トランプ相互関税の狙いと新G3₊のパワーゲームの行方

1 トランプ相互関税の狙いと誤算


 「米国は無意味な(ウクライナ)戦争を終結させるための仲介に真剣に取り組んでいる」。
米国務省が4月28日に発表した声明で、前日にルビオ国務長官がロシアのラブロフ外相と電話会談し、ウクライナ戦争を「今すぐ終結する必要がある」と伝達していた。バイデン前政権時代は断絶していた米露直接対話が実現しているからこそ発表できた声明であるが、3年以上も全世界を二分、三分し、核戦争の恐怖さえ覚えさせたウクライナ戦争を「無意味」と言い切っていることにパラダイムシフトと言うべき変化が反映されている。
 その約1カ月前、米国を頼もしい同盟国と信じ、「侵略戦争」とロシア非難の大合唱でウクライナ支援の陣営に加わっていたG7、NATO諸国には青天の霹靂であった。トランプ大統領が就任早々、ウクライナのゼレンスキー政権の頭越しにロシアのプーチン大統領との電撃的な電話会談(3月18日)でウクライナ戦争を停戦・和平へと導くリーダーシップを発揮したのである。ある程度は予想していたとしても、現実になると衝撃が伴う。
 しかし、トランプ当人にとっては、「MAGA(アメリカを再び偉大に)」という本題に進むための環境整備の一環でしかなかった。それから2週間後の4月2日、ホワイトハウスで衝撃的な相互関税を発表した。180余の国・地域を対象に基本税率(相互関税)を設定するというものである。それとは別途に一律で10%を課し、5日に発動すると付け加えた。基本税率を課す一覧票を掲げたが、同盟国への政治的な配慮は一切ない。米国の忠実な同盟国と自認する日本に対しても「米国輸入品への関税は非関税障壁を含めると46%に達する」との独自算定に基づいて日本からの輸入品全てに24%の関税を課すとした。一律関税を含めると34%にもなる。別枠で鉄鋼製品、アルミ、輸入車への25%の追加関税が3日から開始され、5日からほぼすべての輸入品に一律10%の関税が課される。
 相互関税は米国が抱える巨額の貿易赤字解消を目的とする一方的なものであるが、その予兆はあった。トランプ大統領は2月1日に不法移民とフェンタニルの流入を理由にメキシコとカナダに対する追加関税の適用を4日から開始する大統領令を発表し、三国で結ばれていた北米自由貿易協定による自由貿易を享受してきた隣国を驚愕させた。さらに、同協定に定める非課税基準額ルールの適用停止を留保する大統領令を3月2日に発表し、両国との交渉に臨んだ。メキシコからは大幅な譲歩を勝ち取り、カナダとは駆け引きが続く。全世界が固唾を吞んで見守ったが、今度はその世界を相手に「米国ファースト」と貿易・関税戦争を仕掛けたのである。相互関税は自傷行為になりかねない劇薬であるが、トランプはカナダ、メキシコとの前哨戦でそれなりの手応えを掴み、米国に正面切って楯突く国はないと高をくくっていた。「平和の構築者となる」(就任演説)とウクライナ和平イニシアチブを発揮し、「バイデンの戦争」に辟易していた米国民を熱狂させた興奮冷めやらず、気が大きくなっていたとみられる。
 相互関税は、第二次世界大戦後に世界が積み上げてきた自由貿易に基づく関税秩序を天の一声で一変させるトランプ節全開であった。「米製造業の黄金時代の到来」とテレビカメラに向かって外連味なく吠える顔は高揚感に満ちていた。トランプ2.0の絶頂期であった。だが、満月がその瞬間から欠け始めるように絶頂は没落開始と同義であり、波乱の船出となる。

 トランプ2.0の外交、経済政策は第二次世界大戦後に米国が先導して積み上げてきた自由貿易秩序を根底から揺るがす非常識極まるものであったが、トランプ自身が「“常識”の革命」と目的意識的に肯定していた。官僚組織やシンクタンク、大学研究機関を渡り歩く「ワシントンのエリート」に対する嫌悪を隠そうとせず、自分と同じ不動産業や投資ファンドで成功した友人、知人を政権の中枢に抜擢した。懲りたのか、一期目で重用したポンぺオ国務長官やボルトン補佐官らは再登用せず、不動産投資で億万長者になった40年来の同業者のウィトコフを外交担当の特使に抜擢した。グラス新駐日大使もその一人で、トランプへの大口献金者として知られるが、着任記者会見(4月18日)でトランプ2.0で共有される問題意識を率直に明かしている。「米国は巨額の債務を抱えている。債務が10兆ドル(1420兆円)に達したら米国経済は終わると思っていたが、いまや債務は40兆ドルに迫っている。経済再建に取り組んでいる」と、並々ならぬ危機意識を隠さなかった。

 一枚めくれば、そうした状況を放置し既得権益に胡坐をかいてきた官僚、裁判官、メディアのエリート層への抜きがたい不信感が見える。下手な理屈をこねず、分かりやすいといえば分かりやすいが、「政府をビジネスのように運営する」と檄を飛ばすトランプをいわば最高経営責任者(CEO)と担ぐ彼らは不動産業の現場の修羅場をくぐった実業家らしい現実主義的な財政再建派であり、赤字国債の無制限発行を求める新経済理論(MMT)派は夢想的な詐術を弄する投機集団扱いしてまともに相手にしない。カラー革命支援など米国の対外援助の中核を担っていたUSAID(米国国際開発庁)解体など政府機関の解体縮小や職員の大量解雇による経費削減と財政再建策を遮二無二押し進め、「キーワードは同盟より、貿易赤字」と軍事費も外交交渉のテーブルに載せる。
 彼らの究極の目標は何か?関税収益を米国に残された最大の収益源と見定め、「グローバル化で富を奪われてきた」と他に責任転嫁し、「収支のバランスを取り戻したい」、「製造業の回帰」とその極大化に総力を挙げる。「大卒以外の給料は1970年代と変わらない」と没落した中産階級に寄り添うが、超富裕層の彼らを労働者階級の利益の代弁者とみなすのは論理の飛躍であろう。畢竟、米経済がデフォルトや大恐慌に遭えば一蓮托生との思いがあるのであろう。既成の常識をあざ笑い、「MAGA」と口幅ったいことを得意気に口にする当代随一の英雄主義的なロマンチストである。機智とユーモア、冒険に富んだ華麗なハリウッド映画に全世界が魅了された米国史上唯一無二の黄金時代(1950年~1960年台)に青春時代を送ったベビーブーマー(1946年~1964年)ならではの、人生の消えない残照かもしれない。
 大統領選挙運動中に狙撃されて危うく一命をとりとめて以来、「全能の神のご加護」を口にすることから、世界最終戦争と終末論を説くキリスト教右派の福音派の影響を指摘する声もあるが、選挙運動以上の意味はないだろう。聖書には「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」との一節があるが、トランプが敬虔なキリスト教徒がそうするように浄財を寄付した話はトンと聞こえてこない。カネが力と信じて疑わない徹底した金銭信奉者が実像に近い。映画俳優から高齢になって大統領に転じ、「強いアメリカ」を演じ続けたレーガンへの親近感を隠さない。カネにならないイデオロギーを冷笑し、現生の利益実現にすべてを注ぐ分かりやすい超現実主義者を人生の最終章で演じ切ろうとするだろう。人生は舞台であり、いかなる役割を演じるか、それが問題なのだ。

 はたして破天荒なロマンチストの前に強敵が立ちはだかった。相互関税発表2日後(4月4日)、中国は米国からの全輸入品に34%の追加関税を10日から課すと発表し、全面的に対抗する姿勢を露にしたのだ。世界二大経済大国間に相互の輸入品への関税の掛け合いが始まり、米145%。中国125%と睨み合う。現場の関税はサプライチェーンが入り混じって複雑多岐にわたり、IMF試算によると米国の対中実効関税率は115%と中国の対米実効税率146%より低くなっている。
 米中貿易戦争勃発にニューヨーク株式市場が激しく反応した。株価、債券、ドルのトリプル安に見舞われ、米10年国債利回りが 4.2%(2日)→3.89%(4日)→4.51%(9日)とごく短期に山から谷へと変動したのだ。米国債利回りがわずか一週間で0.6%上昇して4・51%となったのは同時多発テロ(2001年)以来、最大である。相互関税発表直後、安全資産とされていた米国債に逃避資金が集まるのを知らされてトランプはほくそ笑んだが、ほどなく価格下落と利回り急上昇に転じたことを知らされ、顔色を失う。米国債やドルの信認度に黄信号が点灯していると進言され、さしものワンマン大統領も戦略の手直しに応じるしかなかった。
 そして、米国債利回りが急上昇した同9日、事態は一転する。トランプは自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」に「相互関税に報復措置を行わなかった国々を対象に引き上げ措置の一部を90日間停止し、10%の相互関税の適用だけを認める」と書き込んだ。極めて変則的ではあるが、これもトランプ流の大統領令である。停止の理由は明かさなかったが、ベンセント財務長官が記者団に「75カ国以上から(ディールの)連絡があった」と補足説明したことから推して、当面、中国に的を絞り、なんとかしてディールに引き込もうとする新手の作戦に切り替えた、切り替えざるを得なかったとみられる。
 朝令暮改に国内から澎湃と非難の声が湧き上がった。民主党のシューマー上院院内総務が「トランプは動揺し、後退している。混乱による統治だ」と歯に衣着せず批判したが、党派的感情を差し引いても真実の一面を鋭く突いたことは間違いない。朝令暮改がすべて悪ではなく、臨機応変と評価される場合もある。とはいえ、過信から自ら陥穽に落ち込んでいることは否定できない。
 トランプ政権内でも動揺が広がる。トランプに巨額の政治献金をし、トランプ2.0の目玉とされた新設の政府効率化相に抜擢され、USAIDはじめ政府機関の解体・縮小や職員首切りに大鉈を振るっていたイーロン・マスクが、イタリアでのオンライン会議(5日)で「米欧間の関税ゼロと自由貿易を望む」と豹変した。分かりやすいといえばその通りで、米中欧を股にかけた典型的な多国籍企業である持ち株会社のテスラ株暴落に衝撃を受けたのである。公衆面前でチークダンスを披瀝していたトランプとの蜜月は終わり、解任説が飛び交い、不正選挙疑惑まで持ち上がっている。

 ワンマン大統領の脳内で何が起きていたのか?
 トランプ式の相互関税は闇雲というわけではなく、プラザ合意2.0を思い描いていた。ドル安誘導、米国債の超長期化、安全保障と経済政策の紐づけ、関税の戦略的活用といった基本経済方針は、いずれもそこに紐づけられている。トランプが「ドル安こそ輸出に有利」と譲らないのは、プラザ合意(1985年)が脳裏に焼き付いているからである。G5(米、英、仏、西独、日)がドル高(1ドル=242円)の是正のためにドル売り協調介入したのがプラザ合意だが、1988年初には1ドル=128円と大きくドル安・円高へと誘導し、米国に対日貿易赤字是正の実益をもたらした。ドル安でもドルの信認度が傷つくことはなく、世界的な金融危機の度にドル建て米国債が「世界一の安全資産」とみなされて資金の逃避先として買われ、「米国の例外主義」と称えられた。並ぶもののない世界最強の経済力が強力な復元力として作用したのである。
 例外が範となるのは奇妙な現象だが、私が俯瞰したところでは、「米国の例外主義」は一種のアクロバットであり、ドル紙幣と金との兌換停止を発表したニクソン・ショック(1971年8月15日)と連動している。上回るものがあった。金為替本位制度に基づくブレトン・ウッズ体制を崩壊させ、「ドル・ショック」とも呼ばれるニクソン・ショック時の為替相場は1ドルが360円→320円へと急落したニクソン・ショックには1次、2次があり、第1次は第2次の1カ月前にニクソン大統領が訪中を宣言したことを指す。それは中ソ対立の亀裂をさらに拡大して社会主義陣営を真っ二つに割り、ソ連崩壊のプロローグとなった。つまり、「米国の例外主義」はライバルを消し去ったニクソン・ショックの副産物である。さらに付け加えれば、バイデンのウクライナ関与政策にはその再現でプーチン政権と習近平政権を同時に葬り去る果てしなき野望が秘められていたが、見事に失敗し、中露を旧同盟関係復活へと限りなく近づけてしまったのである。
 トランプの極端な相互関税は平たく言えば、「米国の例外主義」に賭け、危機的な状況の米国家累積債務を削減する切り札と関税の財源化をもくろんだ大博打であった。通貨政策を所管するベッセント財務長官も「他国が通過を安くしようとしていることは容認できない」と片棒を担いだ。本来は「強いドル」志向の堅実な投資ファンド出身だが、巨大な貿易赤字解消のためには“一時的なドル安”もやむを得ないと腹をくくった。
 しかし、米資本主義の最後の砦が怪しくなってきた。米株式市場の株価は史上3位の暴落を記録し、猛烈なインフレの脅威が庶民生活を覆った。全輸入品に一律10%の基本関税を課す措置が発効した5日、全米50州で60万人(主催者発表)がトランプ退陣を求める抗議デモに参加し、「独裁者ノー」のシュプレヒコールを上げ、社会保障など公共サービスの削減反対を要求した。支持率が急低下し、不支持率と逆転したとの世論調査も出てきた。米国債の価格と利回りがジェットコースター状況の最中、ニューヨーク金融街で衝撃的な情報が飛び交った。「米国債が大量に売りに出された」というものであり、中国の報復が疑われた。
 米債券市場にこれほどの影響力を有するのはダントツの米国債保有国である日本、中国以外にありえないが、「関税交渉のモデルケース」を目指すと繰り返す石破首相にその選択肢はない。日本の歴代首相にはあるトラウマが受け継がれている。為替を巡る日米交渉(1997年6月)で難渋した橋本首相がコロンビア大の講演会での質疑で「米国債売却の可能性」について冗談めいて言及したところ、すぐさま米側から「宣戦布告とみなす」と警告され、縮みあがった。爾来、自民党政府にそれは鬼門となった。

 ドルの国際基軸通貨としての信認度に直結する米国債の命綱を握られた中国には、トランプも慎重になるしかない。行政命令署名式(4月17日)で「中国との関税交渉は3~4週間内に妥結すると思う」と一転、融和的な観測球を上げた。習近平と直接対話したことがあるかと記者に突っ込まれると、「我々と中国との対話は継続中だ」と前向きな姿勢を強調した。他方で、公定歩合の利下げで景気を刺激しようとパウエルFRB議長に解任を示唆して迫ったが、受け入れられず、それが株価混乱に拍車をかけていると見て取ると、「解任するつもりはない」と豹変した。
 中国との本格的なディールを念頭に環境整備に力を入れ始めたが、皮肉なことに、頼りになるのはいまだに“バイデン構文”通りに日米同盟を忠実に奉じる日本くらいしかいない。中国への交渉を呼び掛けた行政命令署名式前日、石破首相の特使格で訪米した赤沢経済再生担当相との一対一の飛び入り会談に臨んだ。事前に「軍事支援のコストについても話し合う」とSNSに事前に投稿し、在日米軍の駐留経費の大幅増額を求める意向を示していたが、異例の会談の内容は伏されたままで、背後で見守っていたベッセント財務長官が「非常に満足に行く方向で進んでいる」と煙幕を張った。中国に内輪もめを見られたくないのは同じである。同日、イタリア首相とも会談し、ベッセント財務長官は「Big15の経済国との協商を優先している」と苦しい胸の内を明かしたことから推して、中国とのディールに備え味方を増やしておく作戦に重点を置き始めたと考えられる。

 トランプに中国と正面切って貿易戦争をする余裕は、ない。一時はどこまで上げるかと世界がハラハラドキドキしながら注視した中国への追加関税について「大幅に下がるだろう。強硬な交渉はしない」(4月22日)とトーンダウンした。「特別交渉で今後2~3週間以内に関税率を決める。習近平主席と私は仲が良い」(23日)と、拳をいつの間にか握手に変え、「中国への追加関税を50~65%程度にまで引き下げることを検討している」(ウオールストリート・ジャーナル23日)とディールの秋波を送る。
 なりふり構わぬ相互関税90日間停止発表は、一言でいえば、中国の実力を痛感させられ、無視できなくなったためであった。ドル信認度低下に反比例して人民元の信認度が高まるようなことがあれば、ドルは基軸通貨としての地位を脅かされ、世界をリードしてきた米国の時代は終焉する。成長の限界に達して矛盾を露呈した米資本主義は、インフレと景気の減速が同時進行するスタグフレーション、いわば資本主義経済の癌に侵され、いよいよ寿命が尽きかねない。
 米中の逆転などあってはならないと考える人にも、数字は厳しく語る。購買力平価換算の2024年GDPは中国38兆1542億ドル、米国29兆1849億ドルである。為替レートは2国間の物価上昇率の比で決定するという観点から算出するのが購買力平価で、各国の物価水準の差を修正してより実質的な比較ができるとされている。名目GDPでは米国29兆1678億万ドル、中国18兆2734億ドル、ドイツ4兆7100億ドル、日本4兆0701億ドルの順となるが、ドル安の影響がもろに出てくるのは名目の方である。いずれもIMF統計に基づくが、同「世界経済見通し」(4月22日発表)は昨年の各国の実質経済成長率と今年の予測(IMF統計)を中国4・8%→4・0%、ロシア3・6%→1・5%、米国2・8%→1・8%、日本0・3%→0・6%と弾き出した。

 米相互関税の煽りで世界の今年の実質成長率は前年の3・8%から2・8%に低下し、米、日、英(1・1)、ドイツ(0・0%)、フランス(0・6%)、(EU0・8%)と米欧日側にダメージが大きい。中国の上昇、米国の後退の背景には識字率など歴史の長短からくる文明力の差があり、「中国から出される科学論文数は米国を凌駕し、材料科学分野では中国はすでに世界のリーダーになっている」(ソープ・米科学誌サイエンス編集長)と米国でも率直に評価する声が高まっている。
 カウンターパートナーの習近平総書記は黙して語らないが、単純に喧嘩腰というわけではない。トランプ大統領のウクライナ和平イニシアチブを高く評価していることに変わりはない。また、トランプが昨年12月の大統領選挙勝利後の初会見で「中国と米国は全世界のすべての問題を共に解決できる。非常に重要だ。彼(習近平)は私の親友だった」と述べたことは中国でも大きく報じられた。突飛で予測しがたいが、計測可能な実利重視なので交渉の余地がある。民主主義がどうの権威主義がどうのと、手前味噌の二分法的なイデオロギーに固執して安保問題に偏り、対話すら難しかったバイデン前大統領よりは、はるかに与しやすいー習近平主席はそう考え、片眼で日本の動向を窺いながらジックリと構える。

2 「代理戦争」から新G3₊へのパラダイムシフト


 プーチン大統領が「特別軍事作戦」(2022年2月24日~)を発令して始まったウクライナ戦争は「侵略」、「国際法違反」と単純に括れるものではなく、その本質はウクライナのNATO加盟如何で角逐する米露の「代理戦争」である。プーチンとバイデンの狡知の産物であり、人類にとってせめてもの救いであったのはサンドバッグのようにゼレンスキーを挟むことで二大核超大国の正面衝突が避けられたことである。

 ロシア非難一色となった報道の裏に隠されてしまったウクライナ戦争の真実であるが、憶測やプロパガンダまがいの情報、いわゆる陰謀論まで飛び交う中、事実と価値判断を峻別しながら一次情報を抽出、検証してそれを明らかにしたのが拙書『ウクライナ戦争と日本有事 “ビッグ”3のパワーゲームの中で』(2023年9月刊)である。ウクライナ戦争勃発の翌年に著したが、その原因を探り、バイデン大統領、プーチン大統領に習近平主席が絡んだパワーゲームを解き明かした。様々なベクトルが世界の人々を一喜一憂させたが、勝利の女神はいつの世も奢った方に背を向ける。バイデン大統領が決め手と考えた対露経済制裁がブーメランとなって西側を直撃し、大勢は決したと指摘した。
 バイデンの最大の失敗は、時代錯誤の反共イデオロギー偏重にあった。習近平が中国トップに収まるや打ち出した「社会主義現代強国」路線に驚愕し、「民主主義」、「法の支配」といった自前の価値観でNATO諸国やG7など同盟国を糾合する“バイデン構文”で反中包囲網形成へと動いた。その弾みでゼレンスキー大統領を誘ってウクライナのNATO加盟工作を露骨に進め、プーチン・ロシア大統領の反発を買った。プーチンは米露首脳会談を求めたが、バイデンは応じるとしながら、土壇場でキャンセルした。痺れを切らしたプーチンが「特別軍事作戦」に踏み切ると、もっけの幸いとばかりに対露経済制裁を主導した。「ロシア経済は一カ月も持たない」と読んでいたのだが、資源大国は底力を発揮する。さらに、ロシアを背後から支援する中国の動きがバイデンを追い詰めていく。ドイツなど西欧にLNGや原油を供給してきたロシアへの経済制裁は米欧日に超インフレ→高金利→不況の負のパラレルを招き、社会不安を醸した。
 中東のパレスチナ・ガザでも、ウクライナと酷似した領土紛争の火の手が上がる。ウクライナをはるかに上回る民間人殺害を重ねるイスラエルのネタニヤフ政権をバイデンが露骨に支援したことでダブルスタンダードと非難する内外世論が沸騰し、“バイデン構文”は完全に神通力を失い、大統領再選は幻と消えた。バイデンとともにゼレンスキー政権を支援してきたジョンソン英、岸田、ショルツ独、トルード加らG7首脳がいずれもドミノ辞任に追い込まれ、事実上、ウクライナ戦争はプーチンの粘り勝ちとなった。
 バイデンがトランプ2.0と入れ替わって新“ビッグ3”の新たなパワーゲームが開始されたが、脱米一極主義⇒新国際秩序形成へと向かう流れはもはや止められない。様々な偶然的な要素を貫く歴史の必然と言っても過言ではない。米経済をしのごうとする中国経済の勃興で米一極主義的な国際秩序は経済的土台から崩れ、変革を求められている。新G3協調による安定した変化か、無秩序な多極化・ブロック化か、それが厳しく問われていくだろう。

 トランプ大統領は専断的に大統領令を乱発しているが、盲打ちとの批判は当たらない。独善的なイデオロギーでウクライナ、中東で無用な戦乱と混乱を招いたバイデン大統領にノーを突き付け、収拾への道を開いたことは世界平和の観点から高く評価できる。ロシアのウクライナ侵攻を「国際法違反」、「侵略」と非難の大合唱を繰り返す人々は、結果だけに囚われている。我々の目に映るすべての事象は結果であり、見えにくい原因がある。プーチン大統領は当初からバイデンによるNATO拡大工作がウクライナ侵攻の「根本原因」と批判していたが、NATOと一体化した同盟国のG7は鼻から耳を傾けようとしなかった。しかし、トランプ⒉0は「バイデンの代理戦争」と躊躇することなく声を上げた。すでに一期目でNATO解体論を唱えていたトランプにはウクライナ戦争の構図、その因果関係が手に取るように見えていたのである。同盟の欺瞞性にも気付き、顧みることがなくなった。
 そもそも同盟国の定義づけが、バイデン前大統領とトランプ大統領では全く異なる。前者にとって同盟国とは名分上は価値観を共有する安保集団だが、その実、米国の国益追求の補助組織である。ソ連崩壊に歓喜の声を上げたバイデンは東西冷戦終了を西側の完全勝利で仕上げるため、民主化を名分にカラー革命を支援してロシアを含む旧ソ連圏、中東での米国の影響力を拡大し、最終的には東側の最後の遺物とみなす中国を清算したいとの野望に燃えた。それが“バイデン構文”の本質である。
 他方、トランプはそれをバイデン個人の無謀な欲望、税金の無駄遣いと全否定する。米国ファーストの孤立主義こそ実利に適った現実主義的な外交と認識したのである。その目に、バイデンが糾合した同盟国、同志国はせいぜい米中心のトラストかカルテルとしか映らない。容赦なく、米軍駐留費を含むこれまでの投下資金回収のディールの対象とするのである。
 トランプ2.0の政策がすべて正しいという気は毛頭ないが、少なくとも、バイデンの暴走を止めた劇薬的な効果は認められる。それを選挙で評価したのが、ほかでもないアメリカ国民である。“バイデン構文”の偽善性を訴え、バイデンを「米国史上最悪の大統領」と舌鋒鋭くこき下ろした共和党候補を米国民は選択したのである。
傍から見れば場外乱闘のようなシナリオなき政権交代劇であるが、現代米資本主義の矛盾が誘った必然的な結果と言えよう。民主党大統領候補の座をクリントン元国務長官と争って惜敗したサンダース上院議員が指摘する「1%VS99%」の極端な格差拡大で四分五裂した国内状況の反映である。移民でも誰でも努力さえすれば報われるアメリカンドリームが夢幻と霧散し、緩衝階層の中間層の没落で1%の資本家と99%の労働者の階級闘争が激化し、革命的変革を求められているとの指摘は的外れではなさそうである。
 その先頭に立っているのがトランプ大統領であるが、不動産業で財を成した当人にその自覚はあまりなさそうである。「米国から製造業を奪った」とグローバル資本主義を真っ向から否定するが、自己撞着の謗りを免れない。というのも、製造業云々は元来、英国に代わって世界的覇権国家に台頭したアメリカが第二次世界大戦後に推し進めた結果である。低廉な労働力と資源を求めて製造業を中国など海外に移転し、莫大な利益を米国にもたらしたが、米国をはるかにしのぐ文明史を誇る中国はいつまでも低廉な労働力供給地、被搾取の地位に甘んじていない。移転した海外企業の技術やノウハウを吸収し、それ以上のものを作り上げていくのである。中国は米国をしのぐ製造業大国にのし上がったが、それを主導した鄧小平の改革開放政策の先行事例が日本であり、とりわけ、韓国の朴正煕政権の開発独裁を大いに参考にした(『韓国を強国に変えた男 朴正煕』、『二人のプリンスと中国共産党』参照)。

 他方、米国には金融と通販主体のIT企業しか残らず、テスラのEV自動車やアップルのiPnoneの主力製造工場はいずれも中国にある。それは1000億ドルの資産を有する世界一の富豪となったテスラ創業者のイーロン・マスクをはじめとする富裕層を生み出したが、米国内は惨憺たる状況となった。かつてはアメリカの繫栄の象徴とされたアパラチア山脈に沿った工業地帯は鉄鋼や自動車産業衰退で「ラストベルト(赤錆地帯)」に転落しているが、トランプは「製造業を取り戻し、MAGA(偉大なアメリカ復活)」と公約して民主党の票田を労働組合もろとも奪った。とは言っても、トランプを労働者の意思と利益の代弁者とするのは早計である。トランプの最大の支持基盤は160年前の南北戦争で南部連合を形成したミシシッピー、フロリダ、テキサスなど深南部11州であり、伝統的に北部のワシントンの政治家やエリートへの反感が強い。
 大統領復権を目指したトランプは「長く不当に扱われ、裏切られた人々の正義を私が実現し、報復する」と深南部の歴史的感情をわしづかみし、同調圧力で丸ごと支持岩盤とした。不動産業で財を築いた青年期からの体験がベースになっていると見られが、顧客のニーズを巧みに吸い上げ、相手の弱点を突きながら交渉の主導権を握るのがトランプ流ディールの基本パターンとなっている。
 外交もその延長線上にあり、相互関税をディールの最重要手段と位置付ける。ラストベルトの労働者の要求にこたえて製造業を米国に戻し、深南部の農民の求めるままに農産物を売り込もうとする。だが、トランプが思った以上に相手は手強い。昨年の米国の主要輸出相手国はカナダ(18・3%)、メキシコ(15・7%)、中国(8・4%)、日本(4・4%)の順で、主要輸入国は中国(21・6%)、メキシコ(13・4%)、カナダ(12・8%)、日本(5・8%)となる。輸出を増やし、輸入を減らして貿易赤字を解消するのがトランプの基本戦略であり、最大の輸入相手国である中国に的を絞ることになる。
 しかし、米国の抱える最大の矛盾はほかにある。仮にディールがトランプの思い通りに進んだとしても、MAGAを額面通りに実現するのは難しい。中産階級を生んだアメリカンドリーム復活は内なる壁、「1%VS99%」の極端な格差の壁を除去しない限り、真夏の夜の夢でしかない。政府効率化省の統括責任者に抜擢したマスクは1000億ドルの個人資産を有する世界一の富豪と言われる。他の側近たちも富豪ぞろいであり、トランプ自身が長者番付の何位かに名を連ねる。米経済の成長が限界に来ている中、限られた富裕層に富みが偏在すればするほど、大多数が弾き出されて貧困に沈む。

 当たり前のことだが、トランプは減税を口にしても、累進所得税は口が裂けても言わない。富の公正な再分配なくして中産階級復活のMAGAなど夢のまた夢である。対する習近平は容赦ない腐敗撲滅と貧困撲滅の両輪で「平等に貧しい社会」から「平等に豊かな社会」への脱皮を目指す。勝利の女神はどちらに微笑むであろうか。

 習近平主席は米国の状況を熟知している。トランプ大統領は一期目の2017年11月に訪中した程度であるが、習近平は副主席時代から米国各地を見て回り、米国の強さも弱さも熟知している。敵を知り己を知れば百戦危うからず、と教えた孫氏の兵法の手練れた実践者であり、トランプ相互関税に硬軟両様で「とことん戦う」と一歩も怯まない。
 訪中したスペインのサンチェス首相との会談(4月11日)で「米国は世界と敵対すれば孤立する」と述べ、EUとの共同戦線構築の布石を打った。さらに、米中貿易戦争の主戦場の一つとなるベトナム、マレーシア、カンボジア歴訪(4月14日~18日)へと発った。中国の最大の貿易相手国は国別では米国だが、東南アジア諸国連合(ASEAN)よりも少なく、昨年の輸出額(3兆5772億ドル)はASEAN16・4%、米国14・7%、EU14・4%、日本4・2%となる。それを踏まえてトランプ相互関税の標的になった180以上の国・地域にウイングを広げ、米国の気まぐれ関税政策に左右されない自由市場構築へと驀進するだろう。
 習近平は危機をチャンスに変えようとしている。トランプ1.0で高関税の標的にされた中国はASEAN経由による対米輸出で交わした。中国企業に続いて、日本、韓国の企業もベトナム、タイなどASEANへと一部生産拠点を移した。トランプ2.0はASEANにも高関税を課してその道を閉ざそうとしているが、中国は逆手に乗る。米国の比重低下を見据えたサプライチェーン再編、米国以外の輸出市場拡大へと舵を切っているのだ。
 インドネシアと共にASEANで存在感を増しているベトナムの根本志向が、ベトナム社会主義共和国の正式国名通りに中国と同じであることを見逃してはならない。ベトナム経済再建をもたらしたドイモイ政策は、本質的には鄧小平の改革開放政策と同じ社会主義経済再建・復活にある。習近平総書記はベトナム共産党のトー・ラム書記長とのトップ会談で「ベトナムとの関係発展に私は自信に満ちている。運命共同体の構築を引き続き進める」と述べ、トー・ラム書記長も上機嫌で応じたが、両国首脳が「運命共同体」と認める国はそうはいない。
 いわゆる西側でもEUに報復関税の動きが顕在化し、カナダ総選挙(4月28日)でカナダ併合論や関税圧力を掲げるトランプ大統領への強硬姿勢を訴える中道左派の与党自由党が第1党となっている。世界経済のパラダイムシフトが確実に起きており、習近平はチャンス到来と満を持す。
 とはいえ、習近平にトランプと全面衝突する気はサラサラなく、基本姿勢はあくまでも対話である。中国商務省報道官は声明(5月2日)で、「米国が最近、関係機関を通じて中国にメッセージを送り、中国との貿易協議を希望している。中国は現在、これについて検討している」と表明した。「関税・貿易戦争は米国が一方的に開始したものであり、もし交渉を望むのであれば、不正行為の是正や一方的な関税引き上げの中止など真摯な姿勢を示さなければならない」と注文を付けることも忘れなかった。ルビオ国務長官が前日、米FOXニュースのインタビューで「ベッセント財務長官が深く関わっており、協議は間もなく行われる」と述べており、いよいよ噛み合ってきた。
 習近平主席がトランプ大統領の和平イニシアチブを、ウクライナ戦争の根本原因解消を見据えていると高く評価していることに変わりはない。自身がいち早く総論的なウクライナ和平案を提示しており、もろ手を挙げてトランプ・イニシアチブを歓迎こそすれ、反対する理由はない。経済分野は利害関係がもろに衝突するので調整に困難が伴うが、内政不干渉を大原則とし、相互の体制の違いを認め合ったうえでの平和的な体制競争で解決策を探るーそれが習近平の目標である。

 トランプ2.0は関税戦争では苦戦中だが、ウクライナ和平イニシアチブで存在感を高めていることは依然として否定できない事実である。
 振り返れば、ホワイトハウスに復帰したトランプの最初の大仕事が、バイデン失脚の要因となったウクライナ紛争の処理であった。早々にプーチン大統領との電話会談で停戦、和平協議推進で合意した。他方、バイデンが「自由と民主主義の守護神」と持ち上げたゼレンスキー・ウクライナ大統領をホワイトハウスに呼び出し、バイデン前政権が与えたウクライナへの経済、軍事支援を有償とみなして鉱物資源採掘権獲得による強制回収を通告し、「大統領選挙を経ない無能な独裁者」と面罵して事実上の代理人罷免を申し渡した。元コメディアンはテレビカメラの前でまんまとピエロを演じさせられたのである。
 トランプ大統領がディールで譲歩する(せざるを得ない)相手は限られている。その一人がプーチン大統領であり、旧ソ連の元KGBエリート中佐はしたたかである。ウクライナのNATO加盟阻止、中立化、非軍事化を譲らず、「ウクライナ和平協議は急ぐ必要はない」と占領地拡大に力を入れる。早期和平で成果を誇示したいトランプが「腹が立った」と追加制裁を示唆すると、側近のドミトリエフ・ロシア直接投資基金総裁をワシントンに送り込み、ウィトコフ中東担当特使と会談した(3月2日)。ウクライナ戦争後にロシア高官をワシントンが受け入れるのは初めてであり、バイデン前政権で断絶した米露対話が軌道に乗り、ウクライナ和平は米露直接協議でゴールを目指す基本的な枠組みが確立したということである。

 世界が注視する和平案の輪郭が次第に明らかになる。バイデン失脚後もウクライナ支援にこだわる英仏などNATO諸国との会議(4月17日)にバンス副大統領が参加し、恒久的停戦の構想案を伝えた。その構想案について、米ニュースサイト・アクシオス(4月22日)がトランプ大統領の「最終提案」としてウクライナや欧州主要国に示されたとする1ページの原案をすっぱ抜いたが、大方、ロシア側の要求を受け入れている。ウクライナのNATO非加盟、米欧各国の対露制裁解除、ウクライナ東・南部4州のロシア占領認容、ロシアによるクリミア半島領有承認、現在の戦線での凍結、ウクライナのEU加盟容認となっている。ウクライナ側が求める「強固な安全の保証」については、欧州有志国で構成する平和維持部隊のウクライナ駐留を認めるが、米軍は参加しない。南部のザポリージャ原子力発電所と周辺地域は米国が管理。同日にウクライナの資源協定締結の覚書が米ウ間で交わされ、ウクライナの希少鉱物資源開発で得られる利益を共同管理の「復興投資基金」に拠出し、米国がこれまでの支援金を回収すると記された。
 不信感を募らせた英仏独とウクライナの代表団が同月23日に米代表を交えてロンドンで会談したが、米国のルビオ国務長官、ウイトコフ特使が欠席し、事実上、聞き捨て置くとなった。トランプ政権で外交交渉を一手に担うウイトコフ特使は2日後にモスクワを訪れ、プーチン大統領と4度目の会談を行った。3時間にもわたる会談では米特使が「ロシアは停戦に興味がないようだ」と痺れを切らしているトランプ大統領の不満を率直に伝え、腹を割ったやり取りが交わされた。その詳細は不明だが、ぺスコフ大統領府報道官が「ロシアは前提条件なしにウクライナと交渉する用意がある」とのプーチン大統領の意向を記者会見で明かし、ウクライナ和平は今後とも変わらず米露主導で進めることを再確認した。また、「(ロシア軍が占領したウクライナ東南部)4州は住民投票でロシアの行政区域になった」と付け加え、米露間で秘密合意があったことを示唆した。
 バチカンでローマ教皇の葬儀が執り行われた4月26日、トランプは葬儀直前に15分間だけゼレンスキーと会談し、「以前より冷静になった」と上機嫌で評した。自分が示した構想案を受け入れたと理解したのである。同月30日、アメリカとウクライナは「ウクライナ国内の鉱物資源を共同開発する」と合意した。ゼレンスキー大統領は翌日、SNSに「対等な協定でウクライナに多額の投資の機会を創り出し、産業の近代化をもたらす」と書き込んだが、押し切られたということである。他国に軍事支援を頼んだ国の宿命であるが、トランプはバイデン前政権によるウクライナ支援金を3500億ドルと評価して有償とし、全額回収を目指して鉱物資源を担保とすることを目指してきたし、今後も変わらないだろう。

 プーチンの本音は停戦前に極力、占領地を拡大することにある。そこで存在感を高めているのが朝鮮である。長期化したウクライナ戦争は双方ともに弾薬等が枯渇し、戦線が膠着状態になった。それが動き出したのは、ロシアとの「戦略的パートナーシップ協定」を締結した朝鮮が弾薬・ミサイル・自走砲を支援してからである。ジリジリ押されたゼレンスキー大統領は起死回生の秘策とばかりに昨年9月、ロシア領のクルスク州奇襲攻撃を敢行する。だが、今度は強力な朝鮮特殊軍団参戦を招き、弱り目に祟り目となる。
 東アジア情勢にも少なからぬ影響を及ぼすことであるが、ゲラシモフ・ロシア軍参謀総長はクルスク州奪還をプーチン大統領に報告(4月26日)し、「朝鮮軍はウクライナ軍戦闘集団を壊滅させる戦闘で大きな支援をした」と朝鮮兵参戦を初めて公式に認めた。それを受けて朝鮮労働党中央軍事委員会が声明(27日)を出し、「金正恩総書記が包括的戦略パートナーシップ協定第4条に当たると判断して参戦を決定した。解放作戦が勝利のうちに終結し、同盟関係の戦略的な高さを誇示した」と称えた。金正恩はピョンヤンにおける戦闘偉勲碑建立を表明し、朝鮮中央通信、労働新聞が内外に大々的に伝えた。ロシア国防省系メディアなどが28日に報じた映像で、北朝鮮兵がクルスク州で集落を奪還し、ロシア兵と抱き合う様子を流した。それを受けてプーチン大統領は「朝鮮兵の英雄的行為に敬意を表する」との声明(28日)を出し、ペスコフ大統領報道官はロシア側も有事に朝鮮に軍事支援すると同協約第4条の相互自動介入条項を強調した。朝鮮が米主導の一連の制裁で孤立しているとの西側の風評を一掃したのである。朝中友好協力相互援助条約は存続しており、ソ連崩壊で揺らいだ朝中露の軍事同盟は復活軌道に乗ったとみて間違いない。
 朝鮮軍派兵を「違法な侵略加担」と一方的に非難するのは、衡平性を欠いている。G7から早速非難の声が出たが、“バイデン構文”に従いゼレンスキー政権への軍事・経済支援で代理戦争の一方の当事者となっており、客観性、中立性の観点から問題がある。少なくとも朝露側はそう判断するし、国際世論も釣り合いが取れていないと訝るだろう。

いまだに賛否両論割れるトランプ・イニシアチブだが、ウクライナ和平の道を開いたと後世の歴史家は評価するだろう。その決定的契機は、トランプ大統領自ら他方の当事者であるロシアとの直接対話で「代理戦争」の幕を下ろしたことにある。
 歴史発展の弁証法であるが、トランプ2.0誕生はバイデンのオウンゴールに大いに助けられた。バイデン前大統領は就任直後にアフガンから一方的に米軍を撤退させ、カブールの味方を見捨て、敵であるタリバン政権樹立に手を貸した。米一極主義に挑戦する「唯一最大の競争者」と指弾した中国に的を絞って戦略資源を集中するとの身勝手な弁明は、この時点ではまだ一定数の理解を得ていた。勢いを駆って、「価値観外交」と称するイデオロギー外交でG7をはじめとする同盟国、同志国、その他を糾合し、NATOをウクライナに拡大して中国寄りのプーチンを圧迫、排除し、中国包囲網を完成しようとした。同時進行的にUSAIDなどが人道援助の裏で“バイデン構文”を世界中に拡散し、米国の正義で洗脳しようとした。しかし、世界地図に気が向くままに線を書き入れる途方もない野望は、はたして頓挫した。策士、策に溺れ、彼我の力関係を見誤り、米国民からもノーを突き付けられたのである。
 “バイデン構文”を全否定する先頭に立ち、誕生したのがトランプ2.0にほかならない。ルビオ新国務長官は「(バイデン政権下の)国務省は過激な政治イデオロギーに縛られている」と一刀両断に切り捨て、民主主義や人権推進などの部署の統廃合による国務省再編計画を発表(4月22日)した。民主党のシャヒーン筆頭理事は「中国やロシアがその空白を埋める」と反対したが、馬脚を現したとはこのことである。
 トランプ・イニシアチブを機に、代理戦争による米中露のパワーゲームがパワー・オブ・バランス(勢力均衡)へと昇華し、 G3₊による新秩序形成の動きが始まったことも否定できない。第二次世界大戦後の国際秩序がウクライナ戦争で揺らぎ、再編の大きな一歩を踏み出したのである。
 それを世界に可視化したのが、国連安全保障理事会で採択された「ロシアとウクライナの紛争の迅速な終結」を求める決議(2月24日)である。トランプ2.0が国連安保理に同決議案を提出し、米露中はじめ10カ国が賛成して採択された。韓国は賛成票を投じ、常任理事国の英仏は棄権した。日本のメディアは趣旨を訝ってあまり報じなかったが、「侵略」、「国際法違反」といった従前のロシア批判が一切消えた画期的なものであり、国連総会決議と異なり、安保理決議は拘束力を有する。それを期に国際法上、無条件に「ウクライナ紛争終結」を求める決議がウクライナ問題に関する最高国際規範となったのである。

 さらに刮目すべきは、トランプ大統領がロシアに核軍縮交渉を呼び掛け、新たに中国を交えた3大核超大国=G3主導の核軍縮の枠組み構築の動きを見せていることである。トランプ大統領は再任直後に世界の政財界のトップが集まるダボス会議(1月23)日にオンラインで参加し、ロシアや中国との核兵器削減交渉に意欲を示した。「非核化を進めることができるか見てみたい。十分に可能だと思っている」と述べ、プーチン大統領とかつて「非核化」について話したことがあると明かし、「プーチン大統領は核兵器削減という考えを気に入っていた。中国も気に入っていた」と、米露中の核軍縮交渉に前向きな姿勢をアピールした。トランプ1.0でロシアと新戦略兵器削減条約(新START)延長を話し合い、中国も交えた核軍縮の新枠組作りを進めていたことを想起した発言であった。

 トランプ大統領はその翌月にも「我々の軍事費を半減しようと言いたい」と呼び掛けた。再選ならず中途半端に終わったことを2.0で仕上げたいとの思いが強い。というのも、ウクライナ問題でバイデン大統領と対立したプーチン大統領は一昨年、新STARTの履行停止を一方的に停止し、このままでは同条約は来年2月に失効する。
 トランプ・核削減イニシアチブは一時の気まぐれではなく、“バイデン構文”への強力なアンチテーゼにほかならない。バイデン大統領(当時)が「核共有」「拡大抑止力」と称して同盟国を「核の傘」に誘い、核抑止力への幻想を世界に拡散させ、ロシアとの緊張が高まった。ウクライナ戦争が剣が峰に差し掛かった昨年11月、プーチン大統領は核兵器使用に関するドクトリンを改定し、自国または同盟国ベラルーシに対する通常攻撃が両国の主権や領土保全に重大な脅威をもたらした場合、「核兵器による反撃を検討する可能性がある」と明言した。米英仏の核を共有するNATO軍による攻撃を牽制したものであった。
 それにストップを掛けたのが、一連のトランプ発言にほかならない。ロシア側も心得たもので、プーチン最側近のショイグ安全保障会議書記(前国防相)が国営タス通信のインタビュー(4月24日)で、英仏がNATOに「核の傘」を提供するかのように振る舞い、ウクライナへの「安全の保証」と称して「平和維持軍」派遣を検討していることに「根本原因」を蒸し返すなと警告を発した。英仏に的を絞ったのであるが、米国との対話復活があったからこそ可能なことであった。核軍縮へのトランプとの暗黙の符丁を意識したかのように、プーチン大統領は「ウクライナで核兵器を使用する必要はなかった。今後も必要ないことを願っている」と述べた。ロシア国営テレビがプーチンの大統領就任25年を記念するドキュメンタリー映画「ロシア、クレムリン、プーチン 25年」(5月4日放映)で述べたことであるが、プーチンは「欧米諸国がウクライナへの兵器供与を通じてロシアを挑発し、ロシアに核使用という失敗」を犯させようとしてきた」と改めてバイデン前大統領を批判した。バイデンへの敵意をいまだに隠さないトランプにエールを送ったのであり、新STARTは来年2月を待たずに延長で合意されよう。
 バイデン前政権下で世界に拡散した核の負の連鎖を断ち切ろうとするのがトランプ2.0の核軍縮イニシアチブであり、毒を以て毒を制する劇薬的な効果が期待できよう。というより、ほかに選択肢がないのが偽らざる現実である。ストックホルム国際平和研究所推計(2024年1月時点)によると、世界の核弾頭の推計総数は12,121発で、ロシア5,580発、アメリカ5,044発、中国500発と三国が頭抜けている。米露は新STARTにより何とか歯止めがかかっているが、それに加盟していない中国は核戦力を急速に強化させ、米国防総省は2030年までに1000発を超えると見ている。G3主導の核軍縮の枠組みに取り込めるか、来るトランプ・習近平会談に期待が集まる。

 箍が緩んだNPT(核拡散防止条約)体制を刷新する効果も期待できる。NPTは既存の核保有国に核保有を限定し、それ以外の国の核保有を禁止する枠組みであるが、核保有国の特権に胡坐をかく米露中英仏に反発するようにインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核開発に走り、事実上、野放しにされている。綻びを繕う再検討会議は過去二回とも決裂している。来年の第三回のための準備委員会がニューヨークで進行中であり、米国務省は「米国は核兵器拡散と核戦争への脅威への対処を主導することに尽力している」と声明を発表した。トランプ大統領の意向を代弁したものであることは言うまでもない。
 それと関連して注目されるのが、トランプ大統領が就任早々の記者会見で「金正恩氏とは親しい。彼は核保有国」と公言して核軍縮交渉を示唆したことである。無原則的との批判もあるが、ウクライナ戦争で存在感を高めている核保有国を無視できないとの現実優先の判断と考えられる。一期目で鋭く対立した因縁のイランとの交渉を再開したが、「ウラン濃縮はともかく、核保有だけは認めない」と朝鮮と明確に差別化した。既成と未完を峻別したディールが行われており、すべての核保有国、核開発疑惑が掛かっている国を網羅した実効性ある核軍縮交渉への第一歩と評価できる。
 ロシアと並ぶ超核保有国が核軍縮の音頭を取り始めたことは画期的であり、核兵器全廃を目指す核兵器禁止条約への追い風となるだろう。日本政府は同条約を批准せず、オブザーバー参加すら拒否し、広島、長崎の被爆者たちから非難されているが、「核共有」「拡大抑止力」の親元が核軍縮へと方向転換している以上、時代錯誤と批判されても返す言葉がなかろう。朝日新聞の最近の世論調査(4月27日)によると、「核兵器禁止条約に日本が加盟する方がいい」との世論が73%に達している。主権者の声に謙虚に耳を傾けるのが被爆国日本の在るべき民主主義の姿である。独断外交は日本の安全保障を害することあっても、利することは微塵たりともない。『ロリンズ農務長官が5日、関税交渉のため訪日すると発表した。農産品の輸出拡大のために』

 ウクライナ戦争をパワーバランスの観点から分析してG3₊形成へと向かうと指摘したのは私だが、先行事例が第二次世界大戦後の世界秩序の見取り図を決めた米ソ英首脳による「ヤルタ協定」である。核軍縮を主導する新ヤルタ協定が姿を現しつつあるが、その先鞭をつけたトランプ大統領は当人が切望するノーベル平和賞候補の資格十分である。毀誉褒貶の激しい人物で、その言動はしばしば物議を醸すが、その非核化イニシアチブは同賞を受賞したオバマ大統領の「核なき世界」よりも真正性、実効性がある。プーチン大統領、習近平主席との同時受賞がなれば、米ソが核で睨み合ったキューバ危機以来の核戦争の恐怖に怯える人類は核なき世界へと大きな一歩を踏み出すだろう。
 被爆者たちは「戦争に悪も正義もない。それは絶対悪である」と訴えるが、無差別空爆で犠牲になり、ガリガリに瘦せ細ったガザの子供たちの写真が毎日、同じことを訴えている。ガザもウクライナもその他の戦争も加害者はいつも為政者であり、被害者はいつも一般国民なのである。先に亡くなったフランシスコ・ローマ教皇はロシア軍のウクライナ侵攻を一方的に非難せず、ウクライナに無用な抵抗は国民に犠牲を強いると諭した。一時、「白旗を上げた」と批判する声が日本の新聞各紙にも踊ったが、遺言の末尾で「私の生涯の最後にあった苦しみを、世界の平和と諸国民の友愛のために、主に捧げる」と言い残し、葬儀に駆け付けたトランプ大統領ら各国首脳の魂を揺さぶった。「正義の戦争」を声高に叫ぶ“バイデン構文”にひどく影響され、「抑止力」と防衛力増強を正当化する人々も、それを憲法9条違反の軍拡と反対する人々も、同じ船で未知の荒海を行く運命共同体の一員として謙虚に、衡平に耳を傾ける必要があろう。我々がなすべきこと、出来ることは、安易に正義面して興奮せず、冷静に戦争の原因を突き詰め、除去し、同じ愚を繰り返さないことに尽きる。
 その意味で朗報と言うべきだろう。前掲の朝日新聞世論調査で憲法9条ついて「変えないほうがよい」56%となった。前々年55%、前年61%と多少のブレはあるが、憲法9条の護憲派が依然として多数意見であることが改めて明らかになった。なし崩しの9条形骸化が進む現状を考えると驚きであり、頼もしくもある。しかし、戦後昭和時代には「極右の戯言」と忌み嫌われた9条改憲派が増え、無謀な軍拡防衛族が跋扈しているのもまた無視できない現実である。一寸先が闇の不条理極まりない世界で、我々は戦争か平和かと毎日、毎時間厳しく問われていると言っても決して過言ではない。

 実は、我々は偶発戦争の脅威に日々直面している。平和な日常からは見えない深い闇の中であってはならない「日本有事」がヒタヒタと迫っているのである。
 ごく最近、尖閣諸島(釣魚島)上空で自衛隊機と中国海警局が睨み合い、軍事衝突寸前までヒートアップした事件が勃発したのである。何故か日本では新聞各紙の片隅で断片的にしか報じられなかったが、防衛省が「(5月)3日昼頃、尖閣沖の領海に中国海警局の舟が4隻進入し、うち1隻から搭載ヘリが飛び立ち、約15分にわたり領空侵犯した。航空自衛隊の戦闘機が緊急発進した」と発表した。中国機による領空侵犯は昨年8月以来4回目で、うち尖閣周辺では3回目とされる。これまではドローンであったが、ヘリの進入は今回が初めてという。中国海警局報道官が「日本の民間機が約5分間、領空に不法侵入し、艦載ヘリで退去するように警告した。法に基づく必要な措置であった」と発表したと、日本の新聞、テレビが報じた。しかし、結果ばかりで、原因と思われる肝心の「日本の民間機」が何者なのか一向に分からない。
 SNSの利便性を痛感するのは情報に飢えた時である。日中からともに距離を置く韓国メディアを検索すると、全貌が見えてきた。聯合ニュースの北京特派員によると、中国外交部は5月4日、「日本の右翼分子が民間航空機を使って我が釣魚島領空に侵入したことにアジア局長が日本大使館の横地首席公使に厳重抗議し、再発防止を求めた。中国は領土、主権、海洋権益を厳守する」と発表した。日本側が反論すると、すかさず同日、中国国防部スポークスマンがSNSに立場文を発表し、「我が海警が不法侵入機を警告、退去させたのは完全に正しく、合法的だ」と一歩も引かない。
 双方が自制を働かせてようやく収まったが、事件の発端は「日本の右翼分子が関わる民間航空機」にあったのだ。ウクライナ戦争直前にも同様の火付け役が蠢動し、欧州のネオナチが多数志願兵の形で参加したアゾフ軍団がウクライナ東南部のドンパス地方でロシア系住民の虐殺行為を働いたことが当時の西側の複数のメディアが報じていた。尖閣でも似たような現象が起きつつあるということである。
 「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と岸田首相(当時)がボヤいたのは、的外れとは言えなくなってきた。「台湾有事は日本有事」と台湾を盾に押し立て、後方で高みの見物と決め込むボヤキもあるが、こちらは怪しい。中国にとって、独立派の頼清徳政権が議会で少数与党に転落した台湾への軍事侵攻は良策とは言えない。トランプ2.0が北京との対話優先に切り替えているだけに猶更である。北京は日米が喉から手が出るほど欲しがる経済インフラをむざむざ破壊するような愚はしない。孫氏の兵法ではないが、独立派への圧力を強め、柿が熟して落ちてくるのを待つだろう。
 問題視するのは、台湾独立派をそそのかし、梃入れする背後の日本である。台湾有事にかこつけて尖閣諸島(釣魚島)の領有権を正当化しようとしていると警戒しているのである。ちっぽけな島だが、領海、排他的経済水域(EEZ)まで含めると中国の外洋への喉元を締め付ける東シナ海の重要な戦略的拠点となる。

 そこに目を付けたのが、バイデン大統領(当時)にほかならない。日本側から求められるままに「尖閣は米日安保条約第5条の対象」と明言して日本の軍拡防衛族を勢いづかせ、防衛費増額へと巧みに誘導した。岸田政権は「東シナ海の安全保障」を南シナ海、台湾と結びつけ、米韓比豪とのアジア版NATO創設まで視野に入れ始めた。もっとも、バイデンは尖閣が日本領とは一言も言わず、中国を過度に刺激することは避けながら体よく日本と両天秤にかけた。
尖閣諸島の一部が抉られたような平坦地になっているが、長く在沖米軍の射爆場として使われていたからである。その時はさすがに中国も領有権を主張することはなかったが、米中国交正常化後の射爆場閉鎖にともない領有権を主張し始めた。歴史的には琉球王国の一部であり、日中共に歴史的な領有権を主張するのは無理があるが、海底油田の存在が明らかになって地政学上の戦略価値を帯びたために双方とも一歩も譲らない。
 アジア版NATO創設の動きまで出ていることは、クライナ戦争前夜を彷彿させる。親露的なコメディアンであったゼレンスキーを強硬反露派に転向させたクリミア半島の領有権問題、ウクライナ東部ドンパス地方の分離独立運動、ネオナチ問題などが複合的に作用して緊張が高まっていたが、決定的な導火線となったのが、露骨化してきたウクライナNATO加盟の動きである。プーチンも「特別軍事作戦」の「根本原因」と名指し批判している。最近も、BRICSらグローバル・サウス首脳が参加を表明しているモスクワでの戦勝記念日式典を前に国営テレビで演説(5月4日)し、「特別軍事作戦の背景には、ソ連崩壊後に米欧が『1インチの約束』を破ってNATOをウクライナに拡大し、ロシアまで破壊しようとしたことがある」と改めて言及した。

 前掲書で詳細に紹介したが、「1インチの約束」は1989年12月に「冷戦の終結」を宣言する際、NATO東方不拡大をブッシュ大統領(父)がゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に約束したことを指す。バイデンはとぼけ、プーチンの怒りに油を注いだが、このエピソードと「ソ連復活を望むのは脳がないが、ソ連を貶めるのは心がない」とのプーチンとの言葉を併せ考えると、彼の心の底が見えてくる。レーニンやスターリンの銅像や名称を復活させ、同年配の習近平主席と「もっとも親密な同志」と固く握手を交わすのは、一つのストーリーで繋がっているのである。

 トランプ2.0はどうだろうか?石破政権は何とか「尖閣は米日安保条約第5条の対象」との言質を得ようとしたが、取り付く島がない。対中強硬派のウォルツ大統領補佐官(国家安全保障担当)に一縷の望みをかけたが、突然更迭され、国連大使に左遷されてしまった(5月1日発表)。情報漏洩問題が原因と報じられたが、それほど単純ではない。
 ウォルツ更迭翌日、総額7兆ドルの2026年度政府予算「予算教書」が発表されたが、USAID解体など対外支援関連予算大幅削減だけでなく、軍縮志向がクッキリ姿を現した。国防費(約1兆ドル)は13・4%増となったものの国境管理関連や防衛システム構築・強化が主眼となり、予算編成を行う上下院多数派の共和党議員からも「国防費が足りない」とブーイングが出ている。さらにヘグセス国防長官は5日、大将クラスの幹部職2割削減など米軍をスリムにする組織再編案を発表した。米欧州軍とアフリカ軍の司令部統合が検討課題となり、在日米軍も例外ではないとされる。自衛隊統合作戦司令部が今年3月に発足したが、それに対応した在日米軍の統合軍司令部発足は極めて難しくなった。日本側は自衛隊と在日米軍を統合的に指揮する同司令官に大将を求めていたが、事実上、反故にされたからである。
 トランプ⒉0が民主党のオバマ政権の対中国関与政策から米建国以来の国是である孤立主義(モンロー主義)へと回帰していることが今や誰の目にも明らかになりつつある。米国寄りの旗印を鮮明にし、その軍事力を頼んで中国に対抗しようとした日本の防衛族への打撃は計り知れない。バイデン前政権に求められるがままに南西諸島(沖縄)に自衛隊基地を増設し、対中の前線基地構築へとシフトしているが、二階に登らされて梯子を外されたに等しい。
石破首相は「最大の対米投資国で同盟国でもある日本をほかの国々と同じ扱いにしていいわけがない」と国会答弁で繰り返すが、いつまでも過去形にこだわっても詮無きことである。そもそも日本の防衛族には当初から大いなる勘違いがあった。基地を提供する代わりに在日米軍が日本を外敵から守るとするのが日本人一般が慣らされてきた常識的考え方だが、米国側には当初から別の狙いがあった。それを端的に表したのが、スタックポール在日米海兵隊ヘンリー司令官の「瓶の蓋」発言である。「もし米軍が撤退したら、日本は軍事力をさらに強化するだろう。誰も日本の再軍備を望んでいない。我々(在日米軍)は(日本軍国主義化を防ぐ)瓶の蓋なのだ」(1990年3月27日付ワシントンポスト)と述べたのだが、旧敵国への警戒心が日本降伏から45年経っても消えていない。永久に消えない太平洋戦争の歴史なのである。実はバイデンも副大統領(当時)も安倍首相が靖国神社を参拝したことに激怒し、警告文を送りつけて震え上がらせた。日本の再軍備・軍拡は反中包囲網構築と対ロ制裁など、あくまでも米国に従う限りにおいて許してきたのである。
 軍事から経済にシフトしているトランプ大統領なら、想像しても余りある。「日米安保条約が片務的」と強調し、在日米軍駐留費の大幅増(おそらく全額)を求めるのはそういう意味である。とはいえ、双務的化して米国を守ってくれなどとは爪の先ほども考えていない。陸軍幼年学校に通い、「リメンバー パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」と聞きながら育ったトランプの頭の中には、米国が旧敵国の日本を一方的に守ってきたのだから、これまでの負担もすべて有償化して見返りを求める打算が渦巻いているだろう。バイデン前政権によるウクライナ支援を全額有償化し、回収を図っている発想と根は同じである。「日本は米軍に基地を提供し、多額の在日米軍駐留費を負担する。米国の世界戦略やアジア太平洋地域の平和と安定を図るうえで、米国の利益をなっているはずだ。トランプ氏の偏った認識をただすことが先だ」(4月16日付朝日新聞社説「日米関税交渉 迎合を排し再考求めよ」)との声は、馬耳東風でしかない。

 日米同盟の旗印が褪せるほど日本の軍拡色が露になり、「日本軍国主義復活」批判にもろにさらされる構図になっている。おりしも今年、第二次世界大戦で日本に勝利した連合国は「対日戦勝記念日」80周年を迎える。中国は「抗日戦争勝利記念日(9月3日)」を、ロシアも「軍国主義日本に対する勝利と第二次世界大戦終結の日」をともに祝い、日本への風当たりが強まることは必至である。米国でも「勝利の日(Victory Day)」として記念行事が行われてきたが、ウクライナ戦争で冷めていた。偉大な米国を記念する「Victory Day」に敏感なトランプ復活で今年は旧連合国と過去の栄光への記憶と縒りを戻し、パールハーバー国立記念館のあるハワイを中心に戦勝記念気運が盛り上がるだろう。
 広く世界に目を転じれば、第二次世界大戦終結80周年は国際的にも関心が高まり、4月末に開催されたBRICS外相会議においても重要議題の一つとして取り上げられた。中印はパキスタンも絡んだカシミール国境紛争で対立したが、習近平主席とモディー首相が昨年10月にロシア西部カザンで会談するなど同じBRICS(ロシア、中国、ブラジル、インド、南アフリカ)の誼みで関係修復へと動いている。
 ウクライナ戦争で完全に主導権を握ったプーチン大統領はウクライナとの三日間停戦を一方的に発表し、5月8日からモスクワ「赤の広場」で「大祖国戦争勝利(ナチス・ドイツ戦勝利)80周年記念式典」を盛大に催す。ブラジル紙「ブラジル日報」(5月5日)などによると、ルーラ大統領夫妻が参加する。習近平主席らがすでに参加を明らかにしており、ロシア、中国、ベトナム、キューバ、ブラジル、ベネズエラ、エジプト、スロバキアなど29カ国・地域の首脳が一堂に会することになる。ルーラ大統領はモスクワ訪問後に北京を訪れ、中国とラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)との第4回首脳会議に出席する。BRICS+グローバルサウスを源流とする新潮流がポスト米国へと怒涛の如く流れ始めているのである。

 ポスト米国の世界はどんな世界か、世界の主たる関心はそこに向かい始めている。
 グローバリゼーションを主導し、世界を席巻した米資本主義は矛盾と限界を露出している。低賃金を求めて世界中に製造業が進出し、大量の製品を逆輸入して豊かな社会を築いたが、国内の労働者階級は仕事を失って没落し、巨額の貿易赤字や経常収支の赤字は国家財政を圧迫した。財源確保のために国債への依存度が急速に高まり、2024年の米国の政府総債務残高対GDP比は121%に達した。因みに、日本は237%、中国88%、ドイツ64%、韓国52%となる(いずれもIMF統計)。
 バイデン政権は富裕層への増税で対応しようとしたが、「リバタリアン(自由至上主義者)」の富裕層や、アマゾン、アップル、メガなどグローバルなテクノロジーで巨万の富を築いたテックリバタリアンが反発した。貪欲な利己主義集団であり、カリブ海のバハマに節税、脱税のためのタックスヘブンを作っている。大統領選では減税を公約にしたトランプにこぞって巨額の政治献金をした。米国では政治献金の上限が撤廃され、カネ次第の金権選挙が横行している。政治献金額でバイデン=ハリスを圧倒し、念願の大統領の地位に復帰したトランプは、富裕層の利益の代弁者になるしかない。減税は自分を応援してくれた富裕層への対価なのである。
 「MAGA」に陶酔し、“アメリカンドリームよもう一度”と熱狂してトランプの大票田となった一般労働者や中小農家に報いるには累進課税復活による財源確保と富の再分配が不可欠であるが、自身も大富豪であるトランプにその発想はない。財源を外に求めて相互関税を吹っ掛ける禁じ手に手を出した。戦後のアメリカ経済躍進を支えた自由貿易主義の旗を自ら降ろし、国際経済の中心から脱落しているのである。
 国内では「1%VS99%」の対立、階級対立が激化し、内戦か選挙か、いずれにしても主要矛盾が臨界点に達した時点で社会革命へと移行していくだろう。世界初の資本主義国である英国でも二大政党制が崩壊し混乱を深め、資本主義システムが経年劣化で寿命を迎えていることを示唆している。カール・マルクスは「共産党宣言」で「ヨーロッパを共産主義の亡霊が徘徊している」と予言したが、最も発展した二大資本主義国で同時進行的に社会主義革命が起きるのか、世界が固唾を呑んで見守っている。

 米市場を閉ざされた世界中の製品が新たな市場を目指して流れ、市場の奪い合いが新たな貿易戦争、関税戦争に発展しかねない。その調整役がいるとしたらGDP世界トップをうかがう中国だろう。実質GDPはトップになったが、一人当名目GDP(IMF2024年統計)では13,313ドル(実質27,092ドル)の中所得国レベルの 世界74位でしかなく、米国85,812ドル、韓国36,128ドル、日本32,498ドルより低い。そのギャップを埋めるべく、「中国製造2025」で重点10分野を定め、急速に世界シェアを拡大している。電気自動車、造船、太陽光パネルは6~8割を占め、半導体、AIロボットなどが続き、「ほとんどの分野で技術の最先端に達しつつある」(ルビオ国務長官)と米国も一目置かざるを得ない。
 トランプ政権は習政権相手に1ヶ月以上も100%以上の関税を掛け合って世界をハラハラさせたが、「望んでいるのは公正な貿易だ」(ベッセント財務長官)とトーンダウンして対話を呼びかけ、何立峰副首相とスイスでの会談(5月10,11日)に漕ぎつけた。中国商務省は「米国側が対話を望んでいるが、内政不干渉の原則的な立場を曲げてまで合意を求めることはしない」と強気を崩さない。米国債売却という切り札があるからにほかならないが、中国も相当な返り血を浴びることは覚悟しなければならない。
 中国の最大の強みは、「平等に豊かに」と貧困撲滅を最大の国家目標に定め、米国と逆に社会分裂、階級対立の芽を摘んでいることにある。「平等に貧しかった」毛沢東時代の混乱から脱するために経済成長に力点を置き、資本主義の競争原理を取り入れた改革開放政策を押し進めた。「富むものから先に富む」先富論でパイの拡大を優先したため一般国民の社会保障や年金制度が疎かになり、格差が拡大したが、習近平政権発足と共に修正段階に入った。最近も共産党中央政治局会議(4月25日)で「中低所得者の収入を引き上げることで消費を高め、経済成長を刺激する」との方針を改めて確認した。

 不動産バブル崩壊で1990年以降の日本と同じ長期停滞の時代に入ったとの観測が日本ではしきりに流されているが、本質を見逃している。中国では土地はすべて国有地で、私有権は賃借権に制限されているので傷口は限定され、修復は十分に可能である。中間層没落で国内が四分五裂し、ニューヨークなど大都市にホームレスが溢れる米国を横目に見ながら、「平等に豊かな」社会主義を目指す自己の体制に日々、手応えを感じている。米国との体制競争に自信を深めているのである。

 習近平政権を米国の脅威と認識したのが、バイデン大統領であった。旧知の間柄であるだけに、社会主義回帰志向が読み取れたのである。「唯一のライバル」とみなし、高度成長路線をひた走る勢いを削ぐために一方で「全体主義」、「専制主義」批判を強めてイデオロギー的に孤立させ、他方で国営企業優先や補助金制度を批判し、あえて自由貿易主義に反して中国へのグローバル供給網のデカップリング(切り離し)を同盟国をはじめ各国に広く求めた。応じない国には制裁までちらつかせた。また、国内では各種補助金、支援金で自国企業への梃入れを強め、内需拡大の財政出動を重視した。皮肉なことに、いずれも国家主導の計画経済を旨とする社会主義・中国が行っていることである。
 ミイラ取りがミイラになるという言葉があるが、バイデン政権に限らず歴代米政権は程度の差こそあれ社会主義的な計画経済を取り入れてきた。「大きな政府」であるが、その系譜を遡ると、ルーズベルト米大統領の「ニューディール政策(1930年台)」に辿り着く。需給のアンバランスが引き起こした大恐慌を克服するために「小さな政府」と決別し、社会主義計画経済に倣って財政・金融政策を連邦政府の経済政策の柱に据え、有効需要を喚起したのである。それを理論化したのがケインズ経済学であるが、累積債務増加というアキレス腱を抱える。バイデン政権になってその限界が露になり、トランプ2.0が「小さな政府」への回帰を図っているが、前途多難である。
 計画経済のノウハウと実践面、理論面で一日の長があるのが社会主義現代強国に照準を絞った中国である。必要とあれば何の躊躇なく富裕層にも累進課税を課せられるのが資本主義国・米国にない強みであり、その存在感と影響力は強まることはあっても、もはや逆はないとみるべきであろう。最も望ましいのは軍事増強ではなく、経済政策中心の平和的な体制競争であるが、全人類にとって幸いなことに、G3形成の労を取っているトランプ⒉0はその意味では合格点に達している。

 そうした世界の新流を踏まえて日本政治の現状を俯瞰すると、「中国を念頭に」と軍拡に走る時代錯誤の蒙昧性が浮き上がる。国連憲章が定める「旧敵国条項」の罠に自ら陥り、「日本有事」時計を早めているようにすら映る。
 国連憲章第53条と第107条が定める「旧敵国条項」は旧敗戦国(旧枢軸)の日本とドイツに軍国主義やナチズム復活の動きがみられた場合、国連加盟国に軍事的な先制的予防措置を講じる権利を認めている。旧敵国条項はすでに無効になったと軍拡論者は言い張るが、ためにするフェイクニュースでしかない。それは今も厳存し、有効である。同条項については1995年の国連総会で削除が決議されたが、肝心の安全保障理事会の同意を得られなかった。常任理事国の中国、ロシアなどの賛同を得られる見込みがなかったため討議にも伏されず、削除決議は立ち消えとなった。日本の防衛費倍増計画で露骨に「敵基地攻撃能力(反撃能力)」保有の標的にされた中国やロシアがいつまでも座視することはありえず、共同の対日軍事行動に踏み切る可能性が日々高まっている。「旧敵国条項」発動に国連総会や安保理事会の承認は不要で、事前もしくは事後通知で済むとされる。
 自衛隊が戦力保持を禁じた憲法9条違反であることは、子供の目にも明らかである。ストックホルム国際平和研究所の統計によると、2024年の日本の軍事費は前年比21%増の553億ドルで世界10位であった。米国5・7%増9970億ドル、中国7%増3140億ドル、ロシア38%増1490億ドルの後を猛髄し、いつのまにか世界有数の軍事大国である。防衛費と言い換え、日米同盟の旗で何とか隠してきたが、憲法9条とともに旧敵国条項違反はもはや隠せない。たとえ日本国会で自衛隊容認の憲法改悪がなされても、国際法上は国際社会が認めたことにはならず、むしろ軋轢は強まるだろう。

 日米安保条約との関連性が浮かび上がるが、国際法上は国連憲章が定める「旧敵国条項」が上位規範である。中露とのG3路線に舵を切ったトランプ2.0がデメリットばかり目につく日本支援に動くとは考えにくい。自衛隊の統合司令部急設により在日米軍司令部の支持を得ようとしても、バイデン前政権時代の話だと言われればそれまでである。動いたとしても、せいぜいウクライナ戦争に倣った「代理戦争」の範囲内、間接支援にとどまるであろう。
 米国に見捨てられれば、中国軍相手に自衛隊の勝算はゼロに近い。日本周辺で中国軍との海空合同訓練を頻発に行っているロシア軍まで加われば最前線は沖縄から北海道まで日本列島全体に広がり、絶望的である。敵の中枢部を叩くのが古今東西、戦略戦術の基本である。あってはならないことだが、日本有事が勃発すれば東京都心の市ヶ谷の防衛省など日本全国の自衛隊基地・関連施設が2千発超といわれる中国の中距離弾道ミサイルの主要標的となるだろう。

 迫り来る危機的な状況は日本国民の意識にも影を落とし始めた。前掲朝日世論調査では「日本を巻き込んだ大きな戦争」の可能性について「ある」が62%と大多数が不安を感じ始めている。その原因と関連して「中国は脅威」を感じるが3割に上るが、「日本は日米安保体制の下で平和を享受してきた。侵略、植民地支配への謝罪はもう不要」と主張する一部言論が影響しているのであろう。そのまま突っ走れば戦前回帰であるが、幸いにして、9条改正反対が「56%」と歯止めがかかっている。国際的にも「9条を中心とした戦後の憲法が平和と繁栄に大きな役割を果たした」(グラック米コロンビア大教授 朝日新聞耕論4月22日)と9条を評価する声が根強くあり、激しく揺れる国際社会の未来を照らし、新たな希望をもたらす普遍的な規範へと高める頼もしい動きも出てきている。
 日本有事を避ける最大最良の道は、平和憲法の原点に戻って周辺諸国との友好を回復することである。日本国憲法は一国平和主義ではなく、前文で国際協調主義を定めている。憲法9条が旧敵国条項と連動しながら日本軍国主義復活への歯止めになった事実にも、改めて思いをはせるべきであろう。

 問題は、懲りない為政者たちである。9条形骸化をなし崩し的に進め、最高裁も傍観、追認する重大な法制度的欠陥を露呈してきた。同じ旧敵国条項対象のドイツではありえないことで、基本法には排外的な右翼過激主義を取り締まる原則が規定されて連邦憲法擁護庁が監視の目を光らせる。最近もウクライナ戦争の影響で混乱する世論を言葉巧みに引き付け支持率を伸ばしている「ドイツのための選択肢(AfD)」を民族主義的な価値観の「右翼過激派」に指定し、監視対象とした。日本では、自衛隊幹部がGHQから解体の対象にされながら生き残った軍国主義の象徴・靖国神社に宮司として天下りし、幹部たちが集団参拝しているが、国会も司法も言論も見て見ぬふりである。

 他方のドイツでは現在も「アウシュビッツ」大虐殺に関わった戦犯追及が続く。外交にも自制が働き、英仏がウクライナへの平和維持軍派遣を検討してもドイツは否定的で、旧敵国条項が定める一線は越えない。
 2019年6月、ドイツ統一、ソ連崩壊後30余年のベルリンを再訪した。市内は依然と同じ伝統的な建物が多い落ち着いた佇まいで、東京のようなコンクリート高層建物は見当たらなかった。ベルリン中心部のブランデンブルク門近くで新たに作られたホロコースト記念碑を見つけ、灰色の棺に似せた無数のオブジェの記念碑に頭を垂れた記憶が昨日のように蘇る(日刊ゲンダイ連載「アホでも分かる日韓衝突の虚構」https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258327参照)。
 翻って、ドイツと同じ旧戦犯国の日本では、靖国神社はあっても中国、朝鮮などへの侵略責任を記念する碑が一つでもあるだろうか。日本政府は戦後50年の村山首相談話(1995年)で「植民地支配と侵略」を謝罪し、戦後60年の小泉談話(2005年)では村山談話を踏襲しながら「我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年」と新たな決意を示した。ところが、戦後70年の安倍談話(2015年)では「植民地支配」や「侵略」に言葉を濁し、「謝罪外交」に区切りがついたとして事実上、戦争責任への反省と謝罪を否定した。オバマ大統領が習近平主席と「米中新型大国関係」構築で一度は合意しながら反故にし、米中対立が表面化した間隙を巧妙に突いたのである。平和憲法の下で繁栄を享受した日本の戦後は、そこから戦前回帰もどきの軍拡に走り、坂を転げ落ち始めた。
 今年は戦後80年、新しい世界秩序形成に日本も否応なく加わる。いよいよ石破首相の出番だ。自民党内には談話発表に否定的な意見が強いと伝えられるが、時局を見据えた大局的な判断が求められる。いつか来た道ではないが、大本営(旧日本軍最高統帥機関)の独り善がりな侵略戦争に動員され、地獄に落ちた戦前の愚を繰り返してはならない。広がる一方の旧被害諸国と日本との歴史認識のギャップを埋め、無謀な軍拡路線にブレーキを掛けられるか、待ったなしである。そこに日本の運命が掛かっていると言っても過言ではない。

3 石破首相の選択 “バイデン構文”の呪縛から脱し、自主的な日朝国交正常化交渉に踏み出せるか

 私は特別顧問を務める東北亜未来構想研究所(INAF)の政策セミナー(3月21日)で「北朝鮮に情報戦で決定的に負けている日本の選択を問う 無条件国交正常化が正解」とのテーマで諸賢との討論に参加し、アドリブで語った。本論考の趣旨に合致すると思われるので、それを以下に要約、再現する。

 『米露首脳の電話会談で動き出したウクライナ和平は第2次世界大戦後の国際秩序を根底から変えつつあり、その影響は東アジアに確実に及んでいる。トランプ2.0が就任演説直後の記者会見で「金正恩氏とは親しい。彼はニュークリア・パワーだ」と公言したのは第4次首脳会談を見据えたメッセージであり、年内に行われても何ら不思議ではない。
 歴代日本政府が日朝国交正常化交渉の最優先課題に掲げた拉致問題について言えば、小泉首相の電撃訪朝から20余年、安倍首相以降の歴代首相は「早期に解決」といい続けてきたが、仮に明日実現したとしても遅すぎる。そうした情緒的な日本的構文は朝鮮側には理解し難いし、国際社会もそうであろう。その意味で、石破首相が「無条件対話」と呼びかけ、東京、ピョンヤンに連絡事務所設置を提唱したことは時宜にかなっている。
 私がこの場を借りて強調したいのは、日本側の朝鮮への決定的な認識不足である。先ほど美根・元日朝国交正常化交渉日本政府代表が「北朝鮮に変化の兆しが見える」と指摘し、和田・東大名誉教授が「日本政府の早期対応」を促した通り、朝鮮は変化しており、新たなアプローチが求められている。
朝鮮側は国際ニュースやSNS情報などを通じて日本の状況に精通しているが、残念なことに日本側は朝鮮の現状に関してほとんど分からない。一次情報を欠いた憶測、邪推ばかり飛び交い、情報戦ですでに負けているのである。
 日本では朝鮮経済は崩壊状態との“常識”がまかり通っているが、実態はどうか。戦後日本経済が朝鮮戦争特需で高度成長時代への入り口に立ったように、また韓国がベトナム戦争特需で上昇のきっかけを作ったように、朝鮮経済はウクライナ戦争特需で急上昇中である。ロシア軍、ウクライナ軍双方が弾薬枯渇に苦しみ、前線が膠着する中、朝鮮はロシアに大量の弾薬・ミサイルを供給し、ウクライナ軍が越境奇襲攻撃したロシア西部クルスク州への1万余の精鋭部隊派遣で多大な貢献をしたとロシア側から評価されている。それらは軍事的には朝ロ同盟復活強化となっているが、すべて有償である。膨大な原油、小麦粉、外貨を朝鮮にもたらし、金正恩政権が満を持して始めた「経済5カ年計画」(2021年〜)に弾みをつけている。
 朝鮮の国際的存在感は否応なく高まっている。バイデン前政権は朝鮮のロシア支援を繰り返し非難したが、言葉を変えれば、無視出来なくなったということである。「バイデンの戦争」と非難していたトランプ大統領が「金正恩総書記とは親しい」と強調するのは、バイデンへの単なる当てつけではない。ロシア、中国、韓国、さらに日本とのディールで用いる有力な隠しカードと考えているのである。

 来る朝米第4次首脳会談はトランプ大統領が「彼はニュークリア(核保有国)」と認定している以上、核軍縮会談となるしかない。トランプは箍が緩んだ従来のNPT体制の枠を超え、三大核超大国である米露中の核軍縮を呼び掛けている。新G3主導の実質的な非核化を進めるということであり、金正恩との軍縮会談はその試金石となろう。
 それは朝米国交正常化へと進むしかないが、驚くには値しないし、唐突な話でもない。30余年前の朝鮮南北と米日、中ソによるクロス承認の積み残しが、遅ればせながらようやく精算されるということである。
 トランプ外交に対して日本では感情的、衝動的との見方が支配的だが、一面的である。トランプは政界入りする前にキッシンジャー元国務長官の私邸を訪れ、リアルポリテックスを私淑した現実主義者でもある。それが「価値観外交」なる非現実的なイデオロギー偏重で自滅したバイデン前大統領との決定的違いと言えよう。キッシンジャー大統領補佐官(当時)が1972年に北京を電撃訪問し、長く敵対していた米中国交正常化の道を開き、ノーベル平和賞を受賞しているが、トランプがノーベル平和賞を口にするのはその朝鮮版を思い描いているからと考えられる。第3次会談では板門点の38度線を金正恩と共に越えたが、ピョンヤン電撃訪問も十分にありうる。
 朝米国交正常化がなれば、日本中が蜂の巣をつついたような混乱に陥るだろう。石破首相はむざむざ後塵を拝するのではなく、日本外交の自主性を発揮する先見の明を持つべきではないか。トランプの向こうを張った電撃訪朝など斬新なアプローチを試みる必要があろう。歴史に名を残すチャンスは、今しかない!』

 日朝国交正常化を前面に掲げる政策セミナーは昨今、珍しくなってしまったが、以上の討論はそれなりの手応えを感じた。いよいよと次の手を準備し始めた矢先、にわかに雲行きが怪しくなった。石破首相がトランプ大統領の相互関税対策に忙殺され、訪朝の動きは音沙汰なしとなってしまったのである。

 石破首相は、同盟よりも貿易赤字と実利を優先するトランプスタイルに「日米同盟を基軸とする防衛政策の根底が揺らぎかねない」と危機感を募らせる。「安保と経済は別物」と予防線を張り、米側の真意を探るために腹心の赤沢経済再生担当相を特使格でワシントンに送り込んだ。
 だが、トランプ2.0の覚悟を見誤っていた。ベッセント財務長官らとの会談がセットされていた当日(4月16日米現地時間)、トランプは機先を制するように飛び入り参加し、日米財務相会談直前に赤沢との通訳だけの一対一の面談に臨んだ。事前に自身の交流サイト(SNS)に対日交渉でテーマになるのは「軍事支援の費用」と投稿し、釘を刺していた。トランプ1.0で従来の3倍超の年間80億ドルの在日米軍駐留経費負担を要求していただけに、赤沢はどこまで吊り上げてくるかと戦々恐々とした。日本側は面談の詳細を伏せるが、口に戸は立てられない。トランプは赤沢に面と向かって「在日米軍経費の日本側の負担が不足している」と指摘し、非関税障壁撤廃を強く求めたことが明らかになっている。卒のない元官僚の赤沢はMAGA帽を被ってひたすら恭順の姿勢を示し、会談決裂という最悪の事態だけは免れた。トランプは一週間後(24日)、安全保障問題は「ディールの対象にしない」と石破の顔を立てたが、対日貿易赤字ゼロの満額回答を諦めたわけではなく、対案が求められる。
 手練手管のディールの達人は変顔をかまし、アドリブで意表を突き、ここぞとカードを切る。「米国産の自動車、農産物が日本で売れていない。貿易赤字をゼロにしたい」と非関税障壁をターゲットに厳しい注文を付けた。手っ取り早いと目を付けたのは農産物自由化、とりわけコメである。石破政権内では主食用米の輸入の上限拡大論が出ているが、たかだか数万トンでは到底満足しない。米国は工業部門では製造業を失ったが、依然として世界有数の農業生産国であり、トランプ再選の有力な票田となった中小農家は輸出先を強く求めている。日本でコメ価格が従前の倍で高止まりしていることに目を付け、不透明な流通システムと食料品高騰に苦しむ日本の消費者を味方にして、廉価な米国米を大量に売り込む高等戦術を仕掛けてくる可能性が十分にある。
 国内政治からみで一歩も引けない事情は石破も同じで、コメ自由化は経団連と並ぶ自民党最大の支持基盤である農協(JA)=農家を失いかねない鬼門である。コメの自給体制を壊すようなことがあったら、たちどころに自民党は政権の座から転げ落ちる。とはいえ、中露との緊張関係が日増しに高まる中、最大の味方と信じてやまない米国との対立はあってはならない。「世界のモデルになりうる。可能な限り早期に合意し、首脳間で発表する」(参院予算委4月21日)と覚悟のほどを披瀝したが、戦後積み上げてきた「強固な日米同盟」を揺るがす現実の壁は想像以上に厚く、高い。

 伏兵の出番となる。4月24日にワシントンでG20財務相・中央銀行総裁会議が開かれ、その合間に加藤財務相はベッセント米財務長官と個別会談した。為替問題が米側の要求で日米関税交渉の一部に組み込まれていたが、前日にベッセントは「通貨目標はない」とドル高円安是正の要求はしないと注文を付けていたが、会談後、険悪な表情を隠さなかった。一体、何があったのか。加藤は帰国後、日本が保有する米国債について「(交渉の)カードとしてはあると思う」(テレビ東京5月2日)と述べた。米国債売却という「米国の例外主義」を脅かす天下の宝刀をちらつかせ、ベッセントに関税問題で譲歩を迫ったのである。
 G20財務相・中央銀行総裁会議も米国との個別交渉を優先する各国の思惑で足並みが乱れ、共同声明をまとめられなかった。どさくさに紛れて、というわけでもないが、強気に出た加藤が脳裏に浮かべたのは円高ドル安に誘導したプラザ合意とみられる。円高ドル安は輸出を増やしたいトランプが望むことでもあると、深謀を巡らせたのである。しかし、当時の日本はGDPが世界の15%、貿易黒字は10兆円規模と絶頂期であった。現在は4%前後と縮小し、貿易赤字が3年以上続き、米国を脅かす世界二位の経済大国の地位を中国に取って代わられて久しい。日銀のマイナス金利もしくはゼロ金利が外資の円買い→円高をもたらしていた最中の米国債売却は円高ドル安どころか内外市場を混乱させ、米国債とドルの信認度に致命傷を負わしかねない。無論、日本経済も巻き添えになる。
 そうして迎えた2度目の日米交渉(5月1日)に、関税の対象から日本製品の除外を求めるミッションを帯びた赤沢経済再生担当相が満を持して臨んだが、出迎えたベッセント財務長官の表情は厳しい。会談に入ると、「日本だけ特別扱いしない。(7月上旬まで90日間一時停止中の)相互関税の上乗せ分14%以外は交渉の対象外である」と通告した。一律の10%関税、鉄鋼・アルミニウム製品・自動車への25%の追加関税はそのまま適用される。「見返り」を示さなければ何も進まないと、関税、非関税障壁、政府の補助金、通貨問題と例外なくすべてが俎上に載せられ、さらなる譲歩を迫られた。
 すごすご帰国した赤沢は、「ゆっくり急ぐ」と憔悴した表情で記者団に語った。石破もその名言(迷言)を共有するしかなかった。意訳すれば、二進も三進も行かなくなったとなる。はたして、アジア開発銀行(ADB)年次総会などに出席するためミラノを訪れていた加藤財務相は記者会見(4日)で、「日本政府が保有する米国債の売却を対米関税交渉の手段とはしない」と前言を撤回した。

 石破首相は「安保と経済は別物」との持論を封印するしかなくなった。実は、米国は過去の貿易摩擦でも相互関税を多用している。貿易障壁を置く国家への制裁措置として位置付けているのである。その意味で、日本が自国だけの除外を期待して譲歩を申し出ても通じないことは自明であった。報復関税で正面切って応酬しているのは米国の同盟国ではカナダくらいだが、「51番目の州」と属国扱いされたカナダ国民の間で反米感情が急速に高まり、カーニー新首相も無視できなくなっている。日本でも嫌米感情が静かに高まっており、石破首相も安閑としてはいられない。
 党首討論(4月23日)で野田・立憲党首から突っ込まれた石破首相は、日米安保条約見直しについて「議論を深める必要がある」と一転、安保と経済を連動させる意向を示した。改憲についても「独立主権国家とは何か、憲法の議論をしていかなければならない」と前のめりになった。トランプ大統領が日米安保条約の片務性解消を求めたと理解し、集団的自衛権と自衛隊を憲法に明記する腹積もりのようだが、藪蛇となりかねない。軍縮志向のトランプの真意が片務性解消と双務性導入にあるとは言えないからである。

 石破政権をさんざん翻弄したトランプ大統領は政権発足100日記念集会(4月29日)で、「歴代で最も素晴らしい100日」と自画自賛し、聴衆を熱狂させた。今やハリウッドスター顔負けのスーパー・エンターテイナー、「口髭の独裁者」を巧みに演じた喜劇王・チャップリン顔負けである。不法移民や合成麻薬流入を防ぐ国境対策を成果と誇り、「関税で製造業を復活する」と吠えると聴衆は熱狂した。50%を切った支持率を反転させるには、関税しかない。17カ国に的を絞り、とりあえず日本、英国などから大幅な譲歩を勝ち取り、年末に予定される減税の財源に充当する魂胆である。
 しかし、その前途は厳しい。米商務省速報値(4月30日)によると、今年1~3月期の実質GDPは年率換算で前期比0・3%減、3年ぶりのマイナス成長であった。駆け込み輸入が増えたことが主因だが、自由貿易を基盤とする国際貿易構造が激しく軋んでいることをうかがわせる。関税が産業空洞化や雇用の不安定化に苦しむ米国産業へのカンフル剤となるか、神のみぞ知る。

 欧州は報復を示唆しながら、安保と貿易問題を切り離そうとしている。石破首相はそれを参考にしたいが、安保で米国への依存度が高い日本には難しい。成すべきか成さざるべきか、と揺れる石破の足を引っ張る事件が起きた。
 中谷防衛相の「シアター(戦域)」発言である。朝日新聞(4月15日)によると、自衛隊を一元的に指揮する統合作戦司令部が発足した直後に訪日したヘグセス国防長官との会談(3月30日)で「日本はワン・シアター(一つの戦域)の考え方を持っている。日米豪、フィリッピン、韓国などを一つのシアターととらえ、連携を深めていきたい」と伝えた。「シアター」は戦時に一つの作戦を決行する地域を指す軍事用語とされる。中谷は「ワンシアター」を東シナ海、南シナ海、朝鮮半島を結合させる地域との認識を示し、「中国を念頭」に「トランプ政権下ではインド太平洋地域を日本がより一層引っ張っていく役割を担わないといけないと考えている」と大見えを切った。その意味するところは、尖閣諸島(釣魚島)領有権で対立を深める中国に対抗するため米豪韓台の力を借りようということだろう。同紙によると、「自衛隊・防衛省幹部が考案」したというから、制服組に吹き込まれた危うさが伴う。自衛隊へのシビリアンコントロールの箍が外れているとの批判はむべなるかなである。いつか来た道ではないか、元自衛官の防衛相は旧日本軍の青年将校のような跳ね上がり組みに操られているのではないか、との疑念が湧き上がる。
 ヘグセスは中谷に「日本は最前線に立つことになる」と激励するようなことを口にしたと同紙は報じるが、額面通りに受け取ることはできない。ブルームバーグ(3月31日)の配信記事「ヘグセス国防長官は2度の外遊を通じ、米国の同盟国に大きく異なるメッセージを発した」によると、口先が達者な元FOXキャスターは二枚舌を弄するのを厭わないようだ。2月の訪欧時には欧州各国の国防相にNATOの欧州勢は米国の軍事力を頼りにロシアを牽制していると容赦なくこき下ろし、「もはや容認できない」と、ボスの持論であるNATO不要論を彷彿させる一言を発した。ウクライナ軍が奇襲越境攻撃したクルスク州隣接のウクライナ領スムィをロシア軍が空爆した際、G7が弾劾の共同声明を準備したが、反対して霧散させている。
 一転、アジア歴訪では中国の圧力に抵抗していると日本、フィリピンを持ち上げた。中谷には「緊密に協力していきたい」とエールを送り、自衛隊新設の統合作戦司令と「緊密に連携する」と力を込めた。中谷は「トランプ⒉0はアジアにシフト」と喜び、そのノリで「ワンシアター」発言が飛び出したと読める。しかし、それほど単純な話ではない。ヘグセスの腹の底は、安保と関税を結び付けることに拒絶反応を示す石破を揺さぶり、日本側から最大限搾り取ることにある。
 トランプ2.0初の「予算教書」では国防予算を削り、高級幹部対象の人員削減まで進めており、在日米軍の統合司令部創設どころか、縮小・再編もありえる。それが見えない中谷防衛相は記者会見(4月15日)で2025年度当初予算の防衛費と関連経費の合計が2022年度のGDP比で1・8%になったと明かし、「安保関連3文書に基づく取り組みが着実に進展している」と胸を張った。世界の空気が全く読めない自衛隊出身の防衛相、大丈夫かと心配になる。

 中谷防衛相の「ワンシアター」発言を聞いて、韓国では「ミチン ソリ(クレージー)」と一掃する声が圧倒的に多い。そもそもバイデン前政権下で進められた在日米軍と自衛隊の統合司令部創設による指揮の一元化は、韓国の常識に反する。韓国軍の平時作戦統制権は2015年に韓米連合司令部から韓国軍に移管され、戦時作戦統制権についても韓米連合司令部の司令官を韓国将官が占め、米側が副司令官に下がる形で返還する協議が仕上げ段階に入っている。日本では逆のことが行われているわけで、中国を主敵にした指揮系統に韓国まで巻き込むのではないかと危惧する声が少なくない。ユン前大統領が自衛隊との協力関係についても独断専行の批判が強く、ユン弾劾罷免後は「中国との無駄な対立を扇動する」(ハンギョレ社説4月18日)と解消を求める声が圧倒的である。在日米軍と自衛隊の指揮権統合はかつての旧韓米連合司令部がモデルになっていると見られるが、時代を逆行するようなものである。
 それはある種の洗脳の結果である。東西冷戦終了と共に西ではNATO解体、東では在日、在韓米軍縮小・撤退が浮上してきたが、クリントン政権時のナイ国務次官補は「中国を念頭」に日米安保の再定義を提唱し、東アジアにおける米軍10万人体制維持を強調する「東アジア戦略報告(ナイ・リポート)」(1995年)で「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」へと主導した。軍事力や経済力のハードパワーに加え、中国などを民主化へと誘導するソフトパワーを提唱し、広くカラー革命の設計者となった。さらに、国連安全保障理事会の決議なしにブッシュ(子)政権がイラクのサダム政権を攻撃したイラク侵攻作戦(2003年)ではアーミテージ国務副長官が日本に「旗を見せろ」と同調を迫り、日本憲法9条が集団的自衛権を禁止していることを「同盟協力の妨げ」とあからさまに否定した。ナイとの超党派的な共作「アーミテージ・ナイ・リポート2024」は集団的自衛権の制約を解くよう正式に促し、安倍政権による安全保障関連法(2015年)となった。日米安保が軍事を軸にした同盟関係へと変質し、日本人の多くが慣らされてきたのだが、それを「洗脳」とショック療法を施しているのがトランプの関税外交と解釈できないことはない。イラク侵攻作戦はロシアのウクライナ侵攻作戦と酷似しており、トランプも驚いているだろう。

 いいように弄ばれてきた中国はというと、いよいよ堪忍袋の糸が切れかかっている。バイデン政権時の昨年2月に米軍と共に模擬演習「キーンエッジ」を極秘に行っていたが、自衛隊機から中国艦艇にミサイルを発射するシミュレーションまで行っていたことが最近、発覚した。中国は「我々の強大な能力を見くびってはならない。身の程知らずに軍事挑発するなら、代償を払うのは必至だ」(中国国防部報道官4月16日)と、2カ月以上前の事件に異例の重大警告を発している。日本側は「台湾有事」を想定した訓練と釈明するが、相手は「台湾有事」は嘘も方便で、直で中国を挑発したと一歩も譲らない。「代償」とは旧敵国条項に基づく先制的軍事行動と理解すべきであろう。
 中谷防衛相の一線を越えた「戦域」発言と「日本の右翼の民間機」に対する中国海警局ヘリ出動、それに今回の重大警告と中国側の対応は明らかに一貫した目的性を帯びている。「日本有事」が単なる机上のシミュレーションではなくなってきているのである。防衛省によると昨年度の自衛隊機のスクランブルは704回で、中国機66%、ロシア機34%と急増し、文字通りに中露と一触即発の状況である。昨今、「戦中」という言葉が日本でも飛び交っているが、日中両軍が衝突した盧溝橋事件(1937年)、日ソ両軍が衝突したノモンハン事件(1939年)がいつなんどき歴史の彼方から飛び出してくるかもしれない。
 おりしも対独戦勝80周年記念式典に沸くモスクワでは5月8日、プーチン大統領と習近平主席が会談し、「中露関係」と「戦勝80年」の二つの共同声明を発表した。「戦勝80年」は日本名指しで「非人道的な歴史から学び、軍国主義と完全に決別すべきだ」と警告している。プーチンは会談で「中国と共に現代のネオナチズムと軍国主義に対抗する」とし、習近平は「中国はロシアと共に世界の大国としての特別な責任を負う」と応じた。記念軍事パレードには中国人民解放軍も参加しており、中露関係は中ソ論争で対立した旧中ソ関係をしのぐ強固な同盟関係へと昇華したと考えて間違いない。
 トランプ大統領も5月8日を「第2次世界大戦戦勝記念日」と宣言する布告を出し、記者団に「我々のおかげで連合国は勝った」と記者団に述べた。G3が戦後80年の原点を確認しあったことに今日的な意義があろう。

 モスクワの軍事パレードを極東から祝賀するように、朝鮮が2カ月ぶりに弾道ミサイルを発射し、日本の排他的経済水域の外に落下した。韓国軍によると、8日朝、元山付近から東海(日本海)に向けて複数の種類の短距離弾道ミサイルが発射された。短距離弾道ミサイル「KN23」と超大型放射砲「KN25」と分析され、ロシアへの輸出を念頭に置いた性能点検とみられる。

 日本には過度に敵対心を煽る反朝派が少なくないが、朝鮮には日本を攻撃する意図は露ほどもない。何のメリットもなく、外交における対日優先順位は低下しているからである。

 また韓国との関係も相互承認を見据えた「二つの国家論」で南北の軍事境界線を国境線化して安全地帯に変えようとしている。38度線から精鋭部隊を抜いてクルスク州に派遣したのもそのためである。韓国で南北関係に融和的な新政権が誕生しようとしており、国交正常化や軍縮交渉はあっても、「朝鮮有事」はほぼ無くなった。韓国との局地戦に備えた100万以上の兵力は不要となり、陸軍大国から脱皮して海空軍中心にスリム化しようとしているとみられる。
 朝鮮中央通信(4月26日)が「5000トン級の新型多目的攻撃駆逐艦・崔賢の進水式が25日に南浦造船所で行われ、金正恩国務委員長が同規模の巡洋艦や護衛艦の建造による遠洋作戦艦隊を創設すると演説した」と報じた。過去に建造した最大のものは1500トン級であり、急速に大型化が進んでいる。新型駆逐艦は垂直発射台を備え、艦対地、艦対空、艦対艦ミサイルを搭載するとみられ、韓国国防省はイージスレーダーを備えた「北朝鮮版イージス艦」と分析している。

 金正恩は「核動力戦略誘導弾潜水艦を建造中」と明らかにしているが、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)搭載可能で排水量は5000~6000トンの原子力潜水艦と推定されている。もともと軍事技術は高く、ウクライナ戦線でのロシア支援の見返りで最新軍事技術を入手し、短距離弾道ミサイル「イスカンデル」を真似た「火星11(KN23)」を開発してウクライナでの実戦に導入されているとの情報もある。

 金正恩の「遠洋作戦艦隊」創設構想は来るトランプ大統領との会談を見据えたデモンストレーションの側面もある。型破りのトランプ大統領がディールでカードを重視することは過去三回の会談で了解済みであり、米本土を脅かす新艦隊を核軍縮会談における交渉力を高める切り札の一つとする。要求を吊り上げ、祖父、父が実現しようとした30年遅れの朝米国交正常化を一挙に成し遂げる狙いも込められていよう。
 そうなれば朝鮮の外交・安保環境は一変する。中国、ロシアの同盟関係と対米関係のバランスを適度に取りながら相互の仲介役を担うことも可能となる。祖父・金日成が一世を風靡した主体的な自主外交再現も夢ではない。

 スイスで10歳から金正恩は西側の合理主義も理解する複眼思考の持ち主であり、バランス感覚に富んでいる。軍事に偏ることなく、ウクライナ特需を起爆剤に分相応な経済強国を目指していると考えられる。私は1990年にソ連(当時)極東のウラジオストクを訪れた際、朝鮮国境に近いハサン市と、その十年前に訪れた朝鮮の不凍港・羅先を結ぶ鉄道や陸橋が開通したら地域は飛躍的に発展するだろうと思ったことがある。それが今、実現しようとしているとのニュースに接して、展望が開かれた思いがした。新潟港など対岸の裏日本との船便がいまだに再開されないのが不思議なくらいである。

 朝鮮国際旅行社(KITC)瀋陽支社に今年3月、日本担当者が赴任し、4月6日にはピョンヤン国際マラソンが開催されるなど対外開放は確実に進展している。

 石破首相が戦後80年の特別談話を出すかどうかは未定だが、「日本有事」への危機意識は強まっているようである。「核保有国に囲まれた日本の安保環境はかつてなく厳しい」との認識を繰り返し示す。朝鮮のミサイル実験のたびに鳴らされたJアラートとともに全国でシェルター建設が始まったが、「何があっても国民が傷つかない体制を早急に構築したい」(3月自民党大会)とハッパをかけた。昨年4月時点で全国に約6万(うち地下施設約4千)の「緊急一時避難施設」が指定されているが、自衛隊基地が新設された石垣島で500人収容の地下シェルター(防空壕)建設が始まると「沖縄戦の住民移動と類似」(沖縄タイムス論壇4月17日)と反発され、批判的な世論が高まっている。

 石破首相に望みたいのは戦前志向のような地下シェルター(防空壕)を必要としない合理的な外交である。今、周辺国で日本首相を温かく迎えてくれる国は朝鮮くらいではないか。石破茂・金正恩会談が実現すれば東アジアの安保、経済環境に新たな展望が開けよう。持論の「無条件日朝対話再開」を実現するのは、今である。電撃訪朝を勧める。
 日本の近代は嘉永6年(1853年)のペリー提督率いる黒舟の来航に始まるが、不幸にも反米、親米と揺れてきた。「第二の黒舟ショック」を期として、朝鮮通信使が往来していた江戸時代の戦争なき善隣友好関係の窓を開いてほしいものである。

(河信基2025年5月10日 無断転載禁)

コメント

“トランプ相互関税の狙いと新G3₊のパワーゲームの行方” への9件のフィードバック

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