ユンの“一人クーデター”とウクライナ・ドミノ現象

 それは、12月3日晩10時過ぎの大統領官邸でのハプニングであった。9時過ぎころから大統領室担当の記者たちの間で異様な情報が飛び交っていた。ユン・ソギョル(尹錫悦)大統領が緊急声明を出すというものであり、記者たちは馴染みの大統領秘書官たちに尋ねたが、だれも首を振るばかり。広報担当秘書官すら「わからない」「聞いていない」と繰り返す。しばらくして、ユン大統領が野党民主党の監査院長に対する弾劾訴追、予算減額案強行採決などに対する立場を明らかにするとの情報が流れた。同時に、有力テレビ各社の生中継が行われると伝えられた。

 大統領室の記者室が数十名の各社記者で埋まる中、それとは別のブリーピングルームでユン大統領が約6分間緊急声明を読み上げるが、これが青天の霹靂の非常戒厳令宣布。ユンは「野党が司法や行政府、国政を麻痺させた」などと非難し、「韓国国民の自由と幸福を略奪し、北韓(朝鮮)に従う破廉恥な反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と声を上げた。

 戒厳令宣布は1987年に韓国が民主化されて以降、初めてのことである。記者室は騒然となったが、錠が掛けられ動きが取れなかった。

 大統領室の警備が強化される一方、宣言と同時に発足した戒厳司令部が国会、政党の活動、集会など一切の政治活動を禁じる布告令を発表し、汝矣島の国会議事堂を封鎖しようとしたが、深夜にもかかわらず多数の市民たちがおしかけて軍の車両を取り囲み、もみあいとなった。戒厳軍兵士は心中、一般市民と共鳴し、銃も使用せずにデモ隊を傍観した。

 国会議事堂内には過半数の190人の議員が詰めかけ、翌日深夜1時の本会議で戒厳令解除決議案が出席者全員の賛成で可決され、勝負は決まった。賛成投票した議員には与党議員18人が含まれ、非議員のハン・ドンフン与党国民の党代表も一緒に見守った。

 ユン大統領は国会の決議案採択の3時間半後の早朝5時、非常戒厳令解除を発表した。国務会議の議決を尊重するというものであった。独断専行でいまさら議決尊重もないと、大統領秘書室長はじめ秘書官全員が辞表を提出した。野党はユン大統領への内乱罪適用を求める方針で固まっており、辞任か、弾劾罷免かのいずれかになろう。

 ユン大統領の深夜の非常戒厳令騒動はソウル市民と野党議員の体を張った抵抗で頓挫し、ユン大統領の弾劾訴追案が国会(定数300)で7日夜に採決される。野党と無所属議員計192人に与党議員8人が加われば3分の2の要件を満たし、弾劾案は成立し、罷免へと進む。
 前回の大統領選挙で惜敗したイ・ジェミョン(李在明)民主党代表は国民の圧倒的な支持を背景に、仮に一度否決されても再度、可決されるまで闘争を続けると宣言しており、ユン大統領は事実上のレームダックとなった。 

 弾劾罷免となれば2017年のパク・クネ(朴槿恵)大統領以来となるが、皮肉にも朴追及の主役を担ったのがソウル中央地検長のユンで、百回近い家宅捜査を繰り返して追い詰めた。その功でユンはムン・ジェイン(文在寅)大統領に検事総長に抜擢されるが、ムンにも刃を向け、保守勢力の支持を集めて大統領の座にまで上り詰めた。その背景には韓国独特な権力構造がある。朴正煕政権時代には軍部が中心、検察がその下請けの二極構造があったが、民主化で軍部が消え、検察が陰の最大勢力として残ったのである。

 それが同時にユンの限界を物語る。検察的な上意下達の意識が骨髄まで染み渡り、独断専行で民心を失い、国会でも野党に過半数を制され、動きが取れなくなった。そこで最後の手段と、国防相らの進言を受け入れる形で電撃的な非常戒厳令を宣言したが、民主化された韓国の政治世界で上意下達はあり得ず、命取りとなった。
 朴元大統領は客船沈没事故の濡れ衣で政治生命を絶たれたが、ユンは重罪の内乱罪容疑であり、終身刑となる可能性が極めて高い。次期大統領の座を野党の李代表と争う与党の韓代表は当初は弾劾案に反対すると表明していたが、世論の猛反発に委縮している。

 なぜユンは無謀な行為に走ったのか?
 上記の検察的な気質もあるが、非常戒厳令発令の理由に「北韓(朝鮮)に従う反国家勢力を一挙に撲滅」と挙げたように、ユン特有の安保観があった。バイデン大統領、岸田首相とともに行ったキャンプデービッド会合1周年の今年8月に発出した共同声明にある「日米同盟及び韓米同盟に支えられた安全保障協力の強化」という情勢認識を具体化したとも言える。
 ウクライナ戦争勃発後、ロシアと共に中国、朝鮮を仮想敵視する安保観をG7首脳が共有し、ゼレンスキー政権支援を強化するが、対ロ経済制裁ブーメランによる超インフレと経済不振で国民の反発を受けた。バイデン大統領の右腕であったジョンソン英首相が退任に追い込まれ、バイデンも「私が大統領なら戦争は起きなかった」と非難するトランプ候補に大統領選で苦汁を飲まされ、岸田首相は辞任、フランスのマクロン大統領、ドイツのショルツ首相も退任瀬戸際に立たされている。いわばウクライナ・ドミノが韓国にも波及したということだろう。
 いわゆる先進国でこれほど与党が連続敗退するのは1905年以来であり、歴史の転換期にあることを物語る。東西冷戦終了後の世界は民主主義の勝利と僭称する米一国主義下、雑多なカラー革命で戦乱がない日は一日とてなく、無垢の子供たちが数多く犠牲になってきた。ウクライナ戦争の遠因もオレンジ革命にあったが、それに終止符を打つ段階に来ているとみることもできる。

 外交上の問題は、韓国軍の戦時統帥権を握っている在韓米軍司令部=ワシントンが非常戒厳を知らなかったのか、知っていたのか、それに尽きる。
 国会行政安全員会は5日の緊急質疑で辞任を表明したキム・ヨンヒョン国防長官とイ・サンミン行政安全部長官、戒厳司令官の陸軍参謀総長、国軍防諜司令官、首都防衛司令官、陸軍特殊作戦司令官を捜査当局が内乱罪容疑で緊急逮捕することを求める決議案を採択した。
 いずれも非常戒厳令発令を事前に知っていた嫌疑が掛かっているが、国防長官と行政安全部長官以外は「知らなかった」と答えている。それを受け警察庁国家捜査本部が大統領と国防長官、行政安全部長官などへの捜査に入った。

 米国はどうか。ブリンケン米国務長官は4日、戒厳令について米国は事前に知らされていなかったと述べ、サリバン米大統領補佐官はテレビで知ったと語った。キャンベル米国務副長官も米国が連絡を取り合う韓国側当局者ほぼ全員が尹大統領の動きに非常に驚いたと説明し、「尹大統領はひどく判断を誤ったと思う」と間接的な表現に止めた。
 この種の情報が表に現れるのはかなり後になるが、米国が全く知らなかったとは考えにくい。

 日本も他人ごとではない。ソウルからの直近の情報では、弾劾否決で一度は党論をまとめた与党指導部が、世論の反発に議員たちが動揺したため賛成へと舵を切りつつある。次期大統領選をめぐる動きがすでに始まり、野党の李代表が圧勝するとの観測がもっぱらである。対日関係、対北朝鮮関係は根本的な見直しが避けられないだろう。
 日本を取り巻く安保情勢の激変に動揺した自民党の右翼強硬派と自衛隊跳ね上がり組がつるんでクーデターまがいのことが起きかねない。戦前はその連続で、ついに無謀な開戦に突き進んだ。戦後も「韓国軍内の一部において反乱が起き・・・・・・、日本国内の治安情勢も悪化」との想定で1963年に自衛隊統合幕僚会議が極秘に行っていた机上作戦演習、「三ツ矢事件」が発覚し、大問題となった。
 旧敵国だった米国を含む海外は当然、そうした前科に目を向け警戒するだろう。近年は自衛隊幹部が靖国宮司に天下りして幹部が参拝を繰り返すなど軍国宗教感情を共有する動きが顕在化している。
 安倍一強時代からなおざりにされてきたが、シビリアンコントロールの再点検を国会ですることが求められる。仮に日本でクーデター謀議が起きたら、国会議員や一般市民が体を張って阻止できるだろうか。自ら民主化闘争で民主主義を勝ち取った韓国と異なり、米国から与えられた日本のそれにはひ弱さが伴う。直接民主主義に不可欠で憲法にも国民の権利と定められたストやデモが日常から消えて久しいだけに、なおさらである。日頃の備えが必要だろう。

 日本のマスコミでは親日政権が倒れて反日政権が出来ると半パニック状態に陥っている論調を見受けるが、そもそも親米とか反米とか、親日とか反日とかの分類の仕方自体が色眼鏡的である。韓国は米日を基準に動いているわけではなく、本来の多極的なバランス外交に戻っていくのは間違いない。 日本も一連の安保法制や防衛費倍増政策の最強の理解者、同盟者と見込んだバイデン大統領が間もなく消え、米国ファーストのトランプ大統領が登場する以上、多極外交で生きていくしかなかろう。

(河信基 2024年12月6日)

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