に置いた性能点検とみられる。

     日本には過度に敵対心を煽る反朝派が少なくないが、朝鮮には日本を攻撃する意図は露ほどもない。何のメリットもなく、外交における対日優先順位は低下しているからである。

     また韓国との関係も相互承認を見据えた「二つの国家論」で南北の軍事境界線を国境線化して安全地帯に変えようとしている。38度線から精鋭部隊を抜いてクルスク州に派遣したのもそのためである。韓国で南北関係に融和的な新政権が誕生しようとしており、国交正常化や軍縮交渉はあっても、「朝鮮有事」はほぼ無くなった。韓国との局地戦に備えた100万以上の兵力は不要となり、陸軍大国から脱皮して海空軍中心にスリム化しようとしているとみられる。
     朝鮮中央通信(4月26日)が「5000トン級の新型多目的攻撃駆逐艦・崔賢の進水式が25日に南浦造船所で行われ、金正恩国務委員長が同規模の巡洋艦や護衛艦の建造による遠洋作戦艦隊を創設すると演説した」と報じた。過去に建造した最大のものは1500トン級であり、急速に大型化が進んでいる。新型駆逐艦は垂直発射台を備え、艦対地、艦対空、艦対艦ミサイルを搭載するとみられ、韓国国防省はイージスレーダーを備えた「北朝鮮版イージス艦」と分析している。

     金正恩は「核動力戦略誘導弾潜水艦を建造中」と明らかにしているが、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)搭載可能で排水量は5000~6000トンの原子力潜水艦と推定されている。もともと軍事技術は高く、ウクライナ戦線でのロシア支援の見返りで最新軍事技術を入手し、短距離弾道ミサイル「イスカンデル」を真似た「火星11(KN23)」を開発してウクライナでの実戦に導入されているとの情報もある。

     金正恩の「遠洋作戦艦隊」創設構想は来るトランプ大統領との会談を見据えたデモンストレーションの側面もある。型破りのトランプ大統領がディールでカードを重視することは過去三回の会談で了解済みであり、米本土を脅かす新艦隊を核軍縮会談における交渉力を高める切り札の一つとする。要求を吊り上げ、祖父、父が実現しようとした30年遅れの朝米国交正常化を一挙に成し遂げる狙いも込められていよう。
     そうなれば朝鮮の外交・安保環境は一変する。中国、ロシアの同盟関係と対米関係のバランスを適度に取りながら相互の仲介役を担うことも可能となる。祖父・金日成が一世を風靡した主体的な自主外交再現も夢ではない。

     スイスで10歳から金正恩は西側の合理主義も理解する複眼思考の持ち主であり、バランス感覚に富んでいる。軍事に偏ることなく、ウクライナ特需を起爆剤に分相応な経済強国を目指していると考えられる。私は1990年にソ連(当時)極東のウラジオストクを訪れた際、朝鮮国境に近いハサン市と、その十年前に訪れた朝鮮の不凍港・羅先を結ぶ鉄道や陸橋が開通したら地域は飛躍的に発展するだろうと思ったことがある。それが今、実現しようとしているとのニュースに接して、展望が開かれた思いがした。新潟港など対岸の裏日本との船便がいまだに再開されないのが不思議なくらいである。

     朝鮮国際旅行社(KITC)瀋陽支社に今年3月、日本担当者が赴任し、4月6日にはピョンヤン国際マラソンが開催されるなど対外開放は確実に進展している。

     石破首相が戦後80年の特別談話を出すかどうかは未定だが、「日本有事」への危機意識は強まっているようである。「核保有国に囲まれた日本の安保環境はかつてなく厳しい」との認識を繰り返し示す。朝鮮のミサイル実験のたびに鳴らされたJアラートとともに全国でシェルター建設が始まったが、「何があっても国民が傷つかない体制を早急に構築したい」(3月自民党大会)とハッパをかけた。昨年4月時点で全国に約6万(うち地下施設約4千)の「緊急一時避難施設」が指定されているが、自衛隊基地が新設された石垣島で500人収容の地下シェルター(防空壕)建設が始まると「沖縄戦の住民移動と類似」(沖縄タイムス論壇4月17日)と反発され、批判的な世論が高まっている。

     石破首相に望みたいのは戦前志向のような地下シェルター(防空壕)を必要としない合理的な外交である。今、周辺国で日本首相を温かく迎えてくれる国は朝鮮くらいではないか。石破茂・金正恩会談が実現すれば東アジアの安保、経済環境に新たな展望が開けよう。持論の「無条件日朝対話再開」を実現するのは、今である。電撃訪朝を勧める。
     日本の近代は嘉永6年(1853年)のペリー提督率いる黒舟の来航に始まるが、不幸にも反米、親米と揺れてきた。「第二の黒舟ショック」を期として、朝鮮通信使が往来していた江戸時代の戦争なき善隣友好関係の窓を開いてほしいものである。

    (河信基2025年5月10日 無断転載禁)

  • ウクライナ和平を主導する新ビッグ3+のパワーゲーム

      
     我々はまさに戦後の転換点にいる。第二次世界大戦以来の国際秩序を根本的に変えると内外が声を揃えたウクライナ戦争が勃発3年を過ぎ、トランプ2.0発足間もない米露首脳電話会談(2025年2月12日)で停戦、和平の基本合意が成り、ようやく終着点が見えてきたからである。

     ウクライナ和平協議がゼレンスキー政権の頭越しに始まったのは決して偶然ではない。拙書『ウクライナ戦争と日本有事 ビッグ3のパワーゲームの中で』(2023年9月刊)でいち早く指摘した「米露の代理戦争」の必然的な帰結と言える。バイデン前大統領影響下のG7はその点を歪めて事態をいたずらにこじれさせたが、トランプ2.0がノーと声を上げ、プーチン大統領との直接交渉に踏み出した。電撃的な米露首脳電話会談についてはトランプの気まぐれ、一過性のハプニングとする見方が日本でも支配的であったが、そうではなかった。ルビオ新国務長官が「核大国間の代理戦争だ。ウクライナを支援する米国とロシアの代理戦争だ」(FOXニュースインタビュー2025年3月5日)と初めてウクライナ戦争の本質に言及したのである。ウクライナ即時停戦・和平のイニシアチブをとったトランプ大統領の意向を代弁したことは言うまでもない。間髪を入れずロシア側が「戦争を止める時だ」(ぺスコフ報道官)と応じてバイデン前政権時の齟齬に終止符が打たれ、米露協議が本格軌道に乗った。ゼレンスキー大統領は落ちた偶像となり、ウクライナ戦争の最大の被害者であるウクライナ一般国民は今ようやくカラー革命の呪縛から解放され、泥沼の地獄から脱出しようとしている。
     何をもって代理戦争と言うのかと今でも日本では否定的ないしは懐疑的な意見が支配的だが、結果ばかりに目を取られ、原因が見えなくなっている。プーチン大統領がウクライナへの侵攻を命令した「特別軍事作戦(2022年2月24日~)は結果であり、原因があってのことである。

     いつの世でも紛争解決には原因解明が鍵となるが、事の発端はウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟問題でバイデン大統領とプーチン大統領が対立したことにある。プーチンは繰り返し話し合いによる解決を求め、一度は米露首脳会談の日程調整まで行ったが、バイデンが突然キャンセルした。その直後、特別軍事作戦を発令し、対国民記者会見でその最大の目的は「ウクライナのNATO加盟阻止にある」と明かし、ウクライナに軍事顧問団を派遣してなし崩し的に進める米側を非難した。よくある戦争のパターンだが、バイデンは待ち受けていたかのように「国際法違反の侵略」と切り返し、ゼレンスキー大統領を抵抗の象徴とするナラティブでG7を糾合しながら対露経済制裁でプーチンを一挙に追い詰めようとした。ドル建てのSWIFT(国際銀行間通信協会)から締め出せばルーブルは暴落し、ロシア経済は1ヶ月も持たないとほくそ笑んでいたのである。
     しかし、その目論見は見事に失敗して足元の米国内でそのナラティブの虚構性が露になり、中東のガザで虐殺を繰り返すイスラエルのネタニヤフ政権を支援するダブルスタンダードへの非難が加わり、9カ月後の米中間選挙でウクライナ支援中止を求める野党共和党が勝利した。マッカーシー新下院議長は急遽訪米して米議会に支援継続を訴えたゼレンスキー大統領に「金額欄が空白の小切手を渡すわけにはいかない」(2022年12月)と通告した。

     そこから事態は新たな展開をする。対露経済制裁に否定的であった中国外務省がウクライナ戦争勃発1周年の翌年2月24日、12項目からなる「ウクライナ危機の政治的解決に関する中国の立場」を発表し、「対話はウクライナ危機を解決する唯一の道だ。中国は建設的な役割を果たす」と和平を提唱した。水面の一石のように、ブラジルなどBRICSを中心としたグローバルサウスにたちまち波紋が広がり、1週間後、トランプ前大統領がワシントンで開催された「保守政治行動会議」(3月4日)に駆けつけ、「ウクライナ戦争はバイデンの戦争」と批判し、「私は第三次世界大戦を阻止できる唯一の候補だ」と声を張り上げた。そして、トランプ2.0発足とともに「米露の代理戦争」の収拾に乗り出し、「バイデンの代理人」とみなしていたゼレンスキー・ウクライナ大統領頭越しの米露和平協議が力強く始動した。


     刮目すべきは、トランプが「第三次世界大戦を阻止」と再選出馬の動機を熱く語ったことである。その熱量はさらに高まり、大統領就任記者会見(2025年1月20日)でウクライナ戦争を「24時間に終わらせる」と即時和平をプーチンに呼び掛け、同時的に、中国を含めた米中露による核軍縮を提唱した。

     外部から見ると渦中の当事者動きが冷静に見えるように、ウクライナ戦争を米露と露を背後で支える中国を交えたビッグ3の代理戦争といち早く看破し、ビッグ3がいずれも核超大国である以上、核軍縮と並行しなければ実効性は保てず、持続的な平和も心もとないと判断したのであろう。バイデン構文を自前の「価値観」に偏っていると突き放し、割合と冷静に観察していたということである。米一極主義の独善的なバイデン構文に辟易していた中露に総論上、異論はない。事実上の新G3+の出帆であるが、降って湧いたような核戦争の恐怖に怯える人類にとって朗報と言うべきであろう。

     
     トランプ2.0が矢継ぎ早に発する対露対話策をバイデン憎しの感情論、一過性の気まぐれと切り捨てる論調が日本の新聞、テレビ報道で目に付くが、木を見て森を見ない謗りを免れない。トランプ2.0には核超大国である中国、ロシアとの協調、すなわち新G3主導で新国際秩序を構築する戦略的な意図が読み取れる。ウクライナショックで欧州、日韓で「核抑止」を名分にした「拡大抑止」「核共有」がしきりに取りざたされていることへの実利主義者トランプなりの危機感があると考えられる。NATO諸国や日本、韓国では「ロシアは核を利用して牽制した」と警戒し、対抗策として米国の核に相乗りする「拡大抑止」「核共有」を容認する論「核抑止論」が高まっているが、ミイラ取りがミイラになりかねない。「核抑止論」は畢竟、相互の疑心暗鬼を高めるだけであり、破局へと向かうチキンレースでしかない。ノルウェイのシンクタンクによると、2024年時点で使用可能とされる世界の核弾頭が前年より数百増えて9604発を数えるとされ、核拡散防止条約(NPT)が形骸化している実情を改めて浮き彫りにした。NPTで核保有国と認定された米露中英仏が反目し、自己の勢力圏を拡大する手段として特定国の核開発を黙認し、加えて、「核共有」「拡大抑止」を助長していることが事態を一段と悪化させているのである。核兵器禁止条約第3回締約国会議で採択された政治宣言(3月8日)は「すべての人の生存を脅かす核のリスクの存在が前提」となっていると「核抑止論」を告発し、同会議にオブザーバーすら送っていないNATO諸国や被爆国日本を名指し批判したが、むべなるかなである。なお、同条約に中国は「自国の安全が損なわれる」として参加していないが、自国の10倍の核を有する米国を意識しての発言であり、トランプ政権の出方次第の側面がある。

     毒を以て毒を制すとの諺があるが、核保有数で抜きん出た米露中三大核超大国が核軍縮で足並みを揃えることが出来れば、他の弱小核保有国も右へ倣えするしかない。イデオロギー・宗教感情を超えた客観性ある真摯な対話に基づく信頼関係醸成が不可欠であり、それのみが国際的な政治力学の冷徹な論理に合致する。逆もまた真なりである。

     新G3主導を如実に見せつけたのがロシアによるウクライナ侵攻開始後初めて国連安全保障理事会で採択された、画期的とも言える決議(2月24日)である。米国が提出し、「ロシアとウクライナの紛争の迅速な終結」を求めたのである。「人命損失を悼み、平和的に解決することが国連の目的」とし、ロシア非難の常套句であった「侵攻」や「ウクライナ領土の保全」などの表現は一切なく、「紛争終結」を求めた。ロシア、中国など10カ国が賛成し、イギリス、フランス、デンマーク、ギリシャ、スロベニアの欧州5カ国はロシア寄りの案だとして棄権した。これまでは常任理事国の足並みが乱れ機能不全に陥っていたが今回、英仏は拒否権を行使しなかった、というよりも、出来なかった。新G3+の無言の抗えない圧力を感じたからにほかならない。なお、反ロシアで日本と足並みを揃えていた韓国政府が賛成に回ったことが意外感を与えているが、ロシアへの軍事支援で国際的な存在感を高めている北朝鮮との関係でトランプ政権の助けが不可欠と妥協せざるをえなかったのであろう。
     それに先立つ国連総会(193カ国)でウクライナとEU加盟国、日本など50か国による共同提案がロシア軍に「完全かつ無条件での即時撤退」を求め、「戦争の年内終結」の必要性を訴える決議を採択したが、米国、ロシアなど18カ国が反対、中国など65カ国が棄権し、過半数ギリギリの93カ国賛成で採択された。安保理決議と異なり総会決議には拘束力がなく、「国際社会の総意」を測るバロメーターとみなされてきた。ウクライナ戦争初期にはロシア非難一色であったが、もはや過去の話である。バイデン、プーチン、習近平のパワーゲームであった「バイデンの戦争」はバイデンとその協力者のG7首脳が軒並み政権から追われて勝敗は決した。

     安保理決議には法的拘束力があり、同決議がウクライナ問題解決の国際法上の最高規範となる。新G3+のイニシアチブは国連の在り方も変えようとしているということであり、G3体制は現実と成りつつある。

     トランプ外交の特徴は権限あるトップ同士のディールにある。ワシントンの衒学的で保身的なエリート官僚に任せていては埒が明かないと見ていると指摘されるが、当人も否定しようとしない。そこには第二次世界大戦終了後に誕生したベビーブーマーとして戦後世界を見てきたトランプ一流の世界認識があるとみられる。ベトナム反戦運動、東西冷戦、冷戦終了後の混乱を見てきた世代特有の世界観である。意外と知られていないが、トランプは政界入り前に尊敬するキッシンジャー元国務長官の私邸を訪れ、国際政治を私淑している。モスクワに特使を派遣し、ウクライナ頭越しの和平協議の道筋をつけた方式は米中国交正常化の道筋をつけたキッシンジャー大統領補佐官の電撃的な北京訪問(1971年7月)を彷彿させるが、トランプは米史上最大の策士と崇める亡き師を思い浮かべながら、してやったりと快哉を叫んだことだろう。
     米国がロシアはともかく中国と協調するのはありえないとの見方が根強くあるが、国際政治力学的にはそれが最も現実的であり理性的なのである。実質GDPで中国が米国を追い抜き、軍事力も米国は中+露に劣るのが世界の冷厳たる現実であり、米国の選択肢は自ずと限られる。それを米国の危機と認識したバイデン大統領はNATO東方拡大の旗印でG7など同盟国、同志国を糾合して頭をもたげるライバル叩きを始めた。その流れの中でウクライナ戦争が勃発したが、ロシアはバイデンの想像以上に強固であり、中ロを引き離すこともできなかった。逆に、対露経済制裁ブーメランによる超インフレ→高金利→スタグフレーションの悪循環で自国民から反発を買い、バイデン以下G7首脳はいずれも政権を追われた。
     それを批判し大統領の座に復帰したトランプは、リアルな力学的な打算に基づく掛け値なしのディールを基本とする。中露を引き離すために総力を挙げるが、引き離せなければ譲歩するしかない。米国務省ホームページの「ファクトシート」がトランプ2.0発足直後の2月13日付で更新され、「同盟国やパートナーと緊密に協力し、中国に対処する」との表現が削除された。バイデン式のイデオロギー偏重の反中包囲網はトランプ外交にはない、と見た方がよかろう。

     G3+は米ソ英首脳が第二次世界大戦後の世界秩序を決めたヤルタ協定以上の役割を果たせるかも知れない。トランプが呼び掛ける米露中の核軍縮交渉にプーチンも乗り気である。習近平の反応はいま一つ定かでないが、米国が核開発を非難するイランとロシアを誘って北京で次官級核協議(3月14日)を行って牽制しているのを見ると、関心自体は小さくない。トランプが隣国朝鮮の金正恩総書記に急接近している動きに神経を尖らせている面もある。

     少々楽観的になるが、美辞麗句を並べた口先だけでは通じないリアルな丁々発止のG3+主導の核軍縮は、人類全体にとって福音となろう。広島、長崎の原発投下で終わり、核開発競争時代の幕を上げた第二次世界大戦後の悪しき側面に終止符を打つまたとない機会到来である。

     
     

     破壊的とも言えるトランプ外交の威力を見せつけたのがウクライナ和平協議にほかならないが、総論はここまでにして、具体的にみてみよう。

     トランプ大統領はプーチン大統領と電撃的に電話会談(2月12日)し、その直後に自身のSNSへの投稿で1時間半交わされた会談内容を明かし、ウクライナ和平交渉を即座に開始することで「合意」したと記した。「大勢の死を止めたいという考えで一致した」と正当性を強調し、バイデン前政権下で冷え込んだ米ロ関係を改善するため「相互訪問」することでも合意したと明かした。その後、ホワイトハウスでの記者会見で「ウクライナのNATO加盟は現実的でない」と断言し、ゼレンスキー大統領が一貫してこだわるクリミア半島返還問題についても2014年以前の状態に戻すことは「ありえない」と否定した。タス通信も同日夜(日本時間13日未明)、「プーチン大統領がトランプ大統領と電話で会談」と報じた。ペスコフ報道官によると、両首脳はウクライナ情勢の「長期的解決」は交渉で達成可能だとの認識を確認し、戦争終結に向けた対話を始めることで一致した。プーチンは翌日、「協力すべき時が来た」とし、トランプをモスクワに招待し、相互訪問を行うと述べた。

     ウクライナ紛争の「根本原因」への認識を共有し、NATO不加盟で合意した以上、動きは速い。ウクライナの頭越しで和平協議が動き出したということであり、残るはウクライナ側の同意を取り付けることである。当面の問題は、ゼレンスキー大統領が置かれた立場を認識していないことであった。モスクワを拠点とするコメディアンとして鳴らした人物であるが、一度はまったバイデン構文のナレティブの英雄意識がなかなか抜けず、自身とウクライナ国民のために最後の演技力が試される。

     トランプ大統領はバイデン前政権のウクライナ支援の見返りを得ようとウクライナに眠るレアアース採掘権など鉱物資源の権益を求めてきた。ゼレンスキー大統領は猛反発し、「ウクライナの安全の保証」が不可欠と主張した。自らトランプを説得するしかないと「鉱物資源の権益に関する合意文書」締結に賛成し、ホワイトハウスに側近たちを引き連れて乗り込んだ。トランプは合意文書締結式」(2月28日)直前に共同記者会見を準備し、テレビカメラに公開したが、これ幸いとゼレンスキーはトランプの交渉姿勢がロシアに寄りすぎていると面と向かって批判し、停戦前に「ウクライナの安全の保証」が必要だと重ねて訴えた。トランプは「無礼だ」と一喝し、テレビカメラの前で双方が顔を真っ赤にし、小突き合う前代未聞の醜態となる。バンス副大統領の加勢を得たトランプは「あなたにはカードがない。第三次世界大戦を賭けてギャンブルしているだけだ」と声を荒げ、「大統領選挙を延期した独裁者だ」と事実上、辞任を迫った。締結式は中止となり、ゼレンスキー一行は追われるように去るしかなかった。

     その3日後、米政府はウクライナへの軍事支援停止を発表し、CIAも情報提供中止と続いた。その十数時間後、万事窮したゼレンスキーはトランプ大統領に書簡を送り、SNSへの投稿で首脳会談決裂を謝罪し、「トランプ大統領の強力な指導力の下での平和への決意を伝えたい」と恭順の意を表した。書簡を受け取ったトランプは施政方針演説(3月4日)で13回もバイデン前大統領の名を挙げて「米国史上最悪の大統領」と全責任を覆いかぶせ、「ウクライナでの無意味な戦争を終わらせるべきだ。ロシアと同時進行で真剣な和平協議をしている」と成果を誇示した。その1週間後に米国とウクライナはサウジアラビアで高官協議(3月11日)を開催し、ウクライナ側は鉱物資源の権益に関する「合意文書」にサインし、米国が提示した「30日間停戦案」を受け入れた。

     それを受けてトランプ大統領はウクライナとの合意文書の内容を伝える特使をプーチン大統領に送ったが、確答は得られなかった。プーチン大統領は前日の13日にベラルーシのルカシェンコ大統領とクレムリンで共同記者会見し、30日の即時停戦案について「感謝する」と米側の労をねぎらいながらも、「危機の根本原因を取り除くものでなくてはならない」と従来の主張を繰り返した。読売新聞は「事実上拒否」と報じたが、条件を付けたということである。その真意を確かめるべくルビオ国務長官がラブロフ・ロシア外相と電話会談(15日)したが、原則的主張を繰り返すだけであった。

     やはりトップ会談でなければ何も進まない。そう判断したトランプは記者会見(16日)を開き、ロシアとの停戦交渉の見通しに「自信を深めている」とし、 18日にプーチン大統領と「おそらく会談する」と述べた。「領土」や「発電所」について話し合い、「特定の資産の分割」についてはすでに前から協議中と明かした。 他方、ゼレンスキー大統領について「支持率が落ちている」と指摘しながら、「大統領選挙を行うべきだ。ロシアも同意見だ」と断言した。トランプに近いFOXニュースは同日、米国が①停戦、②ウクライナ大統領選挙、③最終的な協定締結という3段階の和平案を検討していると報じた。ロシア側もかねてからゼレンスキーは昨年5月に戒厳令を理由に大統領選を延期しており、協定に署名する資格がないと主張している。ゼレンスキーは辞任か亡命か、米露から厳しい選択を迫られている。

     

     プーチン大統領は有利に展開している戦況を固め、しかる後に停戦を考えている。トランプから「30日間停戦」を督促されている最中(3月12日)、軍服姿でウクライナ軍が越境攻撃した西部クルスク州のロシア軍指揮統制センターを訪れ、「敵を最短期間で決定的に打ち破って領土を完全解放し、国境沿い地域の状況を回復する」と檄を飛ばした。随行したゲラシモフ総参謀長から「ウクライナ軍が占拠した領土の86%以上を奪還した」との報告を受けてのことで、2月中旬には「64%」とロシア国防省は発表しているから、米国がウクライナへの武器支援と情報提供を中止したこともあり、急速に奪還地域が拡大している。

     ウクライナ軍兵士からは「2~3週間前から北朝鮮兵の精鋭が多数投入されている」(日経3月7日)と大手紙まで報じる苦境にあり、背後から夜間奇襲攻撃を果敢に仕掛けてくる朝鮮軍は恐怖そのものである。ゼレンスキーもミュンヘンでの記者会見(NBCインタビュー2月14日)で、「米国の支援なしにウクライナが生き残れる可能性は低い」と述べ、「ロシアはクルスク州に2000~3000人の増派を北朝鮮に要請している」と北朝鮮兵の存在が戦局に大きな影響を与えているとの見方を示していた。越境攻撃したウクライナ軍の半分、約1万が立てこもる国境沿いの要衝・スジャが包囲され、前線近くまで駆け付けたシルスキー・ウクライナ軍総司令官は「ロシア軍と北朝鮮兵の圧力が高まっている」と敗色を認め、撤退を示唆した。そして、プーチンが前線を訪れた翌13日、ロシア国防省は「スジャ奪還」と発表した。欧州に向かうガスパイプラインの要衝地であり、ウクライナ軍の物資供給拠点となっているスジャ陥落で、ウクライナ軍は総崩れに直面している。なお、プーチンはウクライナ軍の外国人傭兵には捕虜への人道的な扱いを定めた「ジュネーブ条約を適用しない」と厳しい注文を付けたが、海外のネオナチが加わったアゾフ旅団の捕虜を念頭に置いているとみられる。
     プーチン大統領は簡単には停戦に応じないであろう。クルスク州奪還に加え、同時的に攻勢を強めているドネツク州など東南部4州の完全占領を完遂して有利な戦況を固め、しかるのちに停戦、というのがシナリオと読める。その先であるが、勝者となったプーチンがトランプとの協議でいかに線引きするかは神のみぞ知るが、ヒントになりうるのがキッシンジャーが生前に残した三分割案である。東南部ロシア、中部に米国が鉱物資源権益を掌中に収める緩衝地帯、西部にウクライナと想定されるが、米露の利害が必ずしも一致するわけではない。キッシンジャーと懇意にしていた習近平の仲裁がものをいう場面もあろう。

     米露のウクライナ和平協議は「侵略」「国際法違反」とロシア非難一色となってバイデン政権が全面バックアップしたウクライナの勝利を疑わなかった米欧日のマスコミ・言論が予想だにしなかった展開だが、バイデン主導G7の最大の敗北要因はほかでもない対ロ経済制裁(2022年3月~)ブーメランである。「一カ月でロシア経済の息を止める」と豪語したG7による対ロ経済制裁は、原油・天然ガスなど豊富な地下資源を戦略的武器とする秘策を練っていたプーチンの「資源外交」の反撃に遭い、逆にブーメランとなって各国に跳ね返り、超インフレ→金利上昇→不況(スタグフレーション)の負の連鎖を引き起こし、社会の土台を揺さぶり始めたのである(前掲書序章「『日本有事をいかに避けるか』バイデン大統領最大の誤算―対ロ経済制裁ブーメラン」P30参照)。
     それをいまだに認めたがらず、「ロシアの外貨は秋に枯渇する」と一縷の希望に賭ける向きがあるが、現実は直近の2024年のIMF統計実質経済成長率(中国4・8%、ロシア4・1%、米国2・8%、英国1・1%、フランス0・7%、日本0・1%、ドイツ0%)に一目瞭然である。文字通り対ロ経済制裁ブーメランに直撃され、ゼレンスキー支援の旗振り役であったジョンソン英首相が早々にダウニング街10番地を追われたのを皮切りに、バイデンに付き従った岸田首相、マクロン仏大統領、ショルツ独首相、トルドー加首相らG7首脳はバイデンと共に退陣もしくは孤立する政変ドミノに引き込まれた。かくして旧G7はほぼ自壊し、代わってトランプ、プーチン、習近平の新G3がウクライナ和平協議の中心となり、新世界秩序形成を牽引している。

     経済的実益重視のトランプ大統領がゼレンスキーとは問答無用とばかりにウクライナ和平を急ぐ主要動機の一つも、いまだにインフレ圧力で米経済を根底から揺さぶり続ける対ロ経済制裁ブーメランに終止符を打つことにあろう。それなくして米国だけでいくらシェルオイルを掘りまくっても、価格暴落を招いて自傷行為になりかねない。国際的な需給関係が歪んだままでは自ずと限界があるということである。

     停戦はあくまでも和平協議の第一歩であり、その後のロシアの対応についてはまだ不確定要素が多い。カウンターパートナーとなるトランプ大統領の外交方針自体も定まっていないが、はっきりしていることは、NATOの戦略的な位置づけで英仏独と対立し、G7メンバーのカナダを51番目の属国州扱いしているように、バイデン構文の基調である同盟関係を顧みることはないということである。そのノリでロシアに急接近しているのだが、プーチン大統領としては対話すら拒んだ独善的で慇懃無礼なバイデンよりは遥に好ましい相手であり、カードを出し合って現実的にディール出来ると踏んでいよう。
     プーチン大統領が「特別軍事作戦」の目的としてウクライナの「NATO加盟阻止」に「中立化」、「非ナチ化」を加えた3条件を掲げたのは周知のことであるが、G7相手の代理戦争でまんまと勝者の位置を占めたと確信し、その先も見据えていよう。事実は小説より奇なりで、ロシア中枢ではメドベージェフ安全保障会議副議長・前大統領ら強硬派が勢いづき、「プーチン氏は欧州や世界の安全保障を構築し、より信頼できるものにしたい。ウクライナは大きな絵の一部にすぎない」(コルトゥノフ・「ロシア国際問題評議会」朝日新聞インタビュー3月13日)との見方も拡散している。

     記憶は特別な思いと共に末永く刻まれるが、私もモスクワ中心部の「赤の広場」のレーニン廟を参拝した後の見学で裏手のクレムリン宮殿前の広場に迷い込んだ光景が忘れられない。ソ連崩壊(1991年12月)約4ヶ月前のことであるが、人っ子一人見えない。「権力の空白」とは権力の中枢部から人が消えることだと実感したが、その空白を埋めたのがKGB中佐であったプーチンにほかならい。同じ景色を見たよしみで前掲書に「ソ連共産党員証を今も持っている」と語り、ソ連崩壊を「悲劇だ」と回顧するプーチンはいずれ「新たなソ連を目指す」と書いたが、的外れではなかったようだ。中国共産党総書記に就任するや「社会主義現代化強国」路線を鮮明にした習近平と「盟友」と共鳴するのは故なしとしない。

     上院議員時代から旧ソ連の残滓一掃に傾注し、カラー革命をロシアに及ぼすと目論んでいたバイデンとのパワーゲームは宿命的ですらあったが、起死回生の一手の「特別軍事作戦」の勝利者となったプーチンには胸深く込み上げるものがあろう。ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長間で交わした「冷戦の終結宣言(1989年12月)」で約した、NATO東方不拡大の「1インチの約束」違反に今でも怒りがくすぶっているだけに、ワルシャワ条約機構解体と同時履行で行われるはずであったNATOの縮小再編、とりわけ東欧諸国のNATO加盟撤回は悲願とも言える。ウクライナ軍解体と非軍事化、ネオナチとみなしているゼレンスキーを大統領選挙実施の形で排除することを求めているのはその一環である。


     NATO東方拡大に終止符が打たれ、少なからぬ反動が起きることは避けられないだろう。米欧が改めて痛感させられたことは、ロシアが米国に劣らない核超大国であるという事実である。さしものバイデン大統領も核を誇示するプーチン相手に米軍を直接ウクライナに派遣する冒険は出来なかった。NATO諸国も同様に、ゼレンスキーの矢のような介入要請に応じることはなかった。そこに一期目からNATO解体論を唱えていたトランプ2.0登場で、NATO諸国は半パニックに陥っている。ルッテNATO事務総長が急遽米国に飛び、トランプ大統領との会談(3月13日)でNATOへの継続的な核の傘提供を求めたが、明確な言質は与えなかった。同日、不安を抑えられないポーランドのドゥダ大統領が英紙FTとのインタビューで「NATOの国境は1999年に東に移動した」として米国に核兵器をポーランド領土に配置するように求める意向を示したが、米国自身が核の火の粉を浴びかねないディールにトランプが応じる可能性は低い。
     流れが変わりつつあることを感じ取った東欧諸国で、民主化の名で親米欧政権を次々に誕生させたカラー革命への幻滅と、汚職が蔓延って格差が拡大し、欧州の二等国家に堕ちた現状への不安と反感が高まり、親露政権復活の逆流が起きている。直近の例がルーマニアで、ジョルジェスク候補が昨年(2024年)11月の大統領選挙で首位となりながら、プーチン大統領を「愛国者」と称えたロシア寄りの姿勢が問題視され、「SNSによる世論操作」とのあらぬ容疑まで着せられて決選投票を阻まれ、今年3月11に立候補資格自体を奪われた。カラー革命で誕生した似非民主主義の歪みが図らずも浮き彫りになり、見かねたトランプ政権のバンス副大統領が「表現の自由に違反」と批判した。「民主主義」の名による反対派弾圧を内外で正当化してきたとバイデン構文を全否定するトランプ大統領は就任早々に米国国際開発庁(USAID)を無駄遣いと廃止したが、人道支援の裏で各国の「民主化」運動を資金面で支援する流用があったことは知る人ぞ知る事実であり、今後は操られた「民主主義」は難しくなろう。東西冷戦終了後、東欧、中東で猛威を振るって内乱を引き起こし、膨大な難民を発生させてきたカラー革命の終焉である。まさにマイダン革命(2014年)で親露政権が打倒されたウクライナでそれが現在進行中であり、ゼレンスキー大統領は米露首脳双方から大統領選挙実施を迫られ、進退が極まっている。

     特異な動きを見せているのがマクロン仏大統領で、フランスが保有する160発の核の傘をNATOに提供する案を示唆しているが、米国なくしてはドン・キホーテのボロ傘でしかなく、賛同する国はない。さらに、ゼレンスキーが求める「安全の保証」のために有志連合でウクライナに数千人の兵士を派遣する案を示し、首脳級オンライン会合(3月15日)を主催したが、前向きの姿勢を示したのは英仏くらいであった。先の議会選挙で大敗して少数与党に転落し、存在感をアピールしようと必死だが、軽さは否めない。一期目のトランプ大統領とNATO不要論で息を合わせたが、バイデン政権が誕生すると豹変した。戦後の半分しか体験していない40代の大統領は冷戦の何たるかも理解できず、新冷戦になるかもしれない国際政治の複雑な潮流に対応するのは原理的に難しい。 

     

     いよいよトランプとプーチンの掛け値なしの綱引きが始まるが、キャステイングボードを握っているのは「漁夫の利」を得た習近平である。バイデンの失敗をホワイトハウスから距離を置いて見ていたトランプ大統領は、その前轍は踏むまいとするだろう。イデオロギーに偏り中国との平和的な体制競争を拒否したバイデンの選択は、トランプの目にはビジネスチャンスを自ら狭める稚拙なディールと映ったことであろう。バイデンと犬猿の仲になった中国主席は反射的に自身の友人であり、経済的な実益を追求する来るディールで「漁夫の利」を得る貴重なツールである。関税戦争を仕掛けながら、バイデンが同盟国と重視したカナダ、日本、さらにメキシコよりも税率で手加減を加えてディールの機を窺い、訪中のタイミングを探っている。両者の誕生日が重なる6月にワシントンで合同誕生会を催すイベントまで計画されていると報じられており、プーチンも加わったウクライナ和平をめぐる新G3の大団円もありうるだろう。そして、それは新たなディールの始まりとなるのである。

     ウクライナ戦争後の世界では社会主義復活の潮流が無視できなくなるだろう。私は『二人のプリンスと中国共産党』(2015年刊)で、「資本主義の道を行く国家資本主義」と曲解されがちな鄧小平の改革開放政策の本質はマルクス主義の生産力理論の創造的な適用による社会主義の蘇生にあると指摘した。中国は毛沢東の指導下で半封建的な生産力レベルから資本主義を経ずにいきなり社会主義体制へと移行したが、「万人が平等に貧しい」状況から脱せず、逆に文化大革命といった政治的な混乱を招いた。そこから脱するために開始したのが改革開放政策であり、市場経済の利点を活用し、「万人が平等に豊か」な本来の社会主義に相応しい生産力向上に努めた。その手本となったのが朴正煕の開発独裁であり、鄧小平は朴正煕が暗殺される直前まで密使を交換していた。というのは、私は韓国紙記者から米国に渡って実業家となった当の密使と東京のホテルで会う機会を得て、当時の話を直に聞いている。

     それを受け継ぐ鄧小平の正統後継者が習近平にほかならない。それも個人の意のままにならない運命か、バイデンは鄧小平の改革開放政策を「資本主義への道」と曲解し、副大統領、副国家主席時代から習近平と両国を互いに行き来しながら親交を深め、習に請われるままオバマ大統領に「米中新型大国関係」構築を進言した。習近平の本音は米国との管理された平和的な体制競争にあったが、バイデンは「社会主義現代化強国」路線と聞いて背信行為と逆恨みした。米史上最高齢の大統領となり、就任演説で「中国は唯一の競争相手」と積年の怨念を噴出させ、平和的な体制競争を封じる中国包囲網構築へと舵を切った。バイデンは中国を「権威主義」「専制主義」と独善的に否定して同盟国、同志国を誘って反中包囲網構築に傾斜し、それに同調しなかったプーチンとも衝突し、ウクライナ戦争を招くことになる。拙書『ウクライナ戦争と日本有事』(2023年9月刊)の帯に「『米中冷戦』をいち早く予測」と紹介されたのは、最悪のケースになったという意味である。
     実質GDPで米国を追い抜いた習近平のリーダーシップは誰も認めることであり、プーチンもそこから学ぼうとしているように見える。ニューヨーク、ロンドン、パリにホームレスが溢れ、極端な格差拡大に揺れる米欧資本主義は万人の生活権を平等に保障する社会福祉制度としては欠格であることが露になりつつある中、「社会主義の祖国」ソ連消滅の逆風をしのいだ中露で経済的に豊かな社会主義が再生され、西側に平和的な体制競争を挑むとしたら資本主義の現状に絶望している人々には選択肢が広がる新たな希望となる。

     「ウクライナは明日の東アジア」と述べたのは岸田首相(当時)だが、同じ思いでウクライナへの軍事支援まで検討していた韓国の尹錫悦大統領は「北朝鮮が扇動する内乱の危機が迫っている」として非常戒厳令を発布したが、野党議員や一般市民の果敢な抗議行動で阻止され、逆に内乱罪容疑で告発されて国会でも弾劾決議され、罷免に直面している。バイデン大統領すらも呆れ、離任直前に韓国を「センシティブ(過剰反応)国」に指定した。国内は弾劾賛成派と反対派に二分され、騒乱に近い状態にある。

     他方の北朝鮮の金正恩総書記は南北関係を「敵対的な2つの国」と再定義した。尹大統領は形容詞の「敵対的」に目を奪われて興奮して脱線してしまったが、金正恩の本音は「2つの国」にあり、旧東西ドイツのように国境をまず安定化させ、統一はその後、というものである。(拙論「金正恩の新外交戦略ー交戦中の二つの国家の深層分析」参照)。金正恩が韓国を「大韓民国」と正式国号で呼んでいるように、韓国側に「朝鮮民主主義人民共和国」と呼ぶ冷静さがあれば、南北は共存共栄、しかる後に平和統一の新章を開くことができよう。

     金正恩にとって外交を安定化させ、国内経済を再建することが第一である。ロシアとの旧同盟関係復活はその確かな第一歩であり、膨大な弾薬・ミサイル支援と派兵はその文脈から出てくる。いずれも有償援助であり、北朝鮮経済は日本の朝鮮戦争特需を彷彿させるウクライナ戦争特需で上昇気流に乗っている。外交的にはウクライナ戦局に少なからぬ影響を与え、否応なく国際的な存在感は高まっている。プーチン大統領は朝鮮軍に対してはいるともいないとも言及せず、軍事機密扱いしているが、戦局好転に多大の影響を及ぼしたことは認めている。旧ソ連がナチス・ドイツに勝利した「戦勝記念日」80周年記念式典(5月9日)に習近平総書記とともに金正恩総書記を招待しており、朝鮮軍については閲兵式参加などでしかるべく遇する意向とみられる。

     トランプ大統領もその存在感を無視できず、金正恩との第4次首脳会談の機会をうかがう。大統領就任時の同記者会見(1月20日)で「金正恩総書記とは仲が良かった。核保有国だが、うまくやれた」と述べた。ヘグセス新国防長官が上院公聴会で「北朝鮮は核保有国」と証言したことを追認したものであった。それに過敏に反応した日本政府内では「非核化を放棄した」との声が澎湃と沸き上がったが、非核化は核軍縮の先にあるとトランプは現実的に見据えている。実務交渉を担うコルビー国防次官が「北朝鮮の完全な非核化は非現実的だ」とし、米本土を射程としないICBMの射程制限を議論する「軍備管理」から始めると主張しており、来る朝米首脳会談を軍縮会談の場と捉えていることはほぼ既定路線と考えた方がよい。新G3の核軍縮と連動した核軍縮会議の一環とみられる。

     ホワイトハウスでNATOへの継続的な核の傘提供を求めるルッテNATO事務総長との会談(3月13日)でも「金総書記は確かに核保有国だ。インド、パキスタンと同様に軍縮に参加させよう」と述べた。歴代米政権は核兵器不拡散条約(NPT)を大義名分に朝鮮を孤立させ、無視しようとしてきたが、逆に朝鮮の核武装化、軍事化を進める結果となった。前任者の失敗を踏まえてトランプはカネと時間を浪費した非核化よりも実態に即した核能力抑制の核軍縮会議を提唱し、朝鮮も加えようとしている。無論、ロシアを揺さぶるカードにするしたたかな計算があろうが、それはそれで一つの外交なのである。「イランには軍事的な対応と取引の二つの対応があるが、私は取引を望む」(3月7日FOXインタビュー)としたが、朝鮮はそれ以上の友好国候補なのである。 

     

     最後に、懸念されるのは日本である。日英外務・経済閣僚による「経済政策協議委員会」(3月7日9)でいまだに「ロシアによる全面的かつ違法なウクライナ侵攻は欧州・大西洋とインド太平洋の安全保障を脅かす」と、基本認識が危うい。日米同盟を頼りに防衛費倍増と集団的自衛権拡大に邁進しているが、憲法9条違反であるばかりか、日本軍国主義復活に対して自衛的先制的軍事作戦を認めている国連憲章第53条などの旧敵国条項にも抵触する。前者は国内問題だが、後者は中露など国際社会が目を凝らしていることを忘れてはならないだろう。日本有事が迫っていると言ったら言い過ぎだろうか。

    (河信基2025年3月18日)

  • ウクライナ和平協議と新G3+

         

     『ウクライナ戦争と日本有事 ビッグ3のパワーゲームの中で』で予測した通り、ウクライナ戦争はNATOのウクライナへの拡大を巡るバイデン米大統領+、プーチン露大統領、習近平中国国家主席の思惑と力が複雑に交錯する熾烈なパワーゲームとなり、バイデンとそれに付き従ったG7のジョンソン英首相、マクロン仏大統領、ショルツ独首相、岸田首相、トルード加首相らが政権を追われるか政治危機に陥るウクライナ・ドミノで大勢は決まった。国際政治力学上、一定の方向性と規則性が出てきたということである。ウクライナ戦争はプーチンが「特別軍事作戦(2022年2月24日~)の最大の名分としたウクライナのNATO非加盟を前提にした和平へと動くしかないだろう。

     変数はトランプ新大統領の登場である。大統領選挙でウクライナ戦争を「バイデンの戦争」と舌鋒鋭く批判し、「私が大統領になったら24時間以内に終わらせる」と公約して当選したトランプは「プーチンと早く会い、ウクライナ戦争を終わらせる。プーチンも望んでいる」(1月9日)と直接会談に意欲を見せた。他方、ウクライナのゼレンスキー大統領にはバイデン前大統領に操られたと懐疑的で、「彼は戦争を招くべきではなかった」(25日ラスベガス演説)とつれない。プーチン大統領が前日(24日)の国営テレビのインタビューで述べたことを念頭に置いている。プーチンは「我々はウクライナ問題に関し、交渉の準備ができている」とトランプ大統領との交渉に前向きな姿勢を示しながらも、「2022年に私との交渉は不可能とする大統領令がウクライナで出た」として改めてゼレンスキーを拒否する姿勢を示した。プーチンは年末記者会見ですでにウクライナとの和平の条件に「特別軍事作戦」が当初から掲げたウクライナのNATO非加盟・中立化、ネオナチ排除を再度強調した。ゼレンスキーに対しても同年5月に予定されていたウクライナ大統領選が戒厳令を口実に延長されているとして、大統領選を実施しない限り交渉の相手とは認めないとしていた。エルドアン・トルコ大統領の仲介でまとまった停戦案(2022年3月)を自ら申し出ていたにもかかわらずジョンソンらの甘言で反故にしたゼレンスキーへの不信感は拭い難い。

     その経緯をトランプが知ればどちらに軍配を挙げるかは言わずもがなであろう。プーチンの強硬姿勢に訳ありと見たトランプは、米国の支援頼りのゼレンスキー抜きで直接対話する方が現実的なディールができると判断したとみられる。和平協議はある時点までウクライナの頭越しに進むしかない。

     だが、事態はトランプ当人が思っている以上に複雑である。1月20日の就任式を待たずにウクライナ戦争停戦のイニシアチブを発揮しようとあれこれと事前折衝したが、「6か月はほしい。とても複雑だ」(7日記者会見)と軌道修正した。バイデンを共通の敵とした“盟友”のプーチンが予想以上に強気であることに気付いたのである。「非常に近いうちに話す予定だ」(21日記者会見)とプーチンとの信頼関係に基づく直接交渉で停戦交渉を進める意向を明らかにし、関税措置や制裁措置だけでなく、「経済が崩壊しているロシアとプーチン氏に大いに便宜を図るつもりだ」とウインウインのディールを示唆した。

     しかし、諜報戦がらみで米欧日で流布されている「経済が崩壊」との認識が、バイデン前大統領の失敗の元であり、現時点でトランプの盲点ともなっている。バイデンはG7とともに対露経済制裁でロシア経済を崩壊させようとしたが、そのブーメランで傷ついたのはG7側であり、インフラ→高金利→不況の負の連鎖に陥り、生活困窮した自国民の反発で次々と政権を追われる想定外のウクライナ・ドミノを引き起こしたのである。

     対するロシア経済は資源大国の強みを活かした資源外交で対抗した。プーチンは昨年12月19日に開催した年末記者会見「今年の総括」で特別軍事作戦を総括し、「ロシアはこの2~3年で格段に強くなり、経済は自立し、防衛力も強化している。既にどこの国にもほぼ依存しない状態にある。今年はGDPが昨年より4%増え、国民の実質所得も9%伸びた」と余裕の笑みを浮かべ、「ロシアは本物の主権国家になった」と断言した。政府閣僚らとの経済問題オンライン会議(1月22日)でも昨年のロシア経済は「十分に成功だった。商品市場の外部状況に左右されにくい有望な収入基盤を築いた」と自賛し、「予算収入が26%増加して25兆6千億ルーブル(約40兆3千億円)に達して財政赤字はGDP比1.7%で、米国やフランス、日本、ドイツなどより低い」と、累積財政赤字増大に苦しむ米仏独日に対する優位を誇示した。空威張りではなく、米国の累積債務はGDPを超え、退任を控えたバイデンがウクライナへの駆け込み支援を増やした昨年だけでも連邦政府債務の対GDP比が6%に上昇し、デフォルト(債務不履行)の危機に直面している。なお、ロシア中銀が前年10月に政策金利を21%と上げてロシア経済界から不満が噴き出ているが、市場経済の限界を見極め、中国に倣って国営企業優先への再転換を意図している可能性がある。

     一連のプーチン発言が単なる誇張ではないことは、IMFの最新予測2024年実質経済成長率が「インド7%、インドネシア5%、中国4・8%、ロシア3・6%、ブラジル3%、米国2・8%、英国1・1%、日本0・3%、ドイツ0%」と裏付けている。因みに2023年のIMF統計による米中ロのドル建て名目GDPは、アメリカ25兆4627億ドル、中国17兆8863億ドル、ロシア2兆2442億ドル(参照、日本4兆2375億ドル)となるが、物価変動の影響を除去した実質GDPはすでに中国が米国を抜いている。

     政権運営に自信を深めたプーチン大統領は24日、ロシアメディアの取材に答える形でトランプ新大統領就任後初めて公の場で対米関係に言及し、「トランプ大統領が前回の大統領選で勝利を盗まれていなければ、ウクライナ危機は起きなかっただろう」とエールを送り、「ロシアは米国との接触を拒否してこなかったが(バイデン)前政権が拒否していた。1期目のトランプ大統領とは常に実務的で信頼した関係があった」とトランプとの対話への意欲を改めて示したが、米国の国力がその間に低下したことを見据えてのことである。

     敵を知り己を知れば、百戦危うからず、と看破したのは孫氏だが、逆もまた真なり。政治力学はあくまでも相対的なものであり、相手をより正確に認識し、彼我の力関係を把握した方が優位に立つ。米国の軍事力、経済力の低下はもはや覆い隠せず、米国大統領の行えることは自ずと限界があり、中露朝もそれを踏まえてしたたかに対応してくる。トランプはそれを弁えた上でディールをしなければならず、2年後の中間選挙までには一定の結果を出さねばならない。容易ではないが、価値観外交なる反共イデオロギーで目が曇り敵を甘く見て挫折したバイデンと異なり、彼特有の現実主義的な行動力が強みと言える。自分を偉大に見せたいと衝動的な言動を繰り返すが、その裏で相手の反応を用心深くうかがい、不動産王の別称が物語るしたたかさで次のディールに繋げる。『君主論』を読んだ確証はないが、「愛されるより、恐れられよ」を行動規範とし、政治を宗教や道徳と切り離した冷徹な権謀術数で目的を達成せんとするマキュアベリズムの忠実な実践者であることは間違いない。

     4年前よりも力を付けたプーチンとの交渉は一筋縄ではいかないと知ったトランプは、彼を政治的経済的に背後で支えている習近平の協力を得ようと揺さぶりをかける。メキシコ、カナダに25%の新関税を課すと発表しながら、本筋と見られていた対中関税発動を見送っているのは交渉の呼び水とする狙いであろう。米中首脳電話会談(1月17日)を行い、自身のSNSで「非常に良いものだった。習主席と私は世界をより安全で平和のものにするために何でもする」と明かし、「安定した関係構築」を呼び掛けた。さらに、FOXテレビのインタビュー(1月23日放映)でも電話会談に言及し、「中国に対して非常に大きな力を持っている。関税だ」としながら、「使わない方がよい。(取引は)可能だ」と交渉重視の姿勢を示し、早期訪中にも意欲を見せた。弁護士出身の殻を破れないバイデンと異なり、中国の経済力を客観的に評価しようとする。中国税関総署発表(1月13日)によると、2024年の貿易黒字は中国の貿易黒字は年間ベースで過去最高の前年比21%増の9920億ドル(約156兆3000億円)、輸出が過去最高の3兆6000億ドルを記録した。対米輸出は12月だけで490億ドルと2年ぶりの高水準を記録し、通年では5250億ドルとなった。対して米国は前年同期比11%増の1兆827億ドル(2024年1〜11月)と赤字幅が拡大し、対中赤字が首位を占める。世界製造業の主要部分を握る経済大国の中国と正面切って喧嘩したら、金融+しか残っていない米国は相当な深手を負う。ディールしかない。

     トランプならではの離れ業だが、米中ロ核軍縮会議を提唱する。スイスで開催中のダボス会議(23日)に急遽オンライン参加してロシアと中国との核軍縮会議に意欲をみせ、「非核化が可能かどうか確かめたい。十分可能性はある」とアピールした。真の狙いは、中ロとの交渉の恒常的な枠組みを作ろうということであろう。第一次トランプ政権で新戦略兵器削減条約(新START)延長の交渉をはじめ、中国の参加を求めて流れた経験を蓄積しており、突飛な提案とは言えない。

     三大核超大国である米中露が核軍縮協議とウクライナ和平協議を同時進行させるのは十分に合理性があり、それがウクライナ・ドミノで存在感を失ったG7に代わるG3へと発展していくとしても何ら不思議ではない。トランプは多国間協議に縛られることを嫌い、G7やNATO会議参加を見送ったことがあるが、テーマを絞った米中ロ3国間協議ならディールの場として申し分ない。ロシアのペスコフ大統領報道官は24日、トランプ米大統領が提唱した核軍縮協議に「できるだけ早く開始することに関心がある。全世界の利益、両国民の利益になる」と前向きな姿勢を示した。「本物の主権国家になった」と旧ソ連時代の誇りと自信を取り戻したプーチンとしては、末席のG8ではなくG3で大国としての存在感を示すことに異議はあるまい。中国は今のところ沈黙しているが、習近平は「社会主義現代強国」路線を明確にした直後、オバマ大統領に事実上のG2である「米中新型大国関係」を提唱し、一度は受け入れられながら反故にされた経緯がある。事実上のG3は渡りに舟であろう。

     ウクライナ戦争が第二次世界大戦後の世界秩序を根本的に揺るがせているとの認識は立場を超えて世界的に広く共有され、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の「戦間期」といった新たなコンセプトも飛び交っているが、「新冷戦」が客観的な現実を最も的確に反映している。旧冷戦時代に米ソ中三大国がヘゲモニーを争い、キッシンジャーの米国が中ソ論争を巧みに利用して漁夫の利を得る形で勝者となったが、格差解消を競う平和的な体制競争となるか覇権主義的な軍拡競争となるか、いよいよ第二ラウンドの開始である。「歴史は螺旋階段を上るように発展する」(カール・マルクス)。

     

     刮目すべきは、トランプがプーチン、さらに習近平を揺さぶるために金正恩との関係構築が不可欠と打算し、急接近を図っていることである。前掲書で「ジョイグ国防相訪朝を機に朝ロは軍事同盟復活へと向かい、ウクライナの戦況に大きな影響を与える」と指摘したが、ウクライナの戦況が膠着する中での大量の弾薬・ミサイルなど大規模兵器供給に加え大胆な派兵と、その通りの展開となった。プーチン、習近平の思惑を読んで金正恩が巧みに動き、ビッグ3のパワーゲームに少なからぬ影響を及ぼしているということである。

     バイデンは北朝鮮の非核化を求めて闇雲に制裁を科し続けたが、SNSで海外情報を適時に把握している金正恩は逆手を取るように核・ミサイル開発を進め、昨年5月、安保理常任理事国のロシア、中国の協力で対北朝鮮制裁の実施状況を調査してきた国連安全保障理事会専門家パネルを活動停止に追い込んだ。ウクライナ戦争の背後で進む中露朝の戦略的連携があったことは二言するまでもない。

     ウクライナ支援で手一杯のバイデンには見えなかったことであるが、嗅覚の鋭いトランプがそれを見逃すはずがない。大統領選挙中から金正恩との良好な関係にしばしば言及し、動きを追っていた。SNSで直に連絡を取っていた可能性も排除できない。大統領に就任すると一挙に踏み込む。就任直後のホワイトハウスで記者団に金正恩について聞かれると、待ってましたとばかりに「彼とはとても関係がよかった。今や核保有国だがうまくやれた。彼は私の返り咲きを喜んでいるだろう」と述べ、記者を驚かせた。歴代米大統領は北朝鮮の核兵器保有を認めず、「核保有国」は禁句中の禁句であった。マキュアベリストの本領発揮だが、新国防長官に指名されたヘグセスが上院軍事委員会に提出した書面証言(14日)で「北朝鮮は核保有国」述べたことを追認し、耳を澄ませているであろう金正恩を小躍りさせたのである。さらに3日後、フォックスニュースとのインタビュー(1月23日録画放送)で「金正恩と改めて連絡を取るのか」と問われ、「そうするつもりだ」と答えた。宗教的情熱が強いイランとは交渉が難しいが、「金正恩は宗教的狂信者ではない。賢い男(smart guy)だ。彼は私のことが好きだったし、私は彼とうまくやっていた」と一期目に三度重ねた朝米首脳外交再開の意志を明確にした。さらに、不動産業者出身の実利主義者らしく、「私は彼が大きなコンドミニアム(建設)能力を保有していると思う。彼は多くの海岸を持っている」と金正恩の観光振興政策に言及した。過去にも度々北朝鮮の不動産的な立地を高く評価しており、朝米首脳会談では観光資源への投資も話題となろう。ウクライナ特需で経済が上向いている金正恩は観光立国に力を入れている。東海岸の保養地の大規模観光施設開発が日本でも徐々に知られているが、ピョンヤンでも中心部にホテル、オフィス、レストランなどを備えた大型ショッピングモールの「柳京金色商業中心(柳京ゴールデンプラザ)」でディオール、シャネル、イケア、アディダスなど中国から流入した海外ブランドが出店され、その日に備えている。

     とはいえ、金正恩はトランプの掌で踊るほどお人よしではない。1月25日に朝鮮中央通信(KCNA)が海上対地戦略巡航誘導型ミサイルの発射実験を伝え、目標に正確に命中し、実験を視察した金正恩が「戦争抑止手段は完成されつつある」と述べたと報じた。バイデン政権に発した刺々しい言辞がないのは、来たるトランプとの会談に備えて交渉力を高めておく狙いがある。ロシア支援で国際的な存在感を一挙に高め、ウクライナ戦争特需で経済を上向かせている金正恩としては自分を高く売り込む千載一遇の好機となる。

     権謀術数が火花を散らす第4次朝米首脳会談は米側が朝鮮側に非核化を求める一方的な交渉ではなく、対等な核軍縮交渉となるしかない。同時進行的に米朝国交正常化も俎上に乗ろう。 

     それは日本を取り巻く国際情勢を根本的に揺るがせることは必定である。第一次、第二次日米安保条約反対闘争が物語るように、1970年代初めまで憲法9条違反と日本国民の大多数が反対していた日米安保体制の是非が再び問われるということである。振り返れば、冷戦終了に伴う米一極体制の中で自衛隊が在日米軍の補完部隊と位置付けられ、安倍政権が憲法9条が禁止する集団的自衛権行使を容認する安保法制(2015年)を強行採決した。それを期に日本は「抑止力」を口実に防衛力強化なる軍拡路線を突き進み、その矛先は尖閣諸島(釣魚島)領有で争う中国に向かい、「台湾有事は日本有事」と露骨化するが、それを巧妙に誘導したのがバイデンである。「社会主義現代強国」建設へと向かう中国を「米国の唯一最大のライバル」と位置づけ、「大統領選挙を盗んだ」と国民の半数から非難される自国を棚に上げて「権威主義」「専制主義」「全体主義」云々と貶める独善的な価値観外交に日本を組み入れていく。「ウクライナは明日の東アジア」とまんまと乗せられた岸田は防衛費倍増なる軍拡路線に舵を切り、米国の核戦力に依存する「拡大抑止」の禁域に乗り入れた。歯止めが利かなくなった岸田は「中国を念頭に」と念仏のように唱えながら「敵基地攻撃能力」保有まで公言し、自衛隊のミサイル基地を宮古島など沖縄に前進配備するに至った。米一極体制下で中ロなどは口をつぐんでいたが、ウクライナ戦争がその不文律を揺るがせ、バイデン退陣で状況は一変する。

     日本は軍拡の二階に上って梯子を外された形になり、「日本有事」も杞憂ではなくなった。日本の軍拡は国連憲章の旧敵国条項に抵触すると中国、ロシアなどが動き始めているからである。同第53条第1項は「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が侵略政策を再現する行為などをした場合、中ロなど常任理事国などは安保理の許可がなくとも「軍事的制裁を課すことが容認される」と規定している。一部に旧敵国条項は無効化されたと吹聴する動きがあるが、嘘百泊、ためにするフェイクニュースにすぎない。

     日本の軍拡を苦々しく見ていた中露が日本軍国主義復活を声高に批判するのは時間の問題であり、機関砲搭載の複数の中国公舟が日本が領海と主張する尖閣周辺海域に常態的に侵入し、日本周辺で海空の中露合同軍事演習が頻繁に行われているのは決して偶然ではない。憂慮されるのは一触即発の危機、すなわち、頻発する自衛隊機によるスクランブルや自衛艦との接触が導火線となることである。安保危機管理で重要不可欠なのは相手がこちら側をどう見ているかということであるが、自衛隊幹部が靖国神社宮司に天下りし、現役幹部らが集団参拝を繰り返していることを中ロは軍国宗教感情が拡散していると、奇襲を得意とした旧日本軍と重ねて見て警戒感を募らせている。

     石破政権に打開策があるとしたら、トランプ大統領が特別な目を向ける朝鮮に独自のアプローチをすることである。頭越しに進むであろう米朝交渉を手をこまねいているのではなく、積極的に割り込むくらいの気概と主体性をもって対応することである。東京、ピョンヤンの相互連絡事務所設置を提唱し、「日朝ピョンヤン宣言の原点に立ち戻り」(施政方針演説)と前向きの姿勢を示しているが、あと一歩、いや、二歩ぐらい踏み出さねばならない。政権基盤が脆弱な少数与党の悲哀であちこち目配りしなければならず、ノーベル平和賞受賞の被爆者諸団体が求める核兵器禁止条約へのオブザーバー参加には応じないが、与野党議員の参加は許容するなど薄氷を踏む政権運営が続くが、国民の注目を浴びる切り札がないわけではない。トランプ、プーチン、習近平の新3ビッグパワーを含む大向こうを唸らせる出番があるとしたら、電撃的な訪朝である。(詳細は「日朝首脳会談の必然性と歴史的意義」)。

         (河信基 2025年1月28日)

     

     

     

     

     

     

  • プーチン大統領年末記者会見:「ロシアは本物の主権国家になった」とウクライナ戦勝利宣言

    独自の資源外交でG7の対ロ経済制裁打破、ソ連崩壊のトラウマ精算

     2024年12月19日に「今年の総括」との触れ込みで始まった記者会見は事実上、ウクライナに侵攻した「特別軍事作戦2022年2月24日~」の総括の場となった。ロシア国内メディアにアジア、アフリカ、米欧から500人以上の記者が参加し、4時間半にわたってテレビで生中継されたが、プーチン大統領は終始、自信にみなぎった表情で視聴者や記者の質問に丁寧に答えた。その主旨は「ロシアは本物の主権国家になった」の一言に要約される。

     「私はウクライナへの『特別軍事作戦』を開始したこの3年間、冗談が少なくなり、あまり笑わくなった」と軽口を交えながら、「本物の主権国家」の何たるかをとくとくとして語った。「ロシアはこの2~3年で格段に強くなり、経済は自立し、防衛力も強化している。既にどこの国にもほぼ依存しない状態にある」と断言し、「今年はGDPが昨年より4%増え、国民の実質所得も9%伸びた」と余裕の笑みを浮かべた。それは単なる誇張ではなく、IMF予測2024年実質経済成長率は「インド7%、インドネシア5%、中国4・8%、ロシア3・6%、ブラジル3%、米国2・8%、英国1・1%、日本0・3%、ドイツ0%」と最新の統計で、ウクライナ戦争が引き起こした世界の変化を端的に示した。

     それはウクライナ戦争の勝ち組と負け組をハッキリと示しており、私が『ウクライナ戦争と日本有事 “ビッグ3”のパワーゲームの中で』(2023年9月刊)で予測したことであった。理由は明確で、バイデン政権が音頭を取った対ロ経済制裁が逆に制裁参加国にブーメランとして襲い掛かり、超インフレ、金利上昇、不況の悪循環を引き起こしたのだ。「1ヶ月で片が付く」と豪語したバイデンの狙いが甘きに過ぎたということである。資本主義の癌とされるスタグフレーション再発と言うべき構造的な経済危機は米欧日に政治危機を引き起こし、ジョンソン英、バイデン米、マクロン仏、ショルツ独、岸田と政変に見舞われるウクライナ・ドミノが引き起こされていることは世界中が見ているとおりである。

     一言でいえば、プーチンの勝ち、バイデンの負けである。それは米欧日資本主義が世界の政治経済の主軸からずり落ちつつあることを如実に示している。

     全く想定外の展開に米欧日の論調は半パニック状況に陥っているが、ウクライナ戦争の原因と結果を混同する認識上の罠に陥っているからに他ならない。「ロシアのウクライナ侵略」と非難一色に声を合わせてきたが、それは結果論であって、原因が隠蔽されている。バイデン政権がウクライナへのNATO拡大を画策したことにプーチンが怒り、それを阻止すべく「特別軍事作戦」を断行したのがウクライナ戦争の真実である。バイデン構文はプーチンを「侵略者」「戦争犯罪人」とさんざんこき下ろしたが、トランプは「私なら起きなかったバイデンの戦争」とその嘘を暴き、大統領選を制した。ウクライナを数十、数百倍上回る民間人犠牲者を出しているネタニヤフ・イスラエル政権のガザ攻撃を支援したバイデン構文のダブルスタンダードには米国人も辟易している。

     ウクライナで代理戦争を仕掛けたバイデン構文には隠れた狙いがあった。いわゆる価値観外交で同志国を募り、NATO東方拡大政策をウクライナ、さらにロシアまで広げ、「唯一最大の競争者」と位置付ける中国包囲網を完成せんとしたのである。ソ連崩壊による東西冷戦終結を米国一極主義で締めくくるバイデンの執念であった。フランシス・フクシマは「民主主義の勝利で歴史は終わり」と米国流民主主義を持ち上げたが、上院議員、副大統領として長く対ソ・対中外交に携わっていたバイデンもその気分に酔っていた。

     だが、滅んだはずの社会主義再建に邁進する強力なライバルが現れた。鄧小平の改革開放路線はバイデンが期待した資本主義への道ではなく、「社会主義現代化強国路線」であることを習近平が宣言し、「一帯一路」で世界に広げていることに驚愕、裏切られたと逆恨みを昂じさせる。私は『二人のプリンスと中国共産党』(2015年12月刊)で「米中は格差解消をキーワードにした平和的な体制競争、もしくは新たな冷戦に直面する」と予測したが、不幸にもバイデン大統領誕生で後者が的中し、ウクライナ戦争となって噴き出した。

     バイデンは開戦当初、プーチンをまんまと罠に誘い込んだとほくそ笑んだが、プーチンが長年温めていた資源外交に決め手と信じた経済制裁は空回りし、中ロ朝を反米覇権主義で急接近させる戦略的なミスを招いて自滅する結果となった。

     プーチンが「ロシアは本物の主権国家になった」と感慨を込めたのは、ゴルバチョフ共産党書記長の独断的なペレストロイカの失敗と混乱で自壊した旧ソ連のトラウマを完全に払拭した高揚感からである。

     私は偶然、ゴルバチョフがクーデターでクリミア半島に軟禁された直後の1991年8月中旬、モスクワのクレムリン宮殿の前庭に迷い込み、人っ子一人いない光景に「権力の空白とは中枢部から人がいなくなることだ」と実感させられた。KGB中佐として東奔西走していたプーチンと同じ状況を目撃したわけであるが、好奇心旺盛な一旅行者に過ぎなかった私と異なり、彼は臥薪嘗胆し、見事に「権力の空白」を自ら埋め、ゴルバチョフの失敗を清算する。すなわち、東西連戦終結の裏で旧ソ連圏、東欧で米欧が後押しするカラー革命が仕組まれ、主権はなきに等しくなった。それがウクライナに及んだ時、プーチンは意を決して押し返し、終止符を打った。つまり、「主権を回復した」。

     「ソ連共産党の党員証を今も保持している」が口癖だが、社会主義・共産主義再建への歴史的な問題意識と志向性は習近平と全く同じと読める。ソ連崩壊で終わったとされた東西冷戦が社会主義圏復活というモーメントにより新たなステージに入りつつあることは間違いないだろう。

     ほんの少し前まで、ウクライナ戦争の帰趨は世界秩序を根底から変えると西側言論は口酸っぱく繰り返してきた。ロシアの敗北を見据えた楽観論であったが、さすがに今はすっかりトーンが落ち、悲観論が混じる。「歴史は終わり」と思考停止に陥った付けが回ってきたのであるが、曲学阿世の愚論とまではいわないが、左右、保守革新問わず愚痴やボヤキに埋め尽くされた西側言論の質の低下は目に余るものがある。ポピュリズムのSNSフェイクニュースにまで押され、新聞、雑誌、テレビ離れの一因ともなっている。

     

        G8の末席に座らされた屈辱から、G2プラスへ

     クレムリン宮殿から警備兵がいなくなり、一旅行者の彷徨を許した「権力の空白」を埋めたのはエリツインである。実権を失ったゴルバチョフに代わってクレムリンの主人となり、改革の旗印でペレストロイカまがいを進めるが、国有財産を一部の取り巻き→オリガルヒに分け与えるなど、旧ソ連圏の混迷は深まるばかりであった。その一方でG7に擦り寄る。日本外務省が今年12月26日に公開した外交記録によると、1993年7月のG7東京サミットが迫る中、ロシア大統領エリツィンが議長の宮澤喜一首相に「極秘 無期限」文書(6月25日付)を送り、「ロシア改革支援のために極めて重要」として「8カ国による東京政治宣言の採択」を求めた。つまり、G7への加入を求めたのである。

     ロシアのG8加入は1997年、米国デンバーにクリントン大統領がエリツインを招いて実現するが、エリツインの側近として権力ナンバー2の地位にあったプーチンには腸が煮えくり返る思いであったろう。ナチス打倒の先頭に立ち、第二次世界大戦後の世界で米国と覇を競ったソ連がなぜ米国などの機嫌をうかがい、G8の末席に座らねばならないのか、と。

     ソ連のエリート、誇り高いKGB中佐であったプーチンはひたすら汚名挽回の機会を窺う。その間、大学に再度足を運び、天然ガス、原油など世界有数の資源大国ロシアの特性を生かした新外交戦略を練り上げる学位論文をものにしているが、それが後にG7の対ロ経済制裁を跳ね返す理論的な下準備となる。

     臥薪嘗胆うん十年、エリツインの後継者に収まったプーチンは積年の思いを徐々に政策に反映させ、2014年のウクライナのクリミア併合でG7と袂を分かつ。さらに、ワルシャワ機構と同時解体するはずであったNATOが旧ソ連の裏庭であった東欧に拡大し、バイデン大統領となってウクライナにまで触手を伸ばすと怒りを一挙に噴出させる。「特別軍事作戦」はバイデンへの挑戦状であり、それに従うG7への警告状であったが、西側の経済的、政治的弱点を攻める資源戦略を練っていたプーチンに軍配が上がる。バイデンは「ウクライナ戦争はバイデンの戦争」と批判の声を上げたトランプに惨めに政権を追われ、その他のG7首脳もウクライナ・ドミノでことごとく政変に見舞われ、世界は勝者が誰で、敗者が誰かを目の当たりにしている。

     プーチンは「仮にウクライナ侵攻を始めた2022年2月よりも前に戻ることができた場合、侵攻の決定を変えるか」と記者に問われ、「今起きていることを考えれば、もっと早く決断すべきだった」と言い切った。蓋し、むべなるかなである。

     ウクライナでの戦況については、「前線に沿って各地で動きがある。100メートル進んだとか、200メートル、300メートル前進したということではない。我が軍の兵士は日々、数平方キロの領土を奪取、奪還している」と、近い勝利に自信を示した。

     「特別な準備をせずに始めた」とやや自嘲的に頓挫した初戦を振り返り、長き友軍であったウクライナ軍の投降を期待して、軍事パレードのように大軍を動かしたためであったと率直に認めた。そのうえで「冗談を言うことが少なくなり、あまり笑うことがなくなった」と幻想を捨て去った気構えを披瀝し、侵攻から3年を迎える来年2月までには「目標達成に向け前進している。勝利する」と自信を示した。クルスク州は欧米製兵器の「世界最大の墓場」になっているとし、一部実戦投入した新型の極超音速の中距離弾道ミサイル「オレシュニク」は「撃墜は不可能だ。キーウに目標を設定する実験の用意ができている」と旧ソ連時代の軍事的優位を彷彿させる言辞で米欧を牽制した。それはロシア国民に大国復活を確信させるもので、さる3月のロシア大統領選挙で80%の支持を得て5選を果たしたのも、ソ連崩壊で傷ついたロシア国民のプライドを取り戻し絶大な支持を集めたからにほかならない。

     その背景に、『ウクライナ戦争と日本有事』で指摘した朝鮮との新軍事協力があることはもはや誰の目にも明らかである。ウクライナ戦争が消耗戦に突入し、米国防省すら「在庫がない」と悲鳴を上げていた最中の昨年7月、ショルグ国防相(当時)が電撃訪朝した。それを機に、金日成主席時代から経済と軍事の併進路線を取ってきた世界有数の軍需大国・朝鮮の弾薬、重砲、ミサイルがシベリア鉄道でロシアに大量に供給され、膠着状態に陥っていたウクライナ戦線がロシア有利に大きく傾く。

     私は同書でソ連全盛時代の旧ロ朝友好協力相互援助条約が蘇り、「朝鮮軍派兵も十分にありうる」と書いたが、その通りとなった。その呼び水となったのがウクライナのゼレンスキー大統領の冒険である。形勢逆転の一発勝負を狙ってロシア南西部クルスク州への越境攻撃を仕掛けたが、逆にロ朝に「包括的戦略パートナシップ条約」を結ばせ、同4条の相互自動介入条項に基づいて最大20万の朝鮮軍特殊部隊が随時派兵される道を開いた。事実上、新冷戦が幕を開けたのである。

     クルスク州がウクライナ戦争の天王山となり、プーチン大統領はウクライナ軍を「絶対に追い出す」と自信を示した。反対に半パニックに陥ったのがゼレンスキーで、元コメディアンの地を出す。「重症の北朝鮮捕虜(写真)が自殺した」と捏造の疑い濃厚な「遺書」まで作り上げ、捕虜虐待を疑わしめる下手なドラマ仕立ての反北朝鮮キャンペーンを繰り広げ、レームダック化したバイデン政権のカービー広報補佐官までしゃなり出て、「北朝鮮兵の死傷者数が過去1週間だけで1千人に上る」、「捕虜になると家族が報復されるので降伏するよりも自ら命を絶つ」と旧日本軍と勘違いした下手なコメントで側面支援した。国際社会の嘲笑を買い、北朝鮮国民の怒りを沸騰させるだろう。

     カービーらの狙いを推し量るのはそう難しいことではなく、来年1月20日のトランプ新大統領就任前に米国とロ朝の対立を極力煽り、ウクライナ和平協議や朝米首脳会談に障害を作ろうとしているのであろう。しかし、最後のあがき以上のものではありえない。プーチン大統領はトランプ次期大統領とは4年以上言葉を交わしていないとしつつ、「協議する用意がある」と明らかにした。両者は「バイデンの戦争」との認識を共有しており、すでに水面下でウクライナ戦争終結に向けた調整が行われていると考えられる。

     現代史の裂け目から忽然と登場したのが金正恩・朝鮮労働党総書記である。ほんの少し前までは極東の異端児でしかなかったが、消耗戦に入ったウクライナの戦況を見据えながらプーチン大統領に急接近した。請われるままに弾薬、ミサイルからドローンまで大量供給して天下分け目の戦争に大きな影響を与え、国際政治の表舞台に躍り出た。伏兵に驚愕したのがほかでもない米国で、国務省が衛星を通じてコンテナ千個、1万個と北朝鮮から鉄道で運ばれる軍需物資の動向を逐次、発表した。制裁違反云々と警告したつもりであったろうが、金正恩は歯牙にもかけず、その数は直近の米発表で2万個にも達した。米国の誤算は、世界有数の軍需産業を敵に回したことにあった。200にも達する地下軍需工場は私が80年代に見学した時は非効率そのもので、民生を圧迫し経済の足枷となっていたが、ウクライナ戦争で一転、強烈な存在感を発揮している。

     ブルームバーグは年末、「クルスク州で北朝鮮兵と戦うウクライナ兵が数千人死傷した」と米国務省筋の情報で報じている。北朝鮮バッシング一色の中でこうした情報が漏れてくるのは極めて珍しいが、トランプ新政権誕生を見据えた動きともとれる。同州に越境攻撃したウクライナ軍は2万人であり、そのうちの「数千人」だから相当なダメージとなる。また、ロシアの現地軍事ブロガーは北朝鮮軍参戦がロシア軍のローテーションを助けていると報じた。すなわち、クルスク州に急派され、ウクライナ軍を国境地帯の650平方kmに追い詰め、主突出部の北西周縁で戦ってきたロシア海軍第810独立親衛海軍歩兵旅団が4カ月たってようやく南東周縁のプリョーホボ村に移って野営する。そこは昨年12月上旬、北朝鮮軍第11軍団がウクライナ軍から奪還した激戦地であった。つまり、1万2千とされる北朝鮮軍参戦で第810旅団の兵士たちは休息を取れることになったということである。 同旅団は第155独立親衛海軍歩兵旅団とともにクルスク州の反攻で主力を担っているが、北朝鮮軍の支援を得て休息、補充しながら戦闘を継続することが可能になったということである。他方のウクライナ軍は応援部隊ゼロで休息も取れず、弾薬、食糧も足りない塹壕深くで厳寒に震えている。隣のドネツク州の最後の要衝ポクロフスクもロシア軍猛攻で陥落寸前、勝敗は時間の問題と言える。

     ウクライナ戦争でのロシア支援はウクライナ特需を北朝鮮にもたらして経済力を復興させ、東アジア情勢にも地政学的なインパクトを与えつつある。年間数十億、数百億ドルの莫大なウクライナ特需は北経済を確実に蘇らせており、日本経済の戦後復興のカンフル剤となった朝鮮戦争特需を彷彿させる。また、ロシア西南部のクルスク州への派兵は無論、無償ではなく、兵一人当日本円で年間700万円前後の対価を伴い、韓国経済浮揚の一要因となったベトナム派兵効果を想起させる。韓国銀行推計で朝鮮の昨年の経済成長率は3・1%であったが、ウクライナ特需が倍加した今年は6~8%、最大10%台もありうる。北経済が上昇期に入ったことは紛れもない事実であり、労働党機関紙・労働新聞は連日、全国各地に麺工場が新設され、食糧問題を解決する「農村中興」を起きていると報じている。今年北東部で大洪水被害があったが、最近、金正恩が小青年時代を過ごしたスイスに似たカラフルな数千戸分の住宅が供給されたと報じられた。一年経っても仮設住宅で住民が不自由している日本の能登半島災害地よりもはるかに効率的な復旧が進んでいることを物語る。金正恩総書記は観光立国にも力を入れ始め、朝鮮中央通信などが大晦日の12月31日、「金正恩総書記が整備が完工した葛麻(カツマ)海岸観光地区を29日に視察し、『重要な対外事業や政治、文化行事を催すことができるレベルだ。地方振興と国の経済成長を進める動力だ』と述べし、世界水準接客専門家育成を指示し、環境保護の重要性にも言及した」と伝えた。夏季の保養地、海水浴場、景勝地として親しまれてきた明沙十里(ミョンサシプリ)という長い砂浜一帯に韓国釜山市の海雲台を意識したように洒落たホテル、スポーツ、レジャー施設が立ち並び、2025年6月に開業する。松涛園(ソンドウォン)と隣接し、天下の景勝地、金剛山へは120kmで、一大スキー場のある馬息嶺(マシンリョン)も交通圏にある。世界的なコロナパンデミック予防で観光客の入国をストップさせていたが、すでにロシアの観光団が入っており、新年前半には中国からも鴨緑江新橋開通とともに入ってくるだろう。新潟港など裏日本とは一衣帯水で、国際空港も整備拡充された。

     朝鮮の急速な国力回復、伸長はウクライナ情勢とともに東アジアに大きな地政学的な影響を与えており、今後も一段と強まるだろう。新年早々、トランプ・プーチン会談に並行してトランプ・金正恩会談が日程に上がってくるであろうが、第4次会談は国交正常化、軍縮交渉の場となろう。非核の枠組みにこだわって3次までもつれさせたポンぺオ元国務長官、ボルトン補佐官らが新トランプ人事から外されていることがそれを示唆する。

     石破新政権もいつまでももたついている場合ではない。バイデン、岸田、ユンの個人的関係で結ばれた韓米・日韓安保協力体制が3人の退場で真夏の夢となり、日本は独力で中露朝と対峙する。いつ日本有事が起きても不思議ではない不安定な状況に置かれているということである。有力な打開策の一つが日朝首脳会談である。石破首相は無条件対話再開を最優先し、ピョンヤンと東京での連絡事務所設置を朝鮮側に提案したが、ホップになりうる。

     プーチン大統領はウクライナとの和平協議について「我々は常に、協議と妥協の用意がある」と柔軟性を見せながらも、NATO不加盟と中立化は絶対条件とする。また、大統領任期が今年5月で終了し、戒厳令で居座っているゼレンスキーとの交渉が可能になるのは「選挙で再選された場合だけだ」と厳しい条件を科した。米欧が支援したカラー革命で誕生した「外国の代理人」との認識を変えておらず、長い戦争に疲弊したウクライナ国民もゼレンスキーに対してネオナチのアゾフ軍団との関係や不正蓄財に厳しい目を向けつつある。

     ウクライナ戦争のロシア勝利の展開はソ連崩壊後の流れを逆転させるだろう。それはすでに欧州社会に強烈なインパクトを及ぼしており、英国、フランス、ドイツなどバイデンに協力したG7の政権は軒並み政治的危機に陥る。他方で、旧東欧のハンガリー、スロバキア、セルビア、ルーマニアなどでロシアに再接近する動きが顕在化している。

     ウクライナ戦争のロシア勝利の展開はソ連崩壊後の流れを逆転させるだろう。それはすでに欧州社会に強烈なインパクトを及ぼしており、英国、フランス、ドイツなどバイデンに協力したG7の政権は軒並み政治的危機に陥る。他方で、旧東欧のハンガリー、スロバキア、セルビア、ルーマニアなどでロシアに再接近する動きが顕在化している。

     ある意味でキャスティングボードを握るのは中国であり、習近平主席は早くから和平案を提示し、BRICSや上海機構を中心にグローバルサウスに支持を広げている。

     ウクライナ戦争で漁夫の利を得た中国の国際的な影響力は米国をしのぐものがあり、ロシア、朝鮮との緊密な関係を推力に、オバマ政権時に一度は合意を見た米中新型大国関係(G2)を現実化させていくだろう。そこにいずれロシアが加わるであろうが、バイデンが最も恐れた事態である。

    (河信基 2024年12月31日)

  • トランプ圧勝と来たるべき新国際秩序

    1  バイデン政権の内外政策を理念的にも現実的にも否定する政治的なベクトルがワシントンを支配

     内戦間際で激しく対立したバイデン=ハリスに対するトランプ圧勝で、来年以降の4年間、バイデン政権の内外政策を理念的にも現実的にも否定する政治的なベクトルがワシントンを支配することになる。一言でいえば、中国と対峙したバイデン流のイデオロギー政治が幕を下ろし、米国の現実により即した政治が始まるということである。

     トランプ候補がその幕を上げたが、成功するかどうかは別問題である。それは原論的には、米国の資本主義が金融やIT産業に偏り、発達するだけ発達して矛盾が限界に達し、全面的な危機に直面していることを意味する。

     コロナ対策の失敗で自滅したトランプ政権に代わって登場したバイデン大統領は内政ではコロナ収束、外交では中国封じ込めを柱とした。トランプ政権時代に開発されたワクチンでコロナは何とか収まり、事実上、「民主主義対権威主義(専制主義)」の戦いと位置付けた外交が新政権の軸となる。NATOをウクライナ、ロシアへと東方拡大し、中国の背後を脅かそうとしたが、ロシアのプーチン大統領の反発でウクライナ戦争が勃発した。待ってましたとばかりに対ロ経済制裁を発動するが、それが完全に裏目に出る。ロシアの石油・天然資源輸入を止めた対ロ経済制裁は逆にブーメランとなって米欧日経済を襲い、超インフレが社会を混乱させる(『ウクライナ戦争と日本有事』参照)。

     CBS世論調査によると、今回の大統領選挙の最大の争点としてインフレを挙げる人が76%に達した。トランプは「4年前より暮らし向きがはるかに悪くなった。私はインフレを終わらせる」と訴えて有権者の心を掴んだのである。バイデン政権も無為無策であったわけではなく、インフレ抑制法による巨額の財政出動を行い、金利引き上げの金融政策も打ち出したが、元を断たない弥縫策でしかなかった。民主党系無所属で社会民主主義者のサンダース上院議員は11月6日、「労働者階級の人々を見捨ててきた民主党が労働者階級から見捨てられた」とする声明を発表したが、超インフレは富の極端な不平等や中産階級の没落、貧困化を促進し、結局、バイデン、ハリスは見捨てられた。

     逆にトランプ候補は米国民のウクライナ疲れを巧みに突き、ウクライナ戦争を「バイデンの戦争」と非難し、「私が大統領になればウクライナ戦争は24時間で終わらせる」と繰り返した。ゼレンスキー政権への経済的軍事的支援を批判すると同時に、インフレ終息をアピールして有権者の心を掴んだのである。

     同様の現象はバイデン政権に同調して対ロ経済制裁に積極的に参加した英仏独伊日などでも起こり、与党はいずれも政権の座を追われるか、支持率急落で苦しんでいる。

     トランプ次期大統領はインフレ終息という最大公約を守るためにもウクライナ戦争を早期に終結させ、有害無益な対ロ経済制裁はジ・エンドとしなければならない。そこは有無相通ずる仲のプーチン大統領がトランプ当選を受けて「近々電話する」と述べた。それ以前にも両者が随時、電話連絡していたことが知られている。ロシアの独立系メディア「ビョルストカ」は11月6日、露大統領府に近い人物らの話として、プーチン露大統領を含む政権幹部らがトランプ前大統領に水面下で祝意を伝えたと報じており、大まかな筋書きがすでに話し合われている可能性がある。

     ウクライナ軍が越境攻撃したクルスク州ではロシア軍が攻勢を強め、タス通信は11月4日、プーチン露大統領が「今こそクルスク州の敵を掃討するときだ」と述べたと伝えた。それを受けてプーチン最側近のショイグ安全保障会議書記は7日、旧ソ連諸国で構成する地域協力機構「独立国家共同体(CIS)」の安全保障当局者の会合で、「西側諸国はロシアが勝利している現実を受け入れた上で紛争の終結を交渉すべきだ」と述べ、「西側諸国はウクライナへの資金提供を続けて人口を崩壊させるのか、それとも現実を認識して交渉を開始するのかという選択に直面している」と注文を付けた。ゼレンスキー政権については「外部勢力に支配されたテロリスト」と見ているとも発言した。

     強気のショイグ発言が自ら昨年7月に訪朝して金正恩総書記と交わした朝鮮による武器支援や派兵と関連していることは言うまでもなかろう。

    2  対ロ経済制裁ブーメラン解消が最大の課題

    上下院選まで共和党が多数派を占めたトランプの最大の勝因は、「インフレは私の時代にはなかった。ハリス=バイデンの責任だ」と訴えた声が有権者の胸に響いたということである。したがって、遅くとも次期下院選のある2年後まで、インフレ対策が最大の課題となる。前回も指摘したようにその直接の原因が対ロ経済制裁ブーメランである以上、ウクライナ戦争の和平、早期終結が新政権の最優先事項となるしかない。

     バイデン大統領も逆の立場でそれを見据え、レッドラインを越えた。プーチンが戦術核兵器使用まで臭わせて警告していた地対地ミサイル「ATACMS」など米国製兵器によるロシア領攻撃をゼレンスキーに許可した、と11月17日 ロイターが「米政府当局者や関係者」の情報として明らかにしたのである。「方針転換は主に北朝鮮の派兵を受けた対応」とするが、ホワイトハウスと米国務省はコメントを控えた。非公式情報であり、それだけ微妙な問題を孕むということである。

     米露正面衝突を招来しかねず、通例なら退任間際でレームダック化した政権のすべきことではないが、ロシア主導の和平だけは阻止したいとのバイデンの執念をうかがわせる。バイデンの誤算は対露経済制裁ブーメランであり、朝鮮軍参戦が致命傷となった。

     土壇場の米製武器でウクライナ戦局が多少こじれることがあっても、朝鮮の武器供与、兵員派遣で決まった大勢は変わらないだろう。ロシア大統領府のペスコフ報道官は翌18日、「バイデン政権は退陣を前にウクライナ紛争をエスカレートさせている」と批判したが、ある程度織り込み済みであったと読める。そのコメントからはトランプ次期政権はバイデンとは異なると期待するニュアンスが濃く滲み出ている。

     ウクライナの現状は太平洋戦争時の無条件降伏間際の日本と酷似しており、戦闘を無暗に長引かせるのは民間人被害を増やすだけである。即時停戦、和平がウクライナ国民にとって不幸中の幸いである。世界平和にとっても、それが正解である。

     結果論ではない。すでに「ウクライナ戦争と日本有事」で指摘したように、キッシンジャーが生前、ウクライナ三分割の和平案を示し、同時期にそれと通じる和平案を習近平が提示した。プーチンも基本的に呼応する動きをしてきた。中国政府が朝鮮軍派遣について公の場で沈黙を保っているとして習近平が「不満を抱いている」と観測する声が米日政府筋から聞こえるが、願望の類でしかない。中国包囲網の旗印を掲げたバイデンのレームダック化で漁夫の利を得たのは誰か、自ずと明らかである。

     バイデンと激しく対立したトランプ登場でウクライナ戦争は即時停戦、和平へと動き出す。国際政治は冷徹な力学であり、前コメディアンのゼレンスキーは最初から最後まで、NATOのウクライナへの拡大を策したバイデンの駒を演じることになる。「人生は舞台。喜劇であれ悲劇であれ、人はそれぞれの役割を演じる」(シェークスピア)。

     国際政治経済力学の論理必然的に、来る新国際秩序のメインプレーヤーはトランプ、習近平、プーチン、金正恩、その他となる。

     3 米朝国交正常化と核軍縮交渉

     トランプ次期政権の人事の骨格が固まり、政策の方向性が見えてきた。ウクライナを舞台にしたバイデン、プーチン、習近平のパワーゲームは伏兵北朝鮮の参戦でバイデンの負けとなり、代わって登場したトランプは負からの出発となる。親ウクライナ姿勢で鳴らした人物までウクライナ疲れした世論の変化に転向して加わっており、ウクライナ停戦、和平への動きは加速化しよう。

     トランプの最大の関心は安保に重点を置いたバイデンと異なり、巨額の貿易赤字の解消である。プーチン、金正恩との距離を極力縮め、最大のライバルである習近平からの経済的譲歩を極大化しようとするだろう。

     米欧日には中国と露朝との不協和音を指摘する声がかまびすしいが、どれも木を見て森を見ない根拠薄弱な推測、願望の類でしかない。

     前掲書で指摘したことであるが、中露朝にはソ連崩壊のトラウマを超えたニュームーブメント、すなわち社会主義再興の動きが認められる。中国を国家資本主義⇒資本主義化へと誘導しようとしたバイデンが最も恐れたシナリオであり、ウクライナへのNATO拡大工作→ウクライナ戦争の主要動機ともなった。ニューヨーク・タイムズ(NYT)が先週、バイデンが退任前にウクライナに核兵器を提供する可能性があると複数の西側当局者が示唆したと報じたが、反共価値観外交に偏ったバイデンの狂気じみた執念を示唆する。

     何かと注目される中国の動きだが、習近平主席は大統領選に当選したトランプに祝電を送り、11月8日の人民日報が一面で、その一部内容を報じた。習近平は「中米が協力することで双方とも利益を得る一方、争えば双方が傷つくと歴史は示してきました。中米関係の安定的な発展が、両国の利益になる」と述べ、「争わずに仲良くしよう」と呼び掛けた。トランプの出方次第で硬軟両方を使い分けるというものである。

     トランプ外交の成否は安保優先の経済戦争を挑んで自滅したバイデンの前轍を踏まず、体制の違いを認めたうえで実利中心の関係を構築できるか、そこにかかってこよう。それさえパスできれば中国としては対応範囲内であり、関税・貿易戦争は収拾範囲内のスリリングなゲームとなる。中国は世界の工場として主要製造業を握っており、金融中心の米国経済は比較的御しやすい。 

     ウクライナ戦争で主導権を握ったプーチンは強気であるが、宿敵のバイデンのレームダック化を見据えてのことである。英仏に米国の穴を埋める力はないし、米中に次ぐ世界第3位の経済大国のドイツのショルツ首相は大勢を見極め、ウクライナへのミサイル供与を拒否し、プーチンに電話した。

     プーチンの戦略は、トランプが大統領に就任する来年1月までに朝鮮軍の力を借りてクルスク州からウクライナ軍を駆逐し、ドネツク州なども一挙に掌握して和平に応じるというものである。ウォール・ストリート・ジャーナルは11月6日、トランプの政権移行チームがウクライナ和平について、〈1〉現在の前線に沿って「非武装地帯」(DMZ)を設ける〈2〉ウクライナのNATO加盟を少なくとも20年間認めない代わりとして、米国は軍事支援を継続する案が検討されていると報じたが、ロシア対外情報局のナルイシキン局長が26日、モスクワでの第20回独立国家共同体(CIS)安全保障・情報機関会議後の記者会見で「ロシアは朝鮮半島式シナリオのようなウクライナ紛争凍結案は強く拒否する」と強気に牽制した。軍事境界線ではなく、より安定した国境線で分割するというもので、やはり既述の三分割案を想定しているようだ。金正恩が昨年末に提唱した「南北二つの国家」論の影響を感じさせる。

     ロシア主導のウクライナ戦争終結は、ソ連崩壊後に米支援工作下で東欧が次々と親米欧化したカラー革命の終焉を意味する。ルーマニア、ジョージアなどで親ロシア候補が大統領に当選し、旧ソ連の中央アジアの中核であるカザフスタンが対ロ制裁反対に回っている。バイデン退場で米国の時代は終わりつつあるということだろう。

     米朝関係が国交正常化、軍縮交渉へと進むのは時間の問題である。トランプ・金正恩会談に割り込んでブレーキをかけたボルトン元補佐官は「トランプがピョンヤンを訪問しても不思議ではない」と読売とのインタビューで警戒感を示したが、実際、ロイター通信(11月26日)が「トランプ大統領の側近の間でトランプ氏と金正恩総書記の直接会談が検討され、核・ミサイル問題で妥協点を求めようとしている」と報じた。トランプ本人は最終的な決定を下していないというが、電撃訪朝もあり得るだろう。「第3の候補」から撤退してトランプ陣営に加わったロバート・ケネディ・ジュニアがトランプが2019年に板門点から北朝鮮に数歩入国したことを「非常に良い直感を持っている」と称賛するなど政権内の雰囲気は確実に訪朝へと傾いている。

     トランプは金正恩とすでに3回の会談を重ねて「親しい間だ」と公言するなど意気投合しており、課題も共有している。しち面倒くさいことは飛ばして、国交正常化と核軍縮交渉へと向かうだろう。非核化問題にこだわったポンペイオ元国務長官やボルトン補佐官らを再任しなかったことも示唆的である。第1次政権で米朝実務交渉を担ったウォン元国務次官補代理を国家安全保障担当の大統領筆頭副補佐官に任命したのは迅速に事を進める狙いと読める。

     金正恩の国際的な影響力は当人が想像する以上に高まっている。NATOは11月8日、北朝鮮はロシア支援を「危険なほど拡大」させているとの加盟32カ国共同声明を出した。自動介入事項を含む同盟条約締結などロシアと北朝鮮の「軍事協力の深化」は「欧州・大西洋の安全保障に深刻な影響を及ぼし、インド太平洋地域にも影響を及ぼす」というもので、過大評価ではないかとも思えるが、NATOの偽らざる本音なのだろう。クルスク州ではウクライナ軍2万人の侵攻部隊が、1万余の北朝鮮精鋭部隊を含むロシア側の総勢少なくとも5万人規模の反撃部隊を押しとどめようと苦闘しているとウクライナ側が伝えるが、孤立無援の実情は厳しいものがある。

     ウクライナ軍は最近ロシアのミサイル攻撃が急増し、その三分の一が北朝鮮製だとするが、金正恩はハムンの「2月11日工場」を訪ね、火星11A(KN23)、火星11B(KN24)の量産体制拡充を指示している。軍需が経済を潤し始めたことを如実に物語る。上昇気流に乗った金正恩がウクライナの停戦、和平協議に関与し、トランプ、プーチン、金正恩の三者会談もしくはそれと連動した個別会談が展開する局面もありうるだろう。

     私の観たところ、金正恩はウクライナ特需を巧みに利用し、中国を倣った改革開放へと向かっている。祖父の金日成主席の誕生日である1912年を元年とする「主体(チュチェ)年号」を公式メディアから削除して西暦に合わせているのも国際化の一環である。

     ウクライナ戦争はロシアの周辺国が米主導のNATOに無暗に接近すると、ウクライナの二の舞になりかねないとの教訓を遺している。中国のスタンスもそれに近い。石破首相の「アジア版NATO」構想は新状況下では、日本有事を自ら招く危険な試みと心得るべきであろう。それを杞憂などと考えるのはあまりに無責任で、能がない。

     ロシア外務省のザハロワ報道官が27日、「米国が日本にミサイルを配備したらモスクワは報復措置を取るだろう」と警告した。また、日本が台湾周辺の情勢をエスカレートさせていると非難し、「ロシアは自国の防衛力強化のために必要かつ適切な措置を取らざるを得なくなると繰り返し警告してきた」と述べた。そのうえで、「ロシアが19日発表した核兵器使用に関するドクトリン(核抑止力の国家政策指針)の改定が意味するところを理解すべきだ」と強調した。

     ことは具体的で、自衛隊と米軍が来月に計画している初の共同作戦計画を念頭にしている。同計画は鹿児島県から沖縄県に連なる南西諸島にミサイル部隊を配備する内容となっている。中露が昨年来、日本周辺で海空共同軍事演習を強化している事実が何を意味するか真剣に考えるべきであろう。

     日本有事は総論から各論に入りつつあると読める。従米的な安倍軍拡路線の延長線上に日本の未来はない。

    (河信基 2024年12月8日)

  • ユンの“一人クーデター”とウクライナ・ドミノ現象

     それは、12月3日晩10時過ぎの大統領官邸でのハプニングであった。9時過ぎころから大統領室担当の記者たちの間で異様な情報が飛び交っていた。ユン・ソギョル(尹錫悦)大統領が緊急声明を出すというものであり、記者たちは馴染みの大統領秘書官たちに尋ねたが、だれも首を振るばかり。広報担当秘書官すら「わからない」「聞いていない」と繰り返す。しばらくして、ユン大統領が野党民主党の監査院長に対する弾劾訴追、予算減額案強行採決などに対する立場を明らかにするとの情報が流れた。同時に、有力テレビ各社の生中継が行われると伝えられた。

     大統領室の記者室が数十名の各社記者で埋まる中、それとは別のブリーピングルームでユン大統領が約6分間緊急声明を読み上げるが、これが青天の霹靂の非常戒厳令宣布。ユンは「野党が司法や行政府、国政を麻痺させた」などと非難し、「韓国国民の自由と幸福を略奪し、北韓(朝鮮)に従う破廉恥な反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と声を上げた。

     戒厳令宣布は1987年に韓国が民主化されて以降、初めてのことである。記者室は騒然となったが、錠が掛けられ動きが取れなかった。

     大統領室の警備が強化される一方、宣言と同時に発足した戒厳司令部が国会、政党の活動、集会など一切の政治活動を禁じる布告令を発表し、汝矣島の国会議事堂を封鎖しようとしたが、深夜にもかかわらず多数の市民たちがおしかけて軍の車両を取り囲み、もみあいとなった。戒厳軍兵士は心中、一般市民と共鳴し、銃も使用せずにデモ隊を傍観した。

     国会議事堂内には過半数の190人の議員が詰めかけ、翌日深夜1時の本会議で戒厳令解除決議案が出席者全員の賛成で可決され、勝負は決まった。賛成投票した議員には与党議員18人が含まれ、非議員のハン・ドンフン与党国民の党代表も一緒に見守った。

     ユン大統領は国会の決議案採択の3時間半後の早朝5時、非常戒厳令解除を発表した。国務会議の議決を尊重するというものであった。独断専行でいまさら議決尊重もないと、大統領秘書室長はじめ秘書官全員が辞表を提出した。野党はユン大統領への内乱罪適用を求める方針で固まっており、辞任か、弾劾罷免かのいずれかになろう。

     ユン大統領の深夜の非常戒厳令騒動はソウル市民と野党議員の体を張った抵抗で頓挫し、ユン大統領の弾劾訴追案が国会(定数300)で7日夜に採決される。野党と無所属議員計192人に与党議員8人が加われば3分の2の要件を満たし、弾劾案は成立し、罷免へと進む。
     前回の大統領選挙で惜敗したイ・ジェミョン(李在明)民主党代表は国民の圧倒的な支持を背景に、仮に一度否決されても再度、可決されるまで闘争を続けると宣言しており、ユン大統領は事実上のレームダックとなった。 

     弾劾罷免となれば2017年のパク・クネ(朴槿恵)大統領以来となるが、皮肉にも朴追及の主役を担ったのがソウル中央地検長のユンで、百回近い家宅捜査を繰り返して追い詰めた。その功でユンはムン・ジェイン(文在寅)大統領に検事総長に抜擢されるが、ムンにも刃を向け、保守勢力の支持を集めて大統領の座にまで上り詰めた。その背景には韓国独特な権力構造がある。朴正煕政権時代には軍部が中心、検察がその下請けの二極構造があったが、民主化で軍部が消え、検察が陰の最大勢力として残ったのである。

     それが同時にユンの限界を物語る。検察的な上意下達の意識が骨髄まで染み渡り、独断専行で民心を失い、国会でも野党に過半数を制され、動きが取れなくなった。そこで最後の手段と、国防相らの進言を受け入れる形で電撃的な非常戒厳令を宣言したが、民主化された韓国の政治世界で上意下達はあり得ず、命取りとなった。
     朴元大統領は客船沈没事故の濡れ衣で政治生命を絶たれたが、ユンは重罪の内乱罪容疑であり、終身刑となる可能性が極めて高い。次期大統領の座を野党の李代表と争う与党の韓代表は当初は弾劾案に反対すると表明していたが、世論の猛反発に委縮している。

     なぜユンは無謀な行為に走ったのか?
     上記の検察的な気質もあるが、非常戒厳令発令の理由に「北韓(朝鮮)に従う反国家勢力を一挙に撲滅」と挙げたように、ユン特有の安保観があった。バイデン大統領、岸田首相とともに行ったキャンプデービッド会合1周年の今年8月に発出した共同声明にある「日米同盟及び韓米同盟に支えられた安全保障協力の強化」という情勢認識を具体化したとも言える。
     ウクライナ戦争勃発後、ロシアと共に中国、朝鮮を仮想敵視する安保観をG7首脳が共有し、ゼレンスキー政権支援を強化するが、対ロ経済制裁ブーメランによる超インフレと経済不振で国民の反発を受けた。バイデン大統領の右腕であったジョンソン英首相が退任に追い込まれ、バイデンも「私が大統領なら戦争は起きなかった」と非難するトランプ候補に大統領選で苦汁を飲まされ、岸田首相は辞任、フランスのマクロン大統領、ドイツのショルツ首相も退任瀬戸際に立たされている。いわばウクライナ・ドミノが韓国にも波及したということだろう。
     いわゆる先進国でこれほど与党が連続敗退するのは1905年以来であり、歴史の転換期にあることを物語る。東西冷戦終了後の世界は民主主義の勝利と僭称する米一国主義下、雑多なカラー革命で戦乱がない日は一日とてなく、無垢の子供たちが数多く犠牲になってきた。ウクライナ戦争の遠因もオレンジ革命にあったが、それに終止符を打つ段階に来ているとみることもできる。

     外交上の問題は、韓国軍の戦時統帥権を握っている在韓米軍司令部=ワシントンが非常戒厳を知らなかったのか、知っていたのか、それに尽きる。
     国会行政安全員会は5日の緊急質疑で辞任を表明したキム・ヨンヒョン国防長官とイ・サンミン行政安全部長官、戒厳司令官の陸軍参謀総長、国軍防諜司令官、首都防衛司令官、陸軍特殊作戦司令官を捜査当局が内乱罪容疑で緊急逮捕することを求める決議案を採択した。
     いずれも非常戒厳令発令を事前に知っていた嫌疑が掛かっているが、国防長官と行政安全部長官以外は「知らなかった」と答えている。それを受け警察庁国家捜査本部が大統領と国防長官、行政安全部長官などへの捜査に入った。

     米国はどうか。ブリンケン米国務長官は4日、戒厳令について米国は事前に知らされていなかったと述べ、サリバン米大統領補佐官はテレビで知ったと語った。キャンベル米国務副長官も米国が連絡を取り合う韓国側当局者ほぼ全員が尹大統領の動きに非常に驚いたと説明し、「尹大統領はひどく判断を誤ったと思う」と間接的な表現に止めた。
     この種の情報が表に現れるのはかなり後になるが、米国が全く知らなかったとは考えにくい。

     日本も他人ごとではない。ソウルからの直近の情報では、弾劾否決で一度は党論をまとめた与党指導部が、世論の反発に議員たちが動揺したため賛成へと舵を切りつつある。次期大統領選をめぐる動きがすでに始まり、野党の李代表が圧勝するとの観測がもっぱらである。対日関係、対北朝鮮関係は根本的な見直しが避けられないだろう。
     日本を取り巻く安保情勢の激変に動揺した自民党の右翼強硬派と自衛隊跳ね上がり組がつるんでクーデターまがいのことが起きかねない。戦前はその連続で、ついに無謀な開戦に突き進んだ。戦後も「韓国軍内の一部において反乱が起き・・・・・・、日本国内の治安情勢も悪化」との想定で1963年に自衛隊統合幕僚会議が極秘に行っていた机上作戦演習、「三ツ矢事件」が発覚し、大問題となった。
     旧敵国だった米国を含む海外は当然、そうした前科に目を向け警戒するだろう。近年は自衛隊幹部が靖国宮司に天下りして幹部が参拝を繰り返すなど軍国宗教感情を共有する動きが顕在化している。
     安倍一強時代からなおざりにされてきたが、シビリアンコントロールの再点検を国会ですることが求められる。仮に日本でクーデター謀議が起きたら、国会議員や一般市民が体を張って阻止できるだろうか。自ら民主化闘争で民主主義を勝ち取った韓国と異なり、米国から与えられた日本のそれにはひ弱さが伴う。直接民主主義に不可欠で憲法にも国民の権利と定められたストやデモが日常から消えて久しいだけに、なおさらである。日頃の備えが必要だろう。

     日本のマスコミでは親日政権が倒れて反日政権が出来ると半パニック状態に陥っている論調を見受けるが、そもそも親米とか反米とか、親日とか反日とかの分類の仕方自体が色眼鏡的である。韓国は米日を基準に動いているわけではなく、本来の多極的なバランス外交に戻っていくのは間違いない。 日本も一連の安保法制や防衛費倍増政策の最強の理解者、同盟者と見込んだバイデン大統領が間もなく消え、米国ファーストのトランプ大統領が登場する以上、多極外交で生きていくしかなかろう。

    (河信基 2024年12月6日)

  • 日朝首脳会談の必然性と歴史的意義

    1北朝鮮からの条件付き招待状と岸田首相の決断

     日朝首脳会談はいつ、いかにして実現するか?唐突に聞こえるかもしれないが、ウクライナ戦争が引き起こしている地政学的な地殻変動とともに日本外交の重要課題として急浮上している。

     それをドラスティックに浮き上がらせたのが、朝鮮中央通信(2024年3月25日)が伝えた日本の岸田文雄首相への一風変わった招待状。「金正恩の代理人」ともっぱら日韓で評判の金与正・朝鮮労働党副部長が、岸田首相から首脳会談の申し入れがあったと明かす談話を発表したのである。兄の金正恩総書記は能登地震に際して「岸田文雄首相閣下」と丁重な見舞い文を送り日本側を感激させたが、今回は一転、上から目線で水面下の交渉を白日の下に晒し、「日本側は拉致問題を条件に出し、首脳会談実現を妨げている」と高飛車に注文を付けた。

     林芳正官房長官が即日、「拉致問題を解決済みとする主張は全く受け入れられない」と反発したが、岸田首相は「北朝鮮との諸懸案を解決するには金正恩氏とのトップ会談が重要だ」と日朝首脳会談の重要性を強調しながら、申し出そのものは認めた。翌日、金与正副部長は「日本政府との交渉を拒否する」と交渉打ち切りを示唆した。「朝日会談は我々の関心事ではない」とし、岸田首相が首脳会談を申し入れてきたのは「史上最低水準の支持率回復の政治的目的から来るものであり、朝日関係が政略的な打算に利用されてはならない」と相手の足元を見透かすように断じた。一見して交渉打ち切り通告のようだが、正確には、交渉条件を提示したと解するべきであろう。金副部長の気の強さは韓国でもつとに知られているが、あながち虚勢とばかりは言い切れない。北朝鮮外交は建国以来、同盟国のソ連(現ロシア)、中国最優先であり、日本は米国と同列の位置づけであるが、微妙な変化が生じている。金与正談話が北朝鮮政府の意向を代弁していることは、チェ・ソニ外相が「北京の日本大使館から朝鮮大使館に首脳会談打診のメールが入った」と、岸田首相が言う「私直轄のルート」を明かして追認したことからも疑う余地がない。

     打ち切り通告に対して林官房長官は翌27日の記者会見で「日朝間の懸案解決に向けた政府方針はこれまで説明している通りだ」と慎重に言葉を選び、拉致問題には一言も触れなかった。岸田首相も言葉を選ぶようになり、腹の内を見せない。永田町や霞が関界隈でおしゃべり雀がかまびすしくなるが、「金正恩と俺の二人だけで決める話だから。周りが何を言うかは関係ない」(「岸田文雄『禁断のオフメモ』」週刊文春5月2・9日特大号P18)と独善居士を決め込む。そして今年度の予算案が成立した3月28日、深夜の記者会見で金与正談話について質問され、「私直轄のルートで金正恩総書記との首脳会談の早期実現に努力する」と日朝首脳会談実現への変わらぬ姿勢をアピールした。拉致問題については一言も触れず、テレビに大写しされた表情に覚悟を滲ませた。首相就任依頼、機会あるごとに述べてきた日朝首脳会談実現にようやく確かな手ごたえを感じていた。低支持率を打開し政権浮揚を図る切り札と、訪朝のタイミングを模索しているのであろう。コロナパンデミックの中で退陣した安倍晋三元首相に後継の座を禅譲された菅義偉前首相を追い落とす離れ業で念願の首相の座を射止め、非凡な政治力を見せつけた。自民党を根底から揺さぶる裏金事件を逆手にとって安倍派解体やライバル削りに利用するしたたかさを見せる。9月の自民党総裁選、来年10月の衆院任期満了を見据え、日朝首脳会談で支持率挽回と政権浮揚を図り、「伝家の宝刀」とされる衆議院解散、とシナリオを描く。金正恩・与正兄妹も目を凝らしている。

     蛇足だが、日朝のデジタルデバイド(情報格差)は隠しようもない。金正恩総書記がサムスンの折畳式スマホギャラクシーzフリップを使用している写真を朝鮮中央通信(2023年12月12日)が配信したことがあるが、妹とともにスマホで海外情報を随時チェックしていることは知る人ぞ知る。日本国内の政治状況についても手に取るように把握し、岸田首相を訪朝へと巧みに誘っているのである。対する日本側は自ら人的往来を遮断していることもあって北朝鮮の生の情報がほとんど入手できず、情報戦からして後手後手に回っている。ロシアの観光団が今年3月に北朝鮮を訪れたとのニュースに、縁海と呼ぶべき内海の対岸にありながら目を白黒させるのが日本の現住所である。

     日本ではその点の認識がまだ不十分であるが、日朝の置かれた状況は米国の影響力低下から安倍、菅政権当時とは様変わりした。それを端的に物語るのが、長く北朝鮮制裁を主導してきた国連安全保障理事会北朝鮮制裁員会の活動休止である。日本も片棒を担がされてしまったが、深夜の岸田首相記者会見と同じ3月28日、ニューヨークの国連安保理で重要な採決があった。北朝鮮制裁委に制裁の履行状況を毎年報告してきた「専門家パネル」の任期延長を求める決議案がロシアの拒否権、中国の棄権で否決されたのである。同パネルは4月30日をもって活動停止となり、北朝鮮制裁委員会も監視機能を失って活動不全となる。皮肉な巡りあわせだが、北朝鮮制裁に積極的であった日本が持ち回りの3月の国連安保理議長国として「専門家パネル」に引導を渡す役割を担ったのである。

     ウクライナ・ショックと言うべきであろう。一昨年2月のウクライナ戦争勃発以後、北朝鮮は固体燃料式のICBMをはじめ各種のミサイル実験を100回近く実施しているが、米国が求めた国連安保理非難決議は中国、ロシアの拒否権で再三否決され、最近では安保理召集すらなくなった。北朝鮮の核開発を非難する国連安保理の対北朝鮮制裁決議は2006年から繰り返され、朝鮮南北に米中ロ日が加わった6カ国協議がその一翼を担った。だが、北朝鮮の核開発は既成事実化され、米国の顔色を窺い制裁に参加してきた中ロがウクライナ戦争勃発後は明確に米国と一線を画している。米国によるテロ支援国家指定も私的制裁以上の意味を持たなくなった。

     とりわけロシアはショイグ国防相が昨年7月にピョンヤンを訪問してから、北朝鮮との軍事・経済協力を強める。その2か月後、プーチン大統領が親しく金正恩総書記を極東のボストーチヌイ宇宙基地に迎えて会談し、「我々の関係は旧ソ連時代の1945年に日本軍国主義を打倒する中で築かれた」と伝統的な同盟関係に言及した。金総書記も「ウクライナでロシアが悪の集団を懲らしめ、偉大な勝利を収めると確信している」と応じ、「戦略的連携と連帯協力」を表明した。刮目すべきは、ラブロフ外相が「国連の北朝鮮制裁決議は西側の噓だった。我々も中国も騙された」と「専門家パネル」解体の意向を示していたことである。

     天敵と目するバイデン大統領が予想だにしなかったことであるが、ロシアと北朝鮮の急接近はウクライナ戦線で劇的ともいえる変化をもたらす。1千キロ以上の戦線で砲弾を打ち合ってきたロシア、ウクライナ両軍ともに砲弾やミサイルが枯渇し動きが鈍くなっていたが、北朝鮮から砲弾、短距離ミサイルなどの供給を受けたロシア軍が攻勢に転じる。それを察知した米国家安全保障局のカービー戦略広報担当官が衛星写真の分析を基に「北朝鮮がコンテナ1千個分以上の弾薬など軍需品をロシアに提供した」(2023年10月13日)と非難し牽制したが、現在まで推定100万発から最大400万発の砲弾が北朝鮮から提供され、ロシア軍の攻勢を支えている。今年2月には両軍が死力を尽くして寸地を争っていたウクライナ東部ドネツク州の要衝アウディーイウをロシア軍が制圧するなどほぼ大勢は決まった。

     日本のメディアは北朝鮮製の短距離弾道ミサイルは精度が低いとウクライナ側の情報をそのまま伝えるが、事実は小説よりも奇なりだ。北朝鮮は実験を重ねるごとにデーター収集のフィードバックで精度を上げ、その種類も固体燃料のICBMから米国もまだ実験中の極超音速ミサイル、超大型放射法(ロケット砲)、対空ミサイルと多様化している。北朝鮮には筆者も1980年代に訪れたことのある地下軍需工場が200近くあるが、ロシアの全面的な技術・資材協力を得ながらフル稼働しているのである。戦後日本復興の契機となった朝鮮戦争特需に似た現象が起きていると考えれば理解しやすい。

     これもバイデン大統領にとっては大誤算であったが、米ロ対立で漁夫の利を得て存在感を確実に高めているのが中国の習近平主席である。直接の武器支援はしないが対ロ経済制裁にも加わらず、制裁で行き場を失ったロシア産天然ガス・原油をインドなどとともに大量に購入し、ロシアが望む半導体などを輸出している。バイデン大統領がいくら反対しようが、習近平主席にとってロシア支援は確固不動の戦略的な路線である。外交通と知られたバイデンとは副大統領、副主席時代から旧知の仲であり、米一極主義への強いこだわりは熟知している。それが使命感となって米史上最高齢の大統領となり、就任演説で「中国は米国の唯一の競争者」と決めつけて対中包囲網構築に動いた。アジアでは日本、韓国、台湾との連携を強め、欧州ではNATOをウクライナ、ひいてはロシアまで拡大し、中国を後方から揺さぶろうと画策した。習近平の観点からすれば、プーチン大統領の「特別軍事作戦」を否定する理由はない。

     補足だが、バイデン大統領の中国に対する執拗な対抗心はトランプ前大統領のディール(取引)と明らかに異なり、黒人差別に通じる白人至上主義の影響を指摘する向きもある。おりしも同じアングロサクソン系の英国議会が不法入国者をアフリカ中部のルワンダに航空機で強制移送する法案を可決(4月22日)した。奴隷貿易を想起させる暴挙だが、独特の人種観抜きには説明が難しい。

     米国主導の対露経済制裁がウクライナ戦争の帰趨を決める要因として作用していることは否定できないが、数字は正直である。IMF統計によると前年2023年のロシアの実質経済成長率は3・6%と回復した。対する西側はバイデン大統領が決め手と考えた対露経済制裁がブーメランとなって直撃され、燃料高の超インフレ→金利引き上げ→不況の悪循環に見舞われ、米国2・5%、英国0・15%、フランス0・87%、日本1・9%とどこもロシアよりも低くなった。目も当てられないのは西側の優等生であったドイツで、ロシアから供給される海底天然ガスパイプラインのノルドストリームをいきなり締めたため猛烈な燃料高に直撃され、-0・3%に沈んだ。インフレと不況が同時進行し、資本主義の癌とされるスタグフレーションが再発しているのであるが、対ロ経済制裁を続ける限り重篤化するしかない。

     それでは中国の成長率は?と注目されるところだが、5・2%とコロナ禍の不況から脱出し、成長路線に乗りつつあるグローバルサウスを視野に内需から輸出へと経済成長の主軸を切り替える「一帯一路」政策にいよいよエンジンがかかり、日米で喧伝される不動産不況などどこ吹く風である。ウクライナ和平案を提唱している習近平主席が5月上旬にフランス、セルビア、ハンガリーを国賓訪問し、ウクライナ疲れの欧州に「健全で安定した新たなエネルギー」(仏大統領府)を吹き込む。因みに、IMF最新予測の2024年実質経済成長率はインド7%、インドネシア5%、中国4・8%、ロシア3・6%、ブラジル3%、米国2・8%、英国1・1%、日本0・3%、ドイツ0%となっている。

     ウクライナ戦争は長引くほどユーラシア大陸の東西にわたる巨大な資源大国ロシアが地力を発揮し、中国に漁夫の利を与え、米国の国際的影響力を削ぎ落している。ウクライナ戦争勃発当初、バイデン大統領は「ロシアの侵略」、「国際法違反」と糾弾の先頭に立ってG7やNATO諸国を結束させることに成功したが、経済制裁でプーチン政権崩壊へと追い込む短期決戦のシナリオが狂い、にっちもさっちもいかなくなる。そこにガザ紛争が噴き出るとイスラエルのガザ侵攻を支援して国際社会の顰蹙を買い、ウクライナをはるかに上回る民間人被害が報じられるたびにダブルスタンダードと批判され、国内世論も分裂してウクライナへの追加支援法案が議会でストップした。国連安保理でパレスチナ自治政府の国連正式加盟を勧告する決議案が採択(4月18日)されたが、15ヵ国で米国だけが拒否権を行使し、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」を唱えていたのは偽りだったのかと日本を含むG7からも非難の声が上がった。

     そうした矛盾を早くから見抜き、荒っぽい手法で暴き出したのがプーチン大統領と言えなくもない。ウクライナ侵攻の「特別軍事作戦」の大義名分にNATOへの加盟阻止を掲げたのは、ソ連時代のエリート集団である国家保安委員会(KGB)の中佐時代からソ連崩壊は米国の陰謀と疑い、NATO東方拡大に神経を尖らせていたからにほかならない。唐突に響いた主張も、バイデン政権がNATOをウクライナ支援の前面に押し出すほど真実味を増す。中国、北朝鮮などは現実的な根拠のある自衛的な予防措置と積極的に評価し、非同盟運動で旧ソ連に近かったインドなどグローバルサウスにも再評価の輪が広がっている。

     ウクライナ戦争と米中の覇権争いが表裏の関係となり、世界中が不安定しているが、ハルマゲドンの大戦ではなく、いかに平和的な体制競争へと誘導、管理するか国際社会の英知が試されている。米国はもはや世界のリーダーではありえないが、最大の資本主義国としてその影響力は依然として大きい。中国はGDPで米国を抜こうとしているが、一人当GDPは発展途上の社会主義国レベルにとどまる。旧東西冷戦の再現ではなく、両国が国民の福祉向上と格差拡大解消を競う建設的な競争を行うなら全人類にとってむしろ望むところである。一方的な思い込みや独善的なイデオロギーから無暗に敵対するほど愚かで、危険なことはない。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」と喝破したのは孫氏だが、その逆もまた真と知るべきである(詳細は拙書「ウクライナ戦争と日本有事 ビッグ3のパワーゲームの中で」参照)。


    「ウクライナは明日の東アジア」とつぶやいた岸田首相の言葉通り、ウクライナ戦争の影響はジワジワと東アジアに及び、一方で中国、ロシア、北朝鮮、他方で日米の二項対立の危険な構図が醸し出されている。岸田首相の誤算は、「日本は米国とともにある」とバイデン政権にのめりこみ過ぎたことにある。米国を後ろ盾に敵基地攻撃能力(反撃力)保有を核とする防衛力増強に走ったが、日本は抑止のつもりでも肝心の相手、中国はそう考えない。日本の防衛族には衝撃的な事実であるが、ペロシ下院議長の訪台に抗議して台湾を軍事封鎖した「重要軍事演習」(2022年8月)以降、中国はもはや米国を恐れていない。過去最大の「重要軍事演習」では台湾周辺海域にミサイルが雨あられと降り、一部は与那国島近くの日本のEEZ(排他的経済水域)に落下した。その後も日本周辺で中ロ海空軍の合同演習が頻繁に行われ、自衛隊機のスクランブルが急増し、領有権を争う尖閣諸島(釣魚島)周辺では日本海保巡視船と中国海警局船が睨みあい、一触即発状況となっている。岸田政権の防衛力増強政策は日中軍拡競争に火を点け、今後の展開次第では台湾有事ならぬ日本有事が憂慮される。

     戦後は遠くなりと多くの日本人が忘却しているが、国連憲章にはナチズムと日本軍国主義復活に対して常任理事国に自衛的な先制攻撃行使を容認する「敵国条項」(第53条、77条、107条)が厳然と明記されている。ウクライナ戦争はそれと無縁ではない。プーチン大統領はウクライナへの「特別軍事作戦」の名分の一つに、NATO東方拡大反対とともに「ネオナチズム排除」を挙げた。事実、親露政権がクーデターで倒された以後の親米欧のウクライナ政権にはウクライナ民族主義者とアゾフ連隊などネオナチが混在することは公然の秘密である。ヒットラーのナチスとの戦い、「大祖国戦争」で2千~3千万人の犠牲者を出したと記憶しているプーチンには到底、容認できない。同じ文脈で、中国は日本軍国主義復活批判を強めている。岸田首相は「日本は米国と民主主義の価値観を共有している」と交わすが、歴史認識問題で対立する中国は「嘘も方便」と反発し、和解は簡単ではない。東アジアで唯一の準同盟国と米国を仲立ちに日本と気脈を通じた韓国のユン・ソギョル大統領も総選挙(4月10日)で政権審判の俎上に載せられ、米中間バランス外交と対北融和政策を掲げる野党に大敗した。外交政策の見直しが必至となり、韓国は日本との準同盟関係解消へと向かうだろう。つまり、岸田首相は勝ち馬に乗るつもりでバイデン大統領の安保政策と軌を一にしたが、大局を見誤り、日本を東アジアの孤児にしつつあるのである。中ロと歴史認識を共有する北朝鮮が中ロ合同軍事演習に参加する事態となれば、日本にとっては最悪である。それを防ぐためにも北朝鮮との修好、国交樹立が求められる(前掲書「序章 日本有事をいかに避けるか」参照)。


     その意味で、突然舞い込んできた北朝鮮からの条件付き招待状は、天の配剤と言っても過言ではない。いまようやく時代の表舞台に躍り出ようとしている日朝首脳会談であるが、その魁がかつて国民を沸かせた小泉純一郎首相の電撃訪朝(2002年)である。変人と評された小泉首相は内外の意表を突いて電撃訪朝し、金正日総書記との直談判で植民地支配時代の賠償・清算と日朝国交正常化交渉の開始を定めた日朝ピョンヤン宣言で合意した。だが、拉致問題や北朝鮮の核実験、日本政府の対北朝鮮制裁実施でどんどん脇道にずれてしまった。その仕切り直しとなるが、柳の下の二匹目のドジョウと安易な支持率回復のショーとはいかない。煮え湯を飲まされた相手側は教訓を汲んで強気に転じており、相当な覚悟と見返りが求められる。とはいえ、リチウム電池に不可欠と注目を浴びるコバルトなどレアメタルや鉄鉱石など隠れた資源大国北朝鮮との修好、経済交流は転換期の日本経済にとってもメリットが大きい。

     岸田訪朝のタイムリミットは来年10月に任期が切れる衆議院議員選挙とされる。裏金事件を逆手にライバルを蹴落とすマキャベリストな手法で9月の自民党総裁選を乗り切ったとしても、総選挙で大敗し政権を失えば元も子もなくなる。訪朝のタイミングを慎重に見計らうことになるが、渡りに船は金正恩総書記の新外交戦略である。後述のように金総書記は韓国を「大韓民国」と正式国名で呼ぶ「2つの国家論」を提唱し、30年前に半分取り残された中ソ日米と朝鮮南北のクロス承認を見据えた新戦略を打ち出した。それをチャンスととらえ時宜を得たイニシアチブを発揮できるか、「リアルな政策提言と謙虚な姿勢は大事にしなければならない」と語る岸田首相の外交的センスと手腕がいよいよ試される。

     おりしもバイデン政権が目敏く動き出している。「非核化への道における暫定措置を検討する」(ラップフーバー米国安全保障会議上級部長3月4日)と北朝鮮との「前提条件なしの対話」を呼び掛けたのが、底意を見抜かれ音沙汰なしである。「ウクライナ戦争はバイデンの戦争」と批判するトランプ前大統領との接戦が予想される11月の大統領選を控え、ウクライナでのこれ以上の失態は許されない。一日でも早く北朝鮮によるロシアへの砲弾、ミサイル供給を止めたいのがバイデン大統領の本音であろう。だが、金正恩総書記はそれをとうに見透かし、在韓米軍駐留費負担問題で撤退まで公言したトランプ前大統領との4回目の会談をも視野に入れて算盤を弾いている。岸田首相との会談も、その文脈でセッティングされていることであろう。


    2「歓迎する」と岸田訪朝を評したバイデン大統領の狙い

     信じがたいと首をかしげる向きも少なくなかろうが、先の日米首脳会談(4月10日)の重要議題の一つは日朝首脳会談であった。国賓待遇で岸田首相を迎えたバイデン大統領は下にも置かない厚遇で9時間余も行動を共にしたが、ホワイトハウスでの会談は1時間の予定を大幅に超えた。各社報道によると、分刻みのスケジュールを心配した補佐官がメモを大統領に再三渡したが会談は85分にわたった。前半30分はごく少人数に参加者が絞られ、北朝鮮に関する議論が交わされたことが記者たちの知るところとなった。会談後の共同記者会見で岸田首相が金正恩総書記との首脳会談に意欲を示しているがどう思うかと問われたバイデン大統領は、「歓迎する」と述べ、「私は日本と岸田首相を信頼している」と笑みを浮かべた。その詳細は伏されているが、岸田首相が来るべき金正恩総書記との会談でどこまで踏み込むべきか、どこまで妥協が可能かと擦り合わせたであろうことは容易に推理できる。バイデン政権にとってそれだけ北朝鮮は無視できない存在となっており、3年目に突入したウクライナ戦争の最大の誤算と言っても的外れではなかろう。


     焦眉の問題は弾薬・武器の供給である。ウクライナ軍は命綱である米国からの追加支援が前年末からストップして弾薬枯渇に苦しみ、「米議会でウクライナ支援法案が否決されたらウクライナは2024年末には敗北し、プーチン大統領が提示する政治的解決条件に沿って動くことになろう」(バーンズCIA長官4月18日)とバイデン政権内部でも危機感が強まっている。「ウクライナはバイデンの戦争だ。欧州の紛争に関わるな」とするトランプ前大統領に同調し、下院多数派の野党共和党が追加支援に反対したのであるが、かろうじてバーンズCIA長官の異例の警告2日後の4月20日、約600億ドルの追加支援法案が可決された。ロシアが勝利すれば米国の安保上の国益が失われる、と危機感を募らせた共和党のジョンソン下院議長が賛成に転じ、反対派を懐柔して311対112で採決した。しかし、共和党議員は賛成101人に対し反対が112人とトランプに同調する孤立主義派が多数であることに変わりはなく、「最後のウクライナ支援」と目されている。

     妥協を重ねた産物であった。米社会に影響力の大きいユダヤ系の動向は無視できず、イスラエル向け260億ドル、台湾向け80億ドルの支援と抱き合わせの総額950億ドルの法案パッケージとして処理された。また、ウクライナ支援の一部は有償の「融資」とするが、公的債務がGDP比で2024年に98.6%と膨れ上がったウクライナの財政事情を考慮し、対露制裁で米国が凍結しているロシア資産をウクライナ復興資金として活用することを承認する苦肉の策も含まれた。「ウクライナ戦争は自由と民主主義を守る戦い」とのバイデン節を額面通りに信じる者は米社会でも減少傾向に転じ、全米各大学で反戦運動が拡大している。バイデン政権によるウクライナ支援は米国の安保上の国益に適うかどうかが最重要な判断基準であり、その意味ではゼレンスキー政権は駒であり、戦争長期化はウクライナ国民にさらなる犠牲を強いることになる。

     凍結ロシア資産を活用する苦肉の策は西欧に亀裂を広げるだろう。ウクライナ侵攻を巡り凍結した約3000億ドルのロシア資産について米国は没収・活用を主張していたが、フランスやドイツ、欧州中央銀行(ECB)が中国などの投資引き上げを誘発する恐れがあるとして反対し、利息活用にダウンした。米議会でウクライナ支援法案が可決された後も弁護士出身のショルツ・ドイツ首相は国際法違反と凍結資産転用に慎重な姿勢を崩さない。日本も「国際法に抵触しない形でやらなければならない」(鈴木俊一財務相)と慎重である。ロシアのペスコフ大統領報道官は「資産を接収すれば投資者の信用は失われ、欧米経済は終わりだ。信用回復には数十年かかるだろう。今の戦況を見れば結果は決まっている」(4月28日)と強気の姿勢を崩さない。

     1000キロのウクライナ戦線で毎日数千、数万発撃ち合うだけに、弾薬不足はロシア軍も深刻であったが、救世主となったのが北朝鮮である。状況打開のために戦術核使用まで示唆したプーチン大統領は安堵し、反対にバイデン大統領は顔色を失った。ウクライナへの緊急支援はそのギャップを埋めようとするもので、サリバン大統領補佐官が「ロシアに供給されている北朝鮮ミサイルへの対抗措置だ。このタイミングが大切であり、ロシアと北朝鮮との連携を断ち切る」と内幕を明かしている。上院で可決された緊急支援法案に署名(4月24日)したバイデン大統領は「米国の世界でのリーダーシップを持続させる。数時間以内に発送し始める」と演説し、米国防総省はただちに10億ドルのウクライナ向け緊急軍事支援パッケージを発表した。そこには155ミリ砲弾とともに新たに射程300キロの地対地ミサイルATACMSが含まれる。これまでゼレンスキー大統領が口を酸っぱくして求めてきたが、欧州を巻き込む大戦に発展しかねないロシア領攻撃は御法度とされ、中距離ミサイルは見送られてきた。バイデン政権はウクライナの戦場への直接介入は避けながらの軍事支援を原則としてきた。それをあえて侵したのだが、サリバン大統領補佐官は「北朝鮮ミサイルへの対抗措置」と使用目的を限定することで暗にロシアに了解を求めた。

     米露核超大国は正面衝突を避けながらのギリギリのパワーゲームを演じているが、それにしたたかに一枚嚙んできたのがウクライナでの砲弾の生産・補給力の数的優位を左右する北朝鮮である。歴代米政権は北朝鮮との関係を局地的な問題として対処してきたが、バイデン政権では世界の安全保障環境にかかわるグローバルな問題化し、政権の運命にも大きな影響を与える。

     苦心の末のバイデン政権のウクライナ支援再開だが、155ミリ砲弾など援助の主要部分が現地に届くのは数か月かかり、ウクライナ軍が持ちこたえられるか余談は許さない。そもそも第2次大戦以来の激しい砲弾の撃ち合いで米軍自体の弾薬在庫が底をつき、米軍が所有する全米各地のレンガ造り工場まで改修して生産を急ぐが、需要に追い付かない。現代戦の盲点であるが、砲弾、大砲など旧来の「ローテク兵器」が戦況を左右する支える状況をバイデン政権は全く想定していなかったのだ。対する北朝鮮は1960年代の金日成政権時代からの経済と軍事の併進路線で全国に張り巡らせた「ローテク兵器」の一大生産網を維持しており、ロシアの要求に十二分に応えられる。

     ウクライナ戦局は11月の大統領選の一大争点であり、バイデン大統領としてはこれ以上の外交的な失点は許されない。そもそも金正恩総書記と三回も会談し、朝米国交正常化直前までいったトランプ前大統領ならあり得なかった問題と、米有権者は鋭い目を向けている。バイデン大統領にとって日朝首脳会談は文字通り渡りに船である。岸田首相に金与正副部長からの条件付き招待状について詳しく尋ね、来る日朝首脳会談について具体的な注文を付けたことであろう。「日朝ピョンヤン宣言」という切り札を有する日本を使って、何とかロシア、中国と北朝鮮との間に楔を打ち込みたい。北朝鮮がロシアへの弾薬・兵器供給停止に応じれば国交正常化、といった交渉条件を協議したと考えられる。

     核超大国同士は争わず、が第三次世界大戦を避ける暗黙のルールであり、米中も昨年11月の首脳会談で「衝突を防ぎ、対話による危機管理」で合意している。訪朝が叶わないブリンケン国務長官は訪中し、習主席との会談(4月26日)に臨んだ。「中国が軍事転用可能な部品をロシアに輸出している」と半導体や部品の対露輸出中止を求めたが、コの字型のテーブルの片方に王毅外相らと対面する形で米国務長官を座らせた議長席の習主席は、聞き置くといった風であった。米国の一方的な要求に応じる考えは、毛頭ない。「中米はライバルでなく、パートナーであるべきだ。小グループを作るべきでない」とバイデン政権が構築せんとする対中包囲網をやんわりと牽制した。虚勢を張っているわけではない。米国は公的債務残高が30兆ドルを突破した借金大国であり、年中行事のように議会が米政府閉鎖を回避するつなぎ予算審議でもめるが、中国は海外勢が保有する米国債保有高の1割超、8163億ドル(2023年12月現在)を有し、米国のアキレス腱を握っている。海外勢最大の1兆1380億ドルを有する日本のように米国の顔色をうかがうこともない。かつては日本より多かったが、徐々に減らしながら、米国を揺さぶる。一挙に手放したら米経済は立ち行かなくなり、中国も返り血を浴びるので自制しているだけである。

     その経済力を痛感させられているのが中国を最大貿易国とする欧州であり、ウクライナ疲れの欧州首脳はEVなどの最大輸入超過国でもある中国に関心を向けざるを得ない。他方で、世界貿易機関(WTO)を無視して関税を操作し、中国を出汁にしてグローバルなサプライチェーンを自国に都合よく「デカップリング」「リカップリング」する米国への不満が高じている。3月にルッテ・オランダ首相、4月にショルツ・ドイツ首相と北京訪問が相次ぎ、シーメンスらドイツ財界トップを引き連れてきたドイツ首相は大型商談をまとめ、満面に喜色を浮かべた。それを受けて習主席は5月上旬、5年ぶりにフランス、ハンガリー、セルビアへの国賓訪問へと出発し、習主席独自の巨大経済圏構想「一帯一路」と連動した新たな経済協力をてこに焦眉のウクライナ和平でも新たなイニシアチブを発揮する予定だ。プーチン大統領が5月訪中の意向を明らかにしており、欧州訪問の成果を踏まえてウクライナ和平の具体的なガイドラインを提示することになろう。

     習主席に格の違いを見せつけられたブリンケン国務長官は、王毅外相との会談では北朝鮮の対ロシア武器輸出に関する動かぬ証拠を示し、「国連制裁決議違反」と北朝鮮に圧力を行使するように迫った。最後っ屁ではないが、4月いっぱいで活動停止→廃止が決まった国連安保理「専門家パネル」が最後の報告書をまとめ、非公表原則を破ってマスコミに流した。日米韓のパネルメンバー3人が4月に急遽ウクライナ入りして確認したものとされ、「1月2日にウクライナのハルキウ州を攻撃したミサイルは北朝鮮製と確認された」とロイター、朝日、読売などが報じた。だが、王毅外相は偏った報告書と歯牙にもかけなかった。中国は「専門家パネル」任期延長案に拒否権行使のロシアと阿吽の呼吸で棄権票を投じていた。

     岸田首相が訪れた3日後、習主席はパリに降り立つ。仏紙フィガロ紙への寄稿論文(5月5日発表)で「君子は和して流れず。中立にして偏らず」と孔子の言葉を引用してバイデン大統領を暗に批判し、昨年2月に提示した12項目のウクライナ和平案やパレスチナの和平協議への積極姿勢を披歴した。その翌日、マクロン大統領、フォンデアライアンEU委員長との3者会談に臨み、西側諸国と異なる独自の発展モデルとする「中国式現代化」への理解を求め、「欧州を重要なパートナーとしている」と貿易均衡に努める姿勢を示した。中国の補助金制度などを挙げて対中強硬発言を繰り返してきたフォンデアライエン委員長は一転、にこやかに「EUと中国は平和と安全保障において共通の利益を持っている」と応じた。マクロン大統領も「(欧州の)将来は中国との関係をバランスのとれた形で発展させる我々の能力にかかっている」と賛同し、ウクライナなどでの中国との連携は「絶対に重大だ」と声を強めた。注目すべきは、習・マクロン二者会談でパリ五輪(7月26日~8月11日)休戦を世界に呼び掛けることで一致したことである。ウクライナとパレスチナを対象とすることは二言するまでもなく、和平への大きな転換点になる可能性を否定できない。


     東アジア情勢に無視できない影響を及ぼしつつあるが、中露朝関係はバイデン政権が揺さぶるほど強固になっている。ブリンケン訪中2週間前の4月13日、国交樹立75周年を記念して訪朝した中国共産党序列3位の趙楽際全国人民代表大会常務委員長と金正恩総書記が会談し、「両国関係は新しく、より高い段階へと発展している」と述べ、習主席の年内訪朝を歓迎する。

     過去にはソ連崩壊にともなう混乱で両国関係が険悪化する時期もあったが、金総書記がトランプ大統領との3度の首脳会談(2018年~19年)を進める際に中国に支援を求め、関係修復へと向かった。2021年の朝鮮戦争休戦記念日に祝電を交換し、「血で結ばれた朝中友好」(金総書記)、「血で結んだ戦闘的友好」(習主席)とエールを交換した。社会主義体制を「専制主義」「権威主義」と口撃するバイデン政権が内政干渉と反発を受け、朝中の距離を原点回帰へ縮めているのである。習主席は重要講話で「不忘初心」を説き、中華人民共和国建国の祖である毛沢東に回帰し、「毛主席ならどうするであろうか」と垂範率先するが、金総書記も先代の「先軍政治」から先々代の祖父で朝鮮民主主義人民共和国建国の祖である金日成時代の先党政治回帰に拍車をかける。共通の大義は習主席が掲げる「社会主義現代強国」である。筆者も参観したことがあるクレムリン宮殿前のレーニン廟を旧ソ連時代そのまま厳粛に保存し、「ソ連共産党党員証は今も持っている」と述べるプーチン大統領にも原点回帰の志向性が認められる。文明論的な観点から見ても、陸続きの中ロ朝の結束は広い太平洋で隔てられる日米関係より強固である。

     おりしもバイデン大統領がアジア系移民を集めた選挙資金集めイベント(5月1日)で「中国、日本、ロシア、インドはゼノフォビア(外国人嫌悪)があり、移民を受け入れたがらない。だから問題を抱えている」と演説したが、いかにもアングロサクソン的な見下した発言である。日本政府は抗議し、林官房長官は「正確な理解に基づかず残念」と記者会見で述べたが、岸田首相が言うほど日米の信頼関係は厚くない。

     ゼノフォビア発言が飛び出してくるとは夢にも思っていない岸田首相は国賓待遇の訪米を終えた高揚感を隠せない面持ちで衆院本会議場(4月18日)に臨み、その成果を報告した。「世界が歴史的にも大きな転換点を迎える中、日米がグローバルなパートナーとなっていると確認した」と述べ、「日米同盟始まって以来」と米軍と自衛隊の相互運用性強化を自賛した。ほんの一週間前の米国議会ではスタンディングオーベーションに気を良くし、「日本の国会ではこれほどすてきな拍手を受けることはない」と軽口を飛ばして笑いを取ったが、日本の現実は厳しい。拍手はまばらで、野党席から「拍手されない理由は多くの問題に真摯に向き合わない自身にある。出す、出すと言っていた裏金問題に関する自民党の政治改革案(政治資金規正法改正案)は一体いつ出すのか」(立憲民主党の源馬謙太郎議員)と質され、「可能な限り早期に」とぬらりくらり交わす従前の答弁を繰り返すと、「なめてんのか!」と怒号を浴びせられた。国会審議も得ない閣議決定でなし崩し的に進める安保政策への反発も強く、「日米の防衛連携は自衛隊の指揮権を米国に渡したのと同義だ。平和憲法を逸脱し、米軍の指揮統制の下で参戦する道を開くことになる」(共産党の志位和夫議員)と、極端な親米姿勢の危うさを批判された。

     岸田首相が期待した内閣支持率アップはどの報道機関の世論調査でも数%の微増にとどまった。「日米同盟始まって以来」と「米軍と自衛隊の相互運用性強化」やNATOとの連携強化を強調するほど、多くの国民の目にはウクライナのゼレンスキー大統領やイスラエルのネタニヤフ首相と重なって映り、「第二のウクライナ」の悪夢にうなされる。トランプ再選となれば梯子を外されかねないと自民党内でさえバイデン一辺倒を危惧する声が高まり、“もしトラ”に備えて麻生太郎副総理がニューヨークのトランプタワーを訪れ、トランプ前大統領と会談した(4月24日)。会談内容は不明だが、バイデン陣営から「二股」と非難され、さながら仁義なき劇画の世界である。

     事実上の政権審判の場となったのが、3衆院補選(4月28日投開票)である。東京15区、長崎1区では候補すら立てられず、保守王国の看板を背負った島根1区にかろうじて自民党候補を立て自ら応援に駆け付けるが、立憲民主党候補に惨敗を喫した。筆者も江東区の東京15区を選挙日初日、最終日に見て回ったが、市井の自民党への不信、怒りは想像以上であり、総選挙での与党惨敗もありうると実感した。岸田首相は9月の自民党総裁選前の解散総選挙のタイミングを測っていたが、「天下の宝刀」は事実上、封じられたに等しい。

     我が道を行く岸田首相は「日本を取り巻く安保環境はいつにもまして厳しくなっている。憲法改正が先送りできない重要な課題となっている」と改憲を政権のレガシーにしようとする。だが、足元の国論は揺れる一方で、再軍備を禁じる9条改憲論にブレーキがかかり始めている。憲法記念日を前に実施された朝日新聞世論調査(5月3日発表)では憲法改正の是非は「変えない方がよい」61%(前年55%)、「変える方がよい」32%(前年37%)であった。同時期の共同通信世論調査でも「改憲論議急ぐ必要ない」65%と出ている。

     安倍首相(当時)は「集団的自衛権」を閣議決定し、米国と同一の価値観を強調しながら軍国主義批判を源泉的に封じようとした。それはある程度奏功し、ジワジワと護憲への諦念ムードが漂い、改憲へとギアチェンジする風潮が醸された。岸田首相もそれに便乗した口であるが、所詮は人の褌で相撲を取るに等しい。政権交代を求める世論が自公政権継続を上回りはじめているのは偶然ではない。“台風は来るなというようなもの”と改憲論者は憲法9条を野卑するが、温暖化問題と同様に、一度起きてしまった台風は制御できない。台風を起こさないことが肝要であり、それが人間の知恵というものである。

     外交に政権浮揚の一縷の望みをかける岸田首相はフランスに続いてグローバルサウスの有力国であるブラジルに飛んだ。サンパウロ大学での講演(5月4日)で「中国を念頭」に「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の確保」を訴えたが、日系人の儀礼的な拍手しか返ってこなかった。BRICSの一角で、親中派と自他ともに認めるルーラ大統領は経済協力以上の関心は全く示さなかった。そもそも岸田首相が強調する「国際秩序」は米国中心の既存の国際秩序であり、中国、北朝鮮には既得権益維持の独善的な蠢動としか映らない。そうした認識はイスラエル軍のガザ侵攻後、グローバルサウスで急速に拡散し、多数の子供へのジェノサイドを引き起こしているイスラエルのネタニヤフ政権を軍事支援するバイデン政権にダブルスタンダードと批判の声が沸き上がっている。

     岸田首相に政権浮揚の逆転策が残っているとしたら、やはり電撃訪朝であろう。歴史の巡り合わせとはいえ、微妙な時期に北朝鮮から変則ラブコールを送られるのは、世界広しといえども日本しかいない。バイデン大統領からロシアと北朝鮮との間に楔を打ち込むミッションを託されたとしても、日米の国益は自ずと異なる。日本の実情を踏まえて主体的に判断し、バランスよく対応できるか、それが問われている。パリ五輪の期間に訪朝が実現すれば、平和の祭典に彩を添えることになろう。

     来るべき日朝首脳会談には目先の打算を超えた歴史的な課題がある。30余年の時空を超えて歴史の表舞台に現れようとしている朝鮮南北クロス承認論であり、それが日本に条件付き招待状を届けた時代の風である。

     すなわち、冷戦時代に朝鮮南北は東西二大陣営の最前線の一つの分断国家として鋭く対立したが、韓国の民主化で転機が訪れ、盧泰愚大統領は1988年に発表した7・7宣言でソ連、中国が韓国と、米国、日本が北朝鮮と外交関係を結ぶクロス承認を骨子とする北方政策を提示した。それが冷戦終了(1989年)とともに動き出し、ソ連が韓国を承認(1990年9月)、中国も2年後に続いた。米国、日本の北朝鮮承認が続くはずであったが、統一を国是とした北朝鮮の金日成主席が南北分断の固定化に繋がるとして反対する。かろうじて1991年12月のソ連崩壊直後の南北首脳会談で南北は将来の統一を目指して平和共存する合意書にサインし、国連に同時加盟した。その後、米一極化が進むとともに北朝鮮は韓国に米軍基地を置く米国と鋭く対立し、「自衛力」として核開発へと向かう。

     そうした中、小泉首相が電撃訪朝(2002年)し、「日朝ピョンヤン宣言」をまとめたことでクロス承認は遅ればせながら半歩前進したが、世界の警察となった米国の横やりでストップした。その歪みがウクライナ戦争を引き起こし、世界を二分する新冷戦を生み出す要因の一つとなったと言えよう。

     しかし、捨てる神あらば拾う神ありで、東西冷戦終了で置き去りにされた未完成のクロス承認案が新冷戦の裂け目から表舞台に浮上する。さる2月15日、金与正党副部長が談話で岸田首相の訪朝を呼び掛けた。「個人的な見解」とことわったが、兄の金総書記の了解を得たものであることは言うまでもない。「北朝鮮との間の諸懸案解決のために引き続き努力を続けていきたい」とする岸田首相の返事が条件付き招待状へと発展した。要するに、国際情勢の多極化の流れ、時宜を得た岸田政権のアプローチ、先々代、先代らの統一政策を止揚した金正恩総書記の「二つの国家論」という3要素がシンクロした結果と言えよう。それを生かして日朝国交樹立につなげ、さらに朝米国交樹立へとクロス承認案が本来の形で完成すれば、東西冷戦終了後の歪が大きく修正され、新冷戦を軍事的な対立から平和的な体制競争へと向かわせる巨大なベクトルとなりうる。地の利、共有する歴史的文化的なつながりを生かし、二つの陣営間の平和的な体制競争へと新思考のイニシアチブを発揮できるか、日本外交の正念場となる。

     日本にとって経済的なメリットも巨大なものがある。北朝鮮は国土そのものはそれほど広くないが、リチウムイオン電池に欠かせないコバルトをはじめとするレアメタルや鉄鉱石などが山岳地帯に豊富に眠る資源大国であり、日本最初の製鉄所である八幡製鉄(新日本製鐵)は北朝鮮北東部の茂山鉱山から鉄鉱石を運び出したことは知る人ぞ知る。日本は今、歴史的な円安に揺れ、GDPはドイツに抜かれて3位、さらなる下降線を描く。輸送費高騰などで食糧や鉱物資源確保にも困難が生じている。おりしも経団連が「サプライチェーンの強靭化に向けた連携をグローバルサウスの国に広げていく必要がある」との提言(4月16日)を公表し、「官民連携のオファー型協力」を強調した。それを受けて岸田首相は世界5位の農産物輸出大国であり、鉱物資源も豊富なブラジルを訪れたが、海を隔てた遠い国に高い輸送コストを負担してわざわざ求めなくとも、それは日本海(東海)のすぐ対岸にある。

     そよとだが、追い風も吹きはじめた。人口減少、地方衰退に直面する新潟、富山、島根などの裏日本で、対岸の朝鮮半島、中国、ロシアとの交易拠点として蘇る「日本海イノベーション」の声が起きている。流人の孤島が点在するただっぴろい太平洋沿岸が明治維新以降に表日本とされ、裏日本に落とされたが、出雲大社をはじめ古来から漢字、仏教、儒教、建築技術、陶磁器などの先進文化が流入する最先端地域として繁栄した。日本版ルネサンスが始まるか、文明論的にも注目される。


    3 日米を揺さぶる金正恩の「二つの国家」戦略


     それは文字通り、青天の霹靂であった。金正恩総書記は昨年暮れの朝鮮労働党中央委員会第8期第9次全員会議拡大会議(2023年12月26~30日)で「綱領的な結論」とされる「2024年度当双方向について」で、「同族というのは修辞的表現に過ぎない」として韓国との関係再定立を図り、「南朝鮮というのは米国に依存する植民地属国に過ぎず、北南関係はこれ以上、同族関係、同質関係ではありえず、敵対的な二つの国家関係、二つの交戦国関係に完全に固着した。それが北南関係の現住所である」と宣言した。金日成時代からの古参幹部たちは驚天動地の思いであったろう。

     朝鮮は日本の36年の植民地体制から独立後に南北に分裂し、米占領軍の支持を受けた李承晩大統領が南朝鮮単独選挙を経て大韓民国建国(1948年8月)を一方的に発表すると、対抗して金日成首相が朝鮮民主主義人民共和国建国(同年9月)を宣言した。爾来、統一の主導権を巡って対立し、朝鮮戦争(1950年~53年)まで引き起こして休戦状態となり、今日まで南北軍事境界線(38度線)を挟んで睨みあってきた。金総書記はそうした現状を「交戦中の2つの国家」と定立したのである。「『吸収統一』『体制統一』を国策とする大韓民国とはいつまでたっても統一できない」と、禁句とされた「大韓民国」との国名を再三挙げた。 互いに「米国の傀儡」「ソ連の傀儡」と誹謗しあい、敵愾心を募らせてきただけに驚かない方が不思議とも言える。

     前段の「交戦中の」に注目するか、後段の「2つの国家」に注目するかで、反応は大きく変わる。韓国のユン・ソギョル大統領は前段の修辞に短絡的に反応し、「半民族的、挑発的」と対決姿勢を強め、臨戦態勢を命令しようとしたが、シン・ウォンシク国防部長官が「行き過ぎた誇張」でしかないと引き止めた。「戦争を準備しているのなら、数百万発の砲弾やミサイルをロシアに輸出するだろうか」と冷静な対応を呼びかけたのは、さすが現場経験豊富な元軍将官と言うべきである。ユン大統領は前年の「ワシントン宣言」(4月)で米国の核の傘に依存する米韓の「核拡大抑止」でバイデン大統領と合意し、北朝鮮への対決姿勢を強めていた矢先であった。

     同じ文絡で米日も過剰に反応した。米政権の対北朝鮮策に影響力を有する北朝鮮問題の「権威」と米メディアが伝えるカーリン・ミドルベリー国際問題研究所研究員は「朝鮮半島の状況は1950年6月以来、最も危険だ」(38ノース)と「宣戦布告」に例え、警戒を呼び掛けた。ユン政権誕生以来、朝鮮半島周辺で原子力空母や潜水艦を動員した合同軍事演習を繰り返し、北朝鮮に圧力を加えてきた米国としては一方向しか視野に入らず、「想定内」となるのであろう。日本でも「平和統一を断念し、核武力統一を企んでいる」との極論が飛び交った。そもそも「交戦中」「敵対的」といったレトリックは目新しいものではなく、金総書記の過去の演説でもしばしば見られた使い古された修辞でしかない。

     固定観念や集団認知バイアスに陥ると見えにくいが、刮目すべきは「二つの国家」という被修飾語である。禁句とされた「大韓民国」をあえて使用したことには北朝鮮と韓国を別の国家と認識する政策的な意図が込められており、画期的とも言える。朝鮮半島の唯一の正統国家と自認する北朝鮮の国家理念、原則を破棄し、米国の傀儡国家と蔑んできた 韓国を正規の国家と認めたのが「二つの国家」である。報告で金総書記は「大韓民国」と正式国号で繰り返し言及し、朝鮮民主主義人民共和国とは別の国家との認識を公的に表明した。史上初のことに古参幹部たちの同意を得るには相当に苦労したことであろうが、朝鮮中央通信の報道を見る限り、「熱烈な拍手」で受け入れられた。実は、昨年7月に「代理人」の金与正副部長が米空軍の偵察行動を非難する二つの談話で「《大韓民国》の合同参謀本部」「《大韓民国》軍部」と呼んで地均ししていた。

     「大韓民国」と確固なしの正式呼称にしたのが金正恩イニシアチブにほかならない。それが気まぐれでも一過性のものでもないことは朝鮮国歌の「三千里錦繍江山」の「三千里」が「この世に」と変えられた事からも分かる。「三千里」は白頭山から済州島までを指すが、現実的に南北を分ける38度線=軍事境界線までと改定されたのである。国家地図も軍事境界線までに書き換えられた。北朝鮮の長い友好国であるキューバが今年2月に韓国と国交樹立をしたが、一部マスコミが喧伝する「外交的孤立」ではなく、金総書記の「2つの国家」を踏まえたものにほかならない。

     「2つの国家」という金正恩イニシアチブの狙いは、軍事境界線安定化と経済再建にある。第一に、国境の安定化、すなわち南との軍事境界線を国境線化することにある。韓国が朝鮮民主主義人民共和国と正式に呼び返し、軍事境界線を国境線とすることに同意すれば済むことである。金総書記は上記「結論」で「膨大な武力が対峙する軍事境界線地域では些細な偶然的要因で戦争へと発展する」と半世紀以上も続いた戦争状態を止揚し、終止符を打つために「北南関係と統一政策に対する立場を新たに定立する切迫した要求がある」とした。南北間の緊張の要因であった分断に終止符を打てば、緊張緩和に繋げられるとの現実的、合理的な判断と言える。

     北朝鮮の核開発を警戒する米日にも一定の配慮をしている。北朝鮮は闇雲に核開発に突っ走っているわけではなく、従来から朝鮮休戦協定を平和条約に変えることを度々主張し、38度線が安定すれば核も必要なくなるとの論陣を張っていた。ところが、米日は北朝鮮非核化が先であるとして耳を貸さず、卵が先か鶏が先かの迷路に迷い込んでしまった。朝鮮を韓国と別の主権国家と認定すれば国交正常化は容易くなり、迷路から抜け出すことは難しくはない。対米関係が安定すれば核開発の必要性も源泉的になくなるのである。

     第二に、懸案の経済再建に欠かせない好環境を作り出すことにある。北経済再建にかける金総書記の覚悟は並々ならぬものがある。国連は2015年に「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択し、加盟国に「持続可能な開発目標(SDGs)」に関する報告書(VNR)作成を求めたが、金政権は2021年6月に朴正根副首相(国家計画委員長)の名で提出した。2019年のGDPが335億400億ドルと示されたが、人口は2544万8350人であり、一人当たりGDPは1316ドル、世界177位のキルギスの次、178位のザンビアの間となる。住民生活や農業の窮状も率直に明かしたうえで、北VNRは「制裁、封鎖などがSDGs達成に悪影響を及ぼす」として解除を求めた。それは金総書記の本音であったろう。

     北朝鮮経済の絶頂期は1974年で、金日成主席は「一人当たりGDPが1000ドルとなり、先進国の入り口に立った」と党大会で報告した。韓国の二倍であり、タンザニアなどアフリカ諸国に経済支援していた時期である。だが、それを境に経済は長期停滞時期に入り、次第に経済統計も隠すようになる。朴正煕大統領の開発独裁的な国家発展戦略で「漢江の奇跡」を興こした韓国に追い付かれ、追い越されたからである。2019年の一人当GDPが1316ドルというのは、1974年からほとんど成長していないことを物語る。現在では一人当GDPは韓国の30分の1,GDPは60分の1でしかない。

     屈辱的で危機的な数字ではあるが、金総書記は現実を前向きに受け止める。経済再建へと面舵を切るのであるが、ウクライナ特需が追い風となった。韓国統計庁「2023北韓主要経済指標」などによると、北の成長率は2019年0・4%といくらか持ち直しつつあったが、コロナで国境を封鎖した2020年にマイナス4・5%と落ち込む。新経済計画「国家経済発展5か年計画」初年の2021年もマイナス0・1%、22年マイナス0・2%とやや持ち直し、ウクライナ特需が本格化した昨年2023年には4%台へと飛躍し、なんと韓国、日本の1%台を凌駕した。手応えを感じた金総書記は全員会議の報告「2023年度党及び国家政策執行状況総括について」で「穀物103%」「有色金属131%」「鉄道貨物輸送量106%」「住宅建設109%」と具体的な数値で成果を誇示し、「12の主要目標をすべて超過達成し、2020年に比べ国内総生産額は1・4倍となった」と力強く結んだ。韓国側統計との誤差はあるものの、北経済が大きく上向いていることは間違いない。ウクライナ特需は旧ソ連圏のジョージアなどでも起きているが、もともと工業基盤のある北朝鮮経済はそれを上回る結果を残している。金総書記はプーチン大統領の「特別軍事作戦」に米国の覇権主義に反対する積極的な意義を見出していたが、想定を上回る経済波及効果に小躍りしたに違いない。「二つの国家」論はその成果を踏まえたものであり、経済の長期停滞に頭を痛めていた古参幹部たちも納得せざるを得ない。

     無論、統一を諦めてはいない。日韓では「政権維持のためには韓国と断絶し、南北統一に背を向けた」との指摘がかなり流れているが、木を見て森を見ない俗論である。金総書記は反統一的な言辞は一切しておらず、逆に新たな統一構想を秘めていると俯瞰できる。一定の時間をかけて経済を再建して南北の経済的な格差を解消し、平和的な相互交流を深めながら、いずれ祖父の金日成が1948年に呼び掛けた南北統一選挙による統一である。

     旧東西ドイツ型の統一論と言ってよかろう。第二次世界大戦後、朝鮮、ドイツ、ベトナムが分断国家となり、ベトナムが武力統一を成し遂げた。北朝鮮も基本的にはその方式を目指していたが、失敗した。急げば回れではないが、相互承認して平和統一した旧東西ドイツが範となるしかない。決して唐突ではなく、国際的な影響は少なくないだろう。ウクライナでは国境を画定しないで休戦協定を結ぶ朝鮮戦争型が来る和平協議で参考にされる可能性があり、中東ではイスラエルとパレスチナが共存する「2つの国家」論が改めて議論の俎上に乗っている。いずれに対しても金正恩の「2つの国家」論は少なからぬ影響を与えるだろう。

     時代の潮流を反映した金正恩の「2つの国家」論は、彼ならではの経歴、経験、感性なくしては考えられない。大阪鶴橋生まれの帰国在日朝鮮人の母の下で育ち、資本主義国であるスイスで中等教育を受け、スマホを愛用する今年40歳の青年指導者の思考方式はおのずと先々代、先代と異なるものがある。幼少期に母が口ずさんでいた日本の童謡「赤とんぼ」を懐かしく記憶している隠れ知日派でもある。~散っても可憐な澄麗かな~。


     日米同盟に依存する日本の安保構造が根本的に揺らいでいる。10年後にも東アジアに米軍が駐留する保証はない。米軍に多くを依存する安保体制は二階に上って梯子を外される事態になりかねないことを念頭に置く時期に来ていることは間違いない。沖縄県民の悲願である普天間飛行場の返還問題一つとっても、米兵による少女暴行事件(1996年)から始まった移転問題がいつのまにか12年後に完成予定とされる辺野古基地への移転問題にすり替えられてしまい、台湾有事と結びついて事態は一段と不透明になっている。岸田政権は「敵(中国)が我々の大陸に到達する前に脅威を打ち砕く」とする「バイデン政権国家安全保障戦略」に従って、「中国を念頭」にした「敵基地攻撃能力(反撃能力)」保有を中核とした防衛力増強計画を発進させたが、米軍がいなくなればもろに矢面に立たされかねない。

     だが、原理原則的に振り返れば、米軍撤退は悪いとは言えない。日本はサンフランシスコ講和条約(1952年発効)で敗戦国から主権国家への第一歩を歩みだしたが、それから半世紀、世界最多の米軍基地が沖縄を中心にそのまま維持され、いまだに同じ敗戦国のドイツにもない不平等な日米地位協定につて改定の声一つ聞こえない。「日本は防衛でも経済でも本当に主権国家と言えるのか」(石破茂元自民党幹事長)との声が挙がるのは至極真っ当なことである。

     その矛盾を解決へと向かわせる鍵が対朝鮮外交である。日本の軍拡的な安保政策は現代版空襲警報であるjアラームとともに始まっている。こじれた遠因である朝鮮との関係から解きほぐしていくのが論理的な道筋であろう。岸田文雄首相は先の施政演説でも「訪朝し、無条件で金正恩委員長と会談する用意がある」と繰り返したが、有言実行あるのみである。

    4 石破新政権は待ったなし

     ウクライナ情勢が自動介入条項を明記した朝露の「包括的戦略パートナーシップ条約」締結を名分にした朝鮮の対露弾薬・ミサイル支援や派兵でロシア優位へと大きく傾く中、ゼレンスキー政権支援の中心であったバイデン大統領が窮地に追い込まれる。再選を目指したバイデン大統領が7月に不出馬の意向を表明してハリス副大統領に民主党候補の座を譲り、対抗馬のトランプ前大統領がバイデン政権のウクライナ支援策を「私ならウクライナ戦争は起きなかった。激しいインフレも私の任期中にはなかった。大統領になれば24時間で終わらせる」と非難の声を一段と高め、11月5日の投開票で圧勝したのである。
     さらにバイデン大統領の後を追うように10月14日、岸田首相が辞任を突然表明した。原因は複合的だが、国際的な要因はウクライナ・ドミノである。対ロ経済制裁ブーメランでウクライナ支援の米欧日G7はインフレ、金利上昇、不況に襲われて民心が離れ、バイデンと共にウクライナ支援の急先鋒であったジョンソン英首相が政権を追われ、フランス、ドイツでも政権与党が支持率急落で政変の渦が巻き起こり、ついにバイデン大統領に続いて岸田首相も去った。裏金問題で支持率が急降下し来たる総選挙に赤信号が点滅し始めた矢先であるが、辞任の引き金となったのが対朝鮮外交の頓挫とみられる。外交で劣勢挽回を図り中央アジア、モンゴル外遊を予定したが、突然の中止で進退窮まった。辞任記者会見で「モンゴル首相に電話でお詫びした」と述べたことに、モンゴルでの北朝鮮との接触が不可能となり、最後の切り札を失ったことへの悔しさが垣間見えた。岸田首相の早期訪朝を勧めていただけに残念なことではあるが、日朝修好の必然性は変わらず、むしろ一段と強まっている。

     石破新首相は一貫して「対話なくして物事は進まない」と日朝関係改善に強い関心を示してきた。就任早々、「東京とピョンヤンに連絡事務所を設置する」と述べ、北朝鮮側にそれを打診したとの共同通信報道も流れた。本文中でも指摘したように、レアメタルなど地下資源豊富な北朝鮮との経済交流再開への要望が日本経済界に高まっていることも背景にあろう。

     私の観たところ、金正恩朝鮮労働党総書記と3回会談し、「親しい関係だ」と繰り返し述べているトランプ次期大統領が第4次朝米首脳会談に臨むことは時間の問題である。それは国交正常化となり、懸案の核問題は軍縮交渉で解決することになろう。日米外交の構造上、日本がその後を追うことになろうが、石破首相には先手を打つくらいの自主的、主体的な外交を期待したい。

     バイデン、岸田、ユンソギョル、岸田が進めた米日韓安保協力体制は根本的な修正が避けられない。バイデン、岸田が去り、ユン・ソギョル韓国大統領も非常戒厳令を発布して野党を封殺しようとした12月4日の“一人クーデター”失敗で辞任か弾劾罷免かの窮地に陥っている。石破首相は就任以降、初めての予算委(12月5日)で北朝鮮の核・ミサイル開発についての立憲民主党の野田佳彦代表への答弁で「安全保障の状況が根底から変わるかもしれないという危惧を抱いている。北朝鮮が核やICBM(大陸間弾道ミサイル)を会得したならば、根本的に条件が変わってくる」と述べ、日本有事への備えを進める必要性を強調したが、米国に依存した軍事的な抑止力、対応力なるものは非現実的、つまり、時代遅れと知るべきである。対話なくして物事は進まない。

    (本稿は経営者同友会誌「新政界往来」9月号への寄稿文(5月3日脱稿)に加筆した)

    (河信基 2024年12月5日)

  • Hello world!

    Welcome to WordPress. This is your first post. Edit or delete it, then start writing!